第33話 あなたの願いは
年越しの瞬間が近づく。
新年の儀式はこれからクライマックスだ。俺の仕事も本格的に始まる。
新年の儀式では、紙に願い事を書き、祈りとともに箱ごと火にくべる。燃やすことで願いを太陽神・プリマに届けるのだ。
村人は火を囲んでわいわいと願い事を書いている。俺はみんなが楽しそうに集まるこの景色が好きだった。
「ノルベルトもどうぞ」
「……願いごとか」
ノルベルトはペンを受け取って、じっくり悩みながら記入していた。
俺も書かないと。
例年だったら『平穏無事に一年を過ごせますように』と書いていた。
……けど、今年は。
『ノルベルトに俺の正体がばれませんように』と、
誰にも見られないように記入した。
小さく折りたたんで、とりまとめの木箱に入れる。
村人から願いの紙を回収する。
「今年も豊作を願いました」や「子どもの無事を願ったの」と手渡すときに言ってくれる人もいる。笑顔で受け取ると、とりまとめの木箱はすぐいっぱいになった。
数を確認する。村人分は全員分あった。
「ノルベルトも。それ、ください」
「……ああ」
ノルベルトが紙を手渡した。こちらも小さく折りたたまれている。そのまま箱の一番上に置いた。
「アベルは何を書いたんだ?」
「…………今年も平穏無事に過ごせますようにって。ノルベルトは?」
しれっと嘘をついて微笑みかける。
ノルベルトは少しだけ寂しそうな顔をした。
「俺は……アベルとずっと一緒にいられますように、って」
俺は一瞬、息を呑んだ。
恋人だったら、そう願うのが普通、だ。
……けど。
「……ふふ。私の情緒が足らなくてすみません。毎年書いてること書いちゃいました」
「いや、いい。アベルらしい。俺が願っておけばいいだろう。ぜひ神に届けてくれ」
「…………もちろんですよ」
準備があるので、と、ノルベルトを残して教会に戻る。
儀式は神父にしかできない。この瞬間はひとりになれた。
ランプの薄明かりを元に、一番上に置かれた紙を開いた。几帳面そうな、丁寧な文字で書かれている。ノルベルトのものだ。
『アベルとずっと一緒にいられますように』
手元の紙が、ぐしゃりと歪んだ。
……ずっと一緒にいられるわけなんかないのに。
いつか、必ず俺の正体がばれる日が来る。そしたらノルベルトは俺の元を去るだろう。"ずっと"なんて有り得ない。
こんなの、最初から叶えられない願いなのだ。
歪んだ紙を見下ろして、唇を噛んだ。
……欲をかいた罰だ。こんなに胸が苦しいのは。
ノルベルトの書いた紙を小さく折りたたんで、カソックの下に隠した。
笑顔の仮面を貼り付けて、広場に戻った。
「みなさーん! 新年の儀式、始まりますよ」
大きな声で呼びかける。
村人たちは楽しそうに火に集まった。ノルベルトも、やや遠いところで火を見つめている。
パチパチと薪が爆ぜる音がする。真っ赤に染まる炎が目を刺した。
村人たちは火に向かって手を組む。神に祈りを捧げるポーズだ。
大人も子どもも、この瞬間はみな純粋に神に祈る。ノルベルトも手を組んでいた。
俺は手を組んで、目をつむる。深く息を吸う。
「ここに集いし願いの数々を、浄き焔と共に捧げます」
俺の声が広場に響く。儀式で唱える祝詞だ。
目を開いて、炎の力を受けるように手を広げる。
「願いは煙となり、空をのぼりて、御身のもとへ届きますように」
そして木箱を火にくべた。ごおっと音が強くなって、炎が一段階大きくなる。音を立てて紙が燃える。
煙が空に昇っていく。
群青のキャンバスに白い線を筆で書いたように、ゆるやかに。
見上げて、そして。
なぜだか、泣きたくなるくらい、胸が締め付けられていた。
儀式が終わって、村人はみな家に戻った。
俺はかがり火を見つめていた。まだ勢いは収まらず、赤い炎が左右に揺れる。
「アベル、戻らないのか」
ノルベルトが声をかける。
雪に音が吸収される。あたりはすっかり静まりかえっていた。
「……すみません。ちょっと疲れちゃったのかも」
「そうか。神経も使うだろう。今日はゆっくり休もう」
「そうですね。いつも、終わった後はぼーっとしちゃうんですよね」
はは、と力なく笑った。
ノルベルトは微笑んで隣に立つ。
ふたりして火を眺めた。
「リュトムスの儀式は温かいのだな。王都ではかがり火など焚かないから新鮮だった」
「ふふ。ありがとうございます。祈った甲斐がありましたよ」
「祈るあなたも美しかった」
「……儀式に集中しなさいよ」
見られていたのか。まあ、そうか。恥ずかしくなり、唇を尖らせた。
ノルベルトは、はは、と、声を出して笑った。珍しい。そんなに儀式が楽しかったのかな。
「アベル、キスしてもいいだろうか」
「外ですよ」
「みな、もう家に戻った。誰も見ていない」
「……一回だけ、なら」
視線を上げて、見つめ合う。
赤い炎に照らされて、瞳が宝石のように輝いていた。
そっと、触れるだけのキスをした。
何度も家でしているはずなのに、なぜだかいつもより切なくて、名残惜しかった。
ノルベルトが俺の頬を優しく撫でる。
「あなたが俺の願いを神に届けてくれたなら、安心だ」
俺は一瞬だけ、顔を強ばらせた。
「……ええ」
「今頃神に届いているだろうか」
「そうですね。きっと。大丈夫ですよ」
さりげなく手を外し、視線を逸らした。
頬が寒くなった。無性に空白を感じていた。
……ごめんなさい、ノルベルト。
懐に隠していた、ノルベルトが書いた紙に触れる。力を込めると折れる感触がした。
カソックの下でぐしゃぐしゃに握りつぶされている。
ーーーあなたの願いは、届かないのですよ。
叶えられない方が、あなたは幸せなのですよ。
そう、声高に伝えてしまいたくて、でも言えなくて。
喉元に迫り来る苦しさを、必死に飲み込んでいた。
次回、アベルのトラウマを抱きしめるノルベルト。
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