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第38話 悪友

翌日。

今日一日、俺はノルベルトと別行動をする。表向きは役所に書類を提出に行くという名目で。

もちろん、こちらは午後に済ませるつもりだ。



ノルベルトとともにホテルから出て、見送る。そっと路地裏に入った。

急いでカソックを脱ぐ。下に着ているのは、ワインレッドのシャツと細身の黒いパンツ。

”変化”の魔法をかけ、髪の色を金色から銀に。長さも変えてロングに。

これでぱっと見は俺だって分からない。


"ちょっと治安悪めのうさんくさいお兄さん"


ヴォーゲンを歩き回るときはいつもこの格好だ。神父の格好なんて悪目立ちして居心地悪いから。

カソックをカバンにしまって歩き出す。


……”あいつら”に会うのは一年ぶりか。






「あら。いらっしゃい、アベル。今日はなぁに? 新しい名前?」

「いつものだよ。分かってるだろ」


バー・フェアベーゲン。

ヴォーゲンの東地区でも最奥に位置するバーだ。

表向きは普通のバーだが、裏では怪しい仕事をしている。

……俺は、そこの顧客でもあった。


ここのボスであるミカエラはサキュバスだ。

赤くウェーブのかかった髪。豊かな胸。人間たちが思い浮かべるザ・サキュバスというような大人の女性だ。全てを見通すように瞳を細めてにっこり笑う。この視線にはいつまでも慣れない。


この街では、顔や名前を変えて人間社会で暮らす魔物が無数にいる。

ミカエラはその斡旋をする裏の情報屋でもあった。戸籍や身分証の偽造や、人間に紛れ込むための偽装グッズも扱っていた。


「なんだつまんないの。ま、平和な証拠ね。また今年もクソ辺鄙なとこからワザワザ書類提出に来たの? ご苦労なことね」

「クソ辺鄙で悪かったな。どーせ田舎だよ」

「ふふ。はいはい。気に入ってるのよね、その田舎」


ミカエラは俺にグラスを差し出す。魔力回復の薬が入ったお茶だ。

カウンターに座り、グラスを手にする。

……魔物同士は少し、気が楽だ。


「はい。これ。今年の身分証。更新しといたから」

「ありがとう」

「……あんたも物好きよね。神父なんてさ。ほかにもっと楽な姿、あんのに」


ミカエラがカウンターに頬杖をついて苦笑いする。

……わかっている。そんなこと。


この国では聖職者は登録制だ。

普段身分証を使うことはないが、役所で書類の申請をする際には必要になる。

当然のことながら俺は神父ではないので、こうした裏ルートで身分証を偽造しているのだ。


この身分証には「レネ・ホフマン」と書かれている。俺は、ヴォーゲンでは神父レネ・ホフマンだ。

神父じゃなかったら身分証の偽造なんてしなくて済んだのにな。

我ながらめんどくさい性格をしている。身分証を手に取って自嘲した。


「ま。神父辞めたくなったら言ってよ。あんたなら仕事、無限にあげられるからさ」

「嫌だよ。ミカエラはこき使ってきそうだし」

「あら、偏見ね。アタシはこんなに優しいのに」


ミカエラはカラカラと笑った。

俺は手元のグラスを一口含む。




すると、店の扉がカランと軽い音を立てた。

振り返ると、大柄な狼男と、おそらくサキュバスの少女がいた。

狼男の方は知っている。シャロンという名のミカエラの用心棒だ。大きなオオカミの耳と尻尾と、牙。ゴツい身体で見た目はちょっと怖い。

サキュバスの少女は知らないな。こちらは若くて、栗毛がくるんとしていて可愛らしい。最近の女の子って感じだ。


「レベッカ。どうしたの。あんた今日出勤じゃないでしょ」

「ミカエラ! あのさ、魔力の薬、前借りさせてくれない?」

「……あんたね。なんでそんなこと……」


飛び込んできた女の子はレベッカと言うらしい。カウンターの俺に視線をやり、一瞬顔が引きつった。


「……お客さん?」

「ああ、紹介するわね。アベルよ。インキュバス。色々あってここに用事があるの」


レベッカはほっと息を吐いた。

人間だったらどうしようと思ったのだろう。まあ、「ここに用事がある」時点で同類だ。

レベッカはカウンターに来て、俺の隣に座った。


「よろしく! あたし、レベッカ。サキュバス。ここでバーテンダーやってるんだ。たまに接待の仕事もしたり」

「よろしく。俺はアベル。……村で神父をしてる」

「神父ぅ!? なんで!?」


レベッカが叫ぶ。ミカエラとシャロンは静かに笑っていた。

……まあ、魔物にとって神父は敵だからな。

俺は肩をすくめて笑いかけた。


「成り行き。他に仕事がなかったんだ」

「えー、可哀想! ミカエラ、うちで雇ってあげなよ。綺麗な顔よ。好きでしょ?」

「さっき断られたわ」


ミカエラがため息とともに言うと、レベッカは大声で驚く。反応が素直で面白い。

確かに、魔物は魔物で集まって暮らす方が楽だ。故郷に戻れなくても、こういったところに潜り込むのもひとつの手段であるのだが。

……なんでだろうな。リュトムスの方が肌に合っている気がする。



「それで? レベッカ、あんた、魔力の薬を前借りって、何するつもりなのよ」


ミカエラが厳しい瞳でレベッカを睨む。

おお、怖い。貫禄のあるボスって感じだ。


「客引きに使う分は渡してるわよね。”変化”だけならそんなに消費しないはずよ? 何に使うの」


レベッカは一瞬息を呑む。


この店では人間をメインターゲットにして客引きをする。結局人間が一番金を持ってるからだ。

その時に角があったり目が赤かったりするとあからさまに警戒されるので、インキュバスなどの”変化”ができる種族は仕事中、”変化”をするようにしている。


”変化”で消費する魔力はそれほどでもない。これは俺が身をもって証明しているように。自分に掛ける魔法はそれほど魔力を消費しないのだ。

消費が激しいのは他人に掛ける魔法だ。

そう、例えば。”洗脳”とか。”魅了”とか。




レベッカは若干眉根を下げ、ぽつぽつと語り出した。


「あの……えっと……あ、あたし……ちょっと、気になる人ができて……」

「……へー」

「前に一回ここに来たことあるよ。お客さんとして。……あ! そ、そのときはちゃんと仕事だった! 何もしてないって!」

「はいはい」

「で、でも、その……お店を出た後、その……連絡先、聞かれて。その………」


レベッカは顔を赤くして紡ぐ。

まあ、言うなればお客さんとプライベートでイイ感じになったという感じだろう。


「そいつは人間?」

「……人間。だけど、悪い人じゃないよ。騎士。この街を守ってる」


俺は持っていたグラスを倒しそうになった。急いでつかみ、事なきを得る。

……まさか騎士だとは。

ノルベルトの顔が脳裏に浮かんで若干気まずくなった。


「あんたがサキュバスだって知ってんの?」

「しら、ないと……思う。言ってない、から」

「”変化”だけなら渡した分でも間に合いそうだけど? あんた、彼に何するつもり?」


ミカエラは視線を鋭くする。

……俺もうっすらと、レベッカがしようとしていることは察していた。



「彼を、”魅了”、したい……」



レベッカは小さく呟いた。

俺とミカエラは視線だけチラリと合わせ、目で会話をした。『やっぱりね』みたいな。


「彼、素敵な人なの。他にもたくさん、女の人に言い寄られてる。結婚の誘いもあるって言ってた」

「へえ」

「で、でも! あたしが結婚できるなんて思ってない。……だってあたしは、人間じゃないし…。だいじょうぶ、それくらい、知ってる」

「だったら」

「だから! 一回でいい、の。一回だけ。……彼と、……むすばれたい、の」


レベッカは切羽詰まった声で叫んだ。

静かなバーにこだまする。


「そのあと彼が他のひとと結婚してもかまわない。それくらいわきまえてる。だから、だから……ただ、一回だけ、思い出がほしいの」


レベッカがぼろぼろと涙を流した。

ミカエラが小さくため息を吐く。

若い子の、好きな人に掛ける思いが人生を狂わせる熱量を持っていることは知っている。


それに、最近は俺も、恋をする気持ちがちょっと分かるし。

少しの間だけでも一緒にいたいとか。今だけでも思い出が欲しいとか。キスしたいとか、抱きしめてほしい、とか。

……そういうのは、俺も、わかる、から。



「レベッカ。相手は、きみを大事にしてくれるのか」



俺は静かな声で聞いた。レベッカは涙でいっぱいの瞳をこちらに向ける。

ミカエラが俺に鋭い視線を向けた。


「アベル。あのね。この街はあんたのクソ田舎と違うのよ?」

「わかってるさ。念のための確認だよ」

「……わかってないわよ。この街で、どれだけの魔物が人間に虐げられてきたか」


ミカエラは眉間の皺をおさえて目を伏せる。

レベッカは服の裾を掴んで、小さく答えた。


「……彼はあたしに優しくしてくれる」

「口ではなんとでも言えるのよ。あいつらはヤりたいだけなんだから」

「そんなわけない! 彼のこと知らないじゃん、ミカエラはさ」


レベッカはキッとミカエラを睨む。

ミカエラは唇を歪ませ、じっと黙った。しばくののち、根負けしたようにため息を吐いた。


「………わかった。あげるわ。前借りだから。次はないわよ」

「……ありがとう」

「でも、忠告しておく。これが聞けないならあげない」


ミカエラは語気を強くして告げた。



「あんたがどんな目に遭っても、アタシは助けない。このバーもあんたを知らないふりをするわ。それでもいい?」



レベッカは、口を「あ」と開けて固まった。言葉にならなかったようだ。

ミカエラが厳しい口調で続ける。


「人間に魔法を掛けるのは重罪よ。例えあんたに悪気がなくても。わかる? この意味。あんた、その騎士に裏切られたら、全てを失うかもしれないのよ」


レベッカはじっと黙り込んだ。

考えていなかったわけではないだろうが、こうして言葉にされると痛いのだろう。

俺たち魔物は常にそのリスクを負っている。とくにインキュバスやサキュバスは「騙された」と告発されるだけで、残酷な処罰が下されるのだ。



「……わかってる」


レベッカは視線をあげた。力のこもった、強い瞳だった。

ミカエラに右手を差し出し、はっきりとした口調で告げる。


「大丈夫。うまくやる。もしあたしに何かあってもミカエラは無視してくれていい」


ミカエラは厳しい顔をしていたが、次第に目を伏せた。

そして、奥の棚から一本の瓶を手渡した。






「あの子、大丈夫かしら」


レベッカはあの後すぐに店を出た。店にはミカエラと俺、狼男のシャロンが残る。

重い空気だった。カウンターでみな、レベッカのことを心配して、憂鬱になっていた。


「その騎士次第だけどさ。まあ、俺たちが暗くてもしょうがないじゃん」

「……アベル、あんた。……え、何? どうしたの?」

「なにが?」


ミカエラとシャロンが俺をまじまじと見つめる。

俺、何か言っただろうか。


「いつもなら、騎士なんて信じられないって、真っ先に言うのあんたなのよ?」

「え? あ? そう? えー……まあ、色々いるだろ、騎士だって」

「……ふぅーん」


ミカエラはニヤニヤして俺を見る。

シャロンも心なしか嬉しそうだ。尻尾をぶんぶん振っている。


「今日の夜は尋問ね? 楽しみにしてるわ」

「あ、ごめん。今日はちょっと……身分証返したらすぐ出てくと思う」

「ええ!? あんた、ホントに何があったのよ」


俺がヴォーゲンに滞在するときはこのバーで夕食をとることが多い。その誘いを断ったのだ。

それが意味する所なんて、……まあ、わかるだろう。


俺はうつむいてじっと黙る。

頬が熱い。もしかしたら顔が赤いかもしれない。

ミカエラは俺をじろじろと見て、シャロンと目を合わせて、そしてニヤニヤ笑う。


「なるほどね。へえ。面白いじゃん。人間と来てるんだ?」

「なんだっていいだろ」

「へ~え? ふ~ん? ふふ。あのアベルがねぇ。まあ、あんたはレベッカより慎重だから、そんなに心配してないけどさ。気をつけなさいね?」

「わかってるよ」


そろそろ時間だ、と席を立つ。身分証を懐に入れて、金を渡す。

ミカエラは慣れた手つきで銀貨を数え、にんまりと笑う。


「毎度ありがとうございますですわ、アベル様」

「気色悪い言い方をするなよ」

「んふふ。次はその彼を連れてきてもいいわよ?」

「絶対ヤダ! 笑うじゃん!」


ミカエラはカラカラと笑った。

もう、調子が狂う。このボスには敵わない。

扉に手を掛けると、ミカエラは手をひらひらと振った。俺は勢いで店を出た。

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