第29話 ほんとは、そばにいてほしいです
暗い倉庫に、暖かい光が差し込む。
ノルベルトが立っていた。外から戻ってきたのだろうか。
ーーーーまずい
顔を見られたらダメだ。まだ”変化”の魔法を掛けていない。
頭のブランケットを深くかぶり、急いで顔を伏せた。
勢いよく心臓が脈打つ。
もしバレたらどうなる。嫌われるかも。いや、殺されるかもしれない。
「アベル? 苦しいのか?」
「来るな!」
必死に叫んだ。いつもの口調にする余裕はなかった。
ノルベルトの息を呑む音がした。
驚いたのだろう。俺が鋭い声で叫んだから。
ブランケットを必死で掴む。
目をつむる。この赤い瞳を見られてはいけない。
……”変化”の魔法をかけなければ。
けど、”変化”は人に見られていては掛けられない。一人で集中して擬態するのだ。この場は誤魔化すしかない。
呼吸を整える。喉の奥が苦しい。
「すみません、ノルベルト。クラウスの所へ行ったのではないのですか」
「……アベルが心配だった」
「大丈夫だって言ったでしょう。早く戻ってください」
目を閉じて、頭の角を手で隠す。ブランケット越しだからわからないだろうけれど。
しっぽは寝間着が長いから気づかれないはずだ。それに、暗いから大丈夫。何度も自分に言い聞かせる。
部屋の隅で、じっとうずくまる。
「頭が痛いのか?」
「大丈夫です」
「熱があるのか? 薬は……」
「大丈夫です、ほっといてください」
「嫌だ」
ノルベルトがはっきりと告げた。
コツ、コツ、コツ。ノルベルトが近づく足音がする。レンガ造りの床に鈍く響く。
「あなたの言う”大丈夫”が、”大丈夫”じゃないことは知ってる」
ノルベルトが俺の前で足を止める。そっと肩に手を置かれた。
……温かい、ごつごつした、いつものノルベルトの手だ。
その感触に、なぜだか涙が溢れてきた。
「アベル、顔を上げてくれないか」
「いや、やだ。みないで」
「……どうして」
「醜い、から。いまは、だめ、見られたくない」
閉じた瞳からは涙がボロボロと零れる。
腫れているだろう。痛い。鼻水も止まらなくなって、顔はぐちゃぐちゃだった。
魔物とかそういう以前に、汚いし格好悪い。こんなの幻滅されるに決まってる。
「俺は、あなたがどんな姿だろうと気にしない」
優しく抱きしめられた。
眩しい、涙が乱反射してよく見えない。
ブランケット越しに体温が感じられた。温かい。さっきまで寒かったのに。ノルベルトの匂いがする。
こんなに窮地にいるのに、なぜだか安心して、手が震えた。
……俺が今、どんな姿だか、知ってて言ってるわけではないのに。
肩口に顔を埋める。呼吸を整える。
ぎゅう、とブランケットを握り締めて、絶対落ちないようにした。
この体温を失いたくない。
「部屋に戻ろう、アベル。立てるか」
「……立てます。どいてください」
「少しは俺を頼ってくれ」
ノルベルトの声が切なく響いた。
胸の奥が苦しくなる。呼吸が零れた。
小さく首を振って答える。
「頼りたい、けど。いまは、むりです。おねがい。五分でいい、顔を整えさせてください。すぐ戻るから。さきに行ってて」
そう告げると、ノルベルトはそっと俺の腰に回していた手を戻した。体温が遠くなる。
ーーーああ、少しの空白が。
俺が人間だったら。
このまま抱きしめられていたかもしれないのに。
ノルベルトの足音が遠ざかる。
お願いを聞いてくれたんだろう。なんだかんだ甘い男だ。
パタン、と扉が閉じる音がした。
薄目を開けて確認する。姿は見えなかった。
意識を集中させる。”人間”の姿を。
角もなくて、尻尾もなくて、瞳も赤くない。”人間”の姿を。
いつもの感覚が戻ってくる。魔力が消費される感覚だ。”変化”の魔法をかけ終わった。
頭に触れ、角がないことを確認する。尻尾もない。ブランケットを深くかぶり、倉庫を出る。
そのまま急いで洗面所へ向かった。
鏡を見た。
涙で目が腫れているが、瞳は”緑”に戻っている。人間だ。いつもの聖職者、アベル・パストアだ。
……これが”正しい”んだ。
俺は冷水で顔を洗った。
涙や、鼻水や、汗や。それらすべてを洗い流す。
”魔物”の俺が受け入れられたとか、そんな愚かな勘違いすら。
ごぽごぽ、と、勢いよく。排水溝へ向かって渦を巻く。汚いものは消してしまおう。
せめて彼の前では、美しい”人間”でありたい。
「ノルベルト、先ほどはすみませんでした」
顔を洗うと、愛想笑いをする余裕が生まれてきた。
部屋に戻りノルベルトに向き合う。もう大丈夫。いつもの俺だ。
ノルベルトは若干強ばった顔で俺を見つめる。俺の手を引いてベッドに寝かせた。
「体調はどうだ」
「前よりだいぶ楽になりました」
「なぜ倉庫にいたんだ」
「身体を温める薬草があるんです。もう食べたので大丈夫ですよ」
「……なぜ、俺を遠ざけたんだ」
ノルベルトが俺の手を握った。温かい。
やっと触れられた体温に、心臓が握りつぶされるくらいに切なくなった。
「だって、あなたに嫌われたくない」
ノルベルトの目が見開いた。
何か俺に言おうとして、そして、口を閉じた。
俺はノルベルトの手を握り返した。
頭が痛いのが、少し楽になった。
さっきまで身体の芯が冷えそうなくらい寒かったのに。
ここは温かくて明るくて、落ち着く。
「あなたを嫌うことなんかない。もっと俺を信じてくれ」
「わかってますよ。ありがとう」
「わかってない。あなたは、全然わかってない。あなたが一人で泣いているのは耐えられない。俺は、あなたの力になりたい、のに、あなたは……」
「……ノルベルト」
顔を見上げる。
ノルベルトは、眉根を寄せて、悲しそうな顔をしていた。
「では、今日は手を握っててください」
ノルベルトは勢いよく手を握った。力が強くて、手のひらが軋んだ。その痛みが可愛らしくて、面白くなって、笑い声が零れた。
ノルベルトが焦って謝る。力を抜いて、今度は優しく握ってくれた。俺は握り返した。
……初めてだ。この村に来てから。
体調が悪いときに、誰かがそばにいてくれるなんて。
目を閉じる。すぐ近くに優しい体温を感じて、眠りについた。
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