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第34話 一緒に寝てくれませんか

年が明けると村の雰囲気は一気に弛緩する。

暖炉の側で語り合うような、穏やかな日々を過ごしていた。



ちゃぷん、と、お風呂の湯が小さく音を立てた。

”変化”の魔法を解いて、息を吐く。石鹸の香りが鼻をくすぐる。なんだかナイーブな気分だった。

自分が魔物じゃなかったら。ノルベルトとずっと一緒にいられるのかな、とか。

そんな、無駄な妄想ばかりしてしまう。

……ノルベルトの願いを握りつぶしたのは自分であるのに。



風呂から上がり、寝る支度をする。軽いキスをして微笑み合った。

おやすみの挨拶をしてランプの火を消す。

部屋が暗くなる。目をつむる。

毛布を握り締めて、音もなく涙を流した。







ーーーーーやめて


何かに追われている。黒い影が襲ってくる。


"あの日"の夢だ。

鈍く光る刃と、血が噴き出す音。

暗い森の中を走る。


走って、走って、足を取られそうになって。


ーーーー殺さないで



たすけて、




「アベル!」




はっと目を覚ますと、ノルベルトが悲痛な表情で俺を見つめていた。







「えっ、と……、あの……、どう、しました?」

「……アベルが、うなされていたから」

「そう……ですか。ありがとう、ございます」


手が震えて、全身が汗に濡れている。

まだ夢の中にいるようだった。

悪夢。脳裏にこびりついている、俺が襲われた日の記憶。


働かない頭で状況を整理する。

ノルベルトは俺の肩を揺すって起こしてくれたらしい。まだ窓の外は真っ暗だった。


「夢見が、悪くて」

「……よく見るのか?」

「滅多に見ないんですけど。なんだろう。寒いからかな。………まあ、たまに、なので、大丈夫ですよ」


力なく笑いかけると、ノルベルトは俺の頭をそっと撫でた。

温かい体温にほっとする。強ばっていた身体がほどけていく感覚がした。




暖炉の火を使い、ノルベルトはお湯を沸かした。最初にこの村に来たときとは違ってスムーズな手つきだ。

俺はその様子をぼーっと眺めていた。成長したな、とか、そんな現実逃避じみたことを考える。

しばらくしてノルベルトは紅茶を運んできた。


「……これは」

「ウィーゲンリートの紅茶だ。少し前に採取しておいた」

「……そう、なんですね」

「前に、アベルに教わったからな。心を落ち着かせる作用があるんだろう」


ノルベルトは微笑んで、ポットから紅茶を注ぐ。

爽やかな花の匂いがほのかに香った。

カップを両手で包むと、じんわりと温かさが伝わってくる。


「ありがとうございます」


一口含むと、体の中から優しさに包まれる感覚がした。

……わざわざ、薬草を採っておいて、俺に飲ませてくれるなんて。


「……おいしい」

「よかった。少し蜂蜜もいれてみたんだ。飲みやすくなるだろう」

「ふふ。至れり尽くせりですね」

「これくらい朝飯前だ。いつでも言ってくれ」


ノルベルトも紅茶を一口飲む。

暖炉の火に照らされて、端正な顔が美しかった。高い鼻筋に影がかかる。

俺はカップを握り締めた。琥珀色の紅茶が揺れる。




「昔の、嫌な、記憶が。たまに、蘇るのです」



ぽつり、と零すと、ノルベルトは俺に視線を向けた。

何を言っているんだろう。とか、冷静な自分がどこかにいたけれど。

……ノルベルトに話したくなった。


「どんな記憶だ」

「……ずっと前。この村に、来る前。私は……襲われそうに、なって」


ノルベルトが息を呑む。彼の手元のカップがぎしりと歪んだ。

……心配させて申し訳ない、と、心配してくれて嬉しい、が、心の奥から込み上げてきた。


「誰に」

「詳しいことは、知らないんですけど。黒い甲冑を着た騎士たちでした」

「……騎士、たち?」


俺は、こくん、と小さく頷く。


「私は友人数名と出かけていました。その帰りに、知らない騎士たちに突然、剣を向けられて……」


言葉にすると、恐怖が一気に脳裏に蘇るようだった。

カップを握り込んで、耐える。カタカタと音がする。


「襲われた理由は分かりません。私たちが……何かしたのかもしれないし、してないのかも、しれないけど。………私は、ひとりで逃げました」

「……そう、か」

「友人とは……あれ以来、怖くて、会ってない。けど、私は、彼らを置いて逃げました」


自分だけ逃げ切って、この村で再起しようとしている。


「……私は、裏切り者だ。弱くて、ずるくて、卑怯な、裏切り者なんです」


震える声で呟いた。

こんなこと、言うつもりなかったのに。


言葉にする度に、自分の罪が浮き彫りになる。いま、日夜問わず村に仕えているのは、贖罪のためかもしれない。

……どこまでも自分勝手だ。愚かな自己満足に、善良な村人を利用するなど。


「……すみません、こんな話」

「いや、……いい。話してくれてありがとう」


ノルベルトは優しく微笑んでくれた。

けど、困らせてしまったのは分かる。申し訳なくなる。

なんでこんな話してしまったのか、自分でもわからない。今まで誰にも話したことがないのに。


紅茶を一口含むと、気分は少し落ち着いた。

真っ黒な痛みが緩やかにほどけていくような。




「アベルは……俺のことは、怖くないか?」


チラリと視線を向けると、ノルベルトが不安そうに俺を伺っていた。


「最初は怖かったです。……格好が、似てたから」

「……ああ」

「でも、……いまは、……」


うまく言葉が続かない。

じっと考えた。

その間もノルベルトは待ってくれていた。

暖炉の薪が静かに鳴って、影がゆらりと揺れる。




「……あなたがそばにいると、幸せ、です」




ぽつり、と、浮かんできた言葉は、自分の中にストンと落ちた。


ああ、そっか。幸せ、か。

……俺はノルベルトといて、幸せなのか、と。

言葉にして改めて気づいた。


ノルベルトはそっと手を握ってきた。温かい。

いつだって握られると安心する。

ぐちゃぐちゃだった不安がほどけていく。

息がしやすくなる。




それから、ぽつぽつと会話をした。

ウィーゲンリートの花を採りにいったときの話だとか。おいしい紅茶の淹れ方だとか。


ノルベルトは俺の過去に触れなかった。

気になってるだろうに、触れないでいてくれた。

やっぱりまだ少しパニックになりそうだから、その気遣いが嬉しかった。



「眠れそうか?」

「……はい」


俺はベッドに横になった。

ノルベルトが俺の髪を撫でる。優しい手つきだった。


「ワガママ言っていいですか」

「どうした?」

「……ひとりで、寝らんない、かも、しれなくて、その……」


ぎゅっと毛布を握る。言葉にした後に急に恥ずかしくなった。

一緒のベッドで寝てほしい、なんて。子どもじゃあるまいし。甘えすぎもよくないかも。

うう、とうなると、ノルベルトはそっと俺のベッドに入ってきた。


「そっち、移動してくれ」

「……いいのですか」

「ああ」


一人分のベッドにふたり、寝転がる。ノルベルトは体が大きいから狭かった。ベッドが軋んで、ふたりで笑い合った。


ノルベルトの体に抱きついた。大きな抱き枕みたい。

胸元に顔を埋める。

ぽかぽかして、ほっとする。いい匂い。……好き。



「あなたは悪くない」

「……え」

「あなたが襲われて、ご友人を置いてきたこと。あなたは全く悪くない」



頭を撫でられて、囁かれた。


「悪いのは、その襲った騎士たちだ。あなたは自分にできることをした。それだけだ」


ノルベルトの声は、低くて、少し掠れてて、優しかった。

ぎゅう、とノルベルトの寝間着を握る。

目の奥から、じわりと涙が溢れてきた。


「わたし、ずっと……ずっと、自分が、許せないんです。友達を置いて、自分だけ、のうのうと生きてる」

「うん」

「本当は、全然優しくなんかないんです。私は、こんな、こんなことを、してもらう資格ない。……この村に尽くすのだって、勝手に……いいことしたフリをしてるだけ」


何を言ってるんだろう。

涙とともに内に秘めていた言葉が溢れてくる。

とめないと。ノルベルトにぶつけたって困るだけなのに。こんな汚い感情、知られたくないのに。

なのに、なぜだかこの腕の中では感情が溢れてしまった。今まで溜め込んでいた不安も、恐怖も、自己嫌悪も。

ノルベルトが全部受け止めてくれるから。


「こんな、弱い、自分なんか。嫌いだ。……あなたに、幻滅されたくない、」

「幻滅などしない」

「する、するもん。私は、そんな、いいひとでも、優しいひとでもない」

「それでもいい」


ノルベルトが俺の髪を撫でた。

頭の形を確かめるように。さらりと髪が梳かれる感覚がする。


「俺はあなたに命を救われた。それが仮に自己満足の結果だったとしても、今生きているのはあなたのおかげだ」

「……あれは、村人たちの力もあって」

「それでも。この村で医療を使えるのはあなただけだし、倒れた俺のそばにいてくれたのはあなただ」


髪を撫でていた手を、そっと背中に回される。緩やかに力を込められて、体がぴたりとくっついた。

心臓の音がする。とくん、とくんと、伝わってくる。


「村人だって、あなたの行動を信頼しているのだと思う。あなたが一緒に考えて、悩んでくれて、調べてくれるから」

「……でも」

「それが自己満足だとしても、結果としてフローラは安心した。だから、みんなあなたのことが好きなんだ」


優しい声で紡がれる。不思議と自分の中にじわりと馴染んでいった。

歯を食いしばる。ノルベルトの服にしがみつく。涙が染みた。

空気の塊が喉につまって、熱くて、苦しい。




「あなたが自分を嫌いでも、その分俺があなたを愛そう」




俺は子どものように嗚咽を漏らした。

今まで一人で泣いてた分の涙が、急にいま溢れてきたみたいな。

ノルベルトはずっと、俺の背中を撫でていた。

その手つきが優しくて、かえって胸が苦しくなった。



……俺の正体とか、ノルベルトに伝えてないことはたくさんあるのだけれど。


もしかしたらノルベルトは、

俺のすべてを、受け入れてくれるかもしれない。


そう、考えて、してしまう、くらいに。

次回「ノルベルト・ベルンシュタインの覚悟」

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