第26話 鋼の意思で律せよ SIDE:ノルベルト・ベルンシュタイン
「クラウス、俺を殴ってくれないか」
「なんだ急に気持ち悪ぃな」
クラウスの所へ荷物を運ぶ。
家に上げてもらい、俺は一番にクラウスに頼んだ。
アベルとキスをしてしばらく経つ。
フローラという少女の悩みも解消し、キスをする必然性はなくなった。
だが、なんとなく寝る前に唇を重ねることが習慣となっていた。
初めてキスをしたときは「なんでこんなことになってしまったんだろう」と、羞恥や葛藤や歓喜や、下心なんかが混ぜこぜになって情緒がおかしくなった。
俺が断ったら、アベルは恐らく何も知らない顔で他の村人に「キスしてほしい」と頼むだろう。
そんなことはさせない。キス以上のことをされるに決まっているし、アベルが傷つくところを見たくない。
というより、俺以外の奴とキスするなんて絶対許さない。
ーーーー絶対にアベルを傷つけることはしない。
アベルを守ると誓った日から、騎士のプライドにかけて遵守してきた。
けれど、本能とやらは油断すればすぐに牙を剥く。
例えば、風呂上がりのピンク色に染まった肌だとか、触れる柔らかい唇だとか、甘い香りだとか、優しく微笑む表情だとか。
懺悔室で寝ているときはまだよかった。最近は無防備に眠る姿が目に入るから困る。
いつもは気を張っている美しい表情も、寝起きはとろんとしているし。ふわふわの金髪が跳ねているところは可愛いし。寝間着から肌が覗いたときは、目をそらすのに必死だった。
……そう。俺はずっと生殺し状態だ。
アベルは無防備で無垢で、そういったことに全く無頓着だから。
さすがにキスの仕方を調べるのに、真面目な顔で文献をあさるとは思わなかった。首の角度や手の位置が教会の聖典に書かれているわけないだろうに。
アベルにとって、キスとは恋人とのスキンシップではなく、儀式で行う動作のひとつだったらしい。キスの練習以降は考えを改めたようだが。
恋愛経験について隠しているが、おそらくそういった経験は全くないはずだ。そうでなければおかしい。
ずっと教会で聖職者になる勉強をしてきたのだろうか。世俗にこれほど触れていない神父も珍しい。王都では金にものを言わせた聖職者ばかりだったのに。
その純粋さがかえって「守ってやらねば」という気持ちにさせるのだが、俺だって一人の男だ。近くにいる俺が一番の獣なのだ。
……アベルに分かってほしいような、驚かせたくないような。
俺が汚い煩悩に塗れた世俗の男だと知ったら幻滅するだろう。
「アベルが可愛すぎて自分を抑えられる気がしないんだ」
「何それ自慢!? すっげーむかつくんだけど!?」
「違う。深刻な悩みだ。このままだと間違いを犯してしまう。何か煩悩を無くす方法はないだろうか」
「あ? その要らねーモンをぶった切ればいいのか? オラ、出せよ。切ってやる」
「待て待て待て。もっと、もっと穏便に、頼む」
クラウスはキィーッと威嚇した。
彼の手元の刃物が鈍く光る。背筋が凍った。やる気だ。
「この性欲大魔神が。アベル様に手を出したらマジで殺すからな」
「出してない! というより、俺の努力も聞いてほしい。クラウスにしか話せない」
「チッ……なんだよ」
「まず、夜はアベルがすぐ隣で寝ているんだが」
「ハイ、きた。殺す。死刑」
「待て。ちょっと待て。もう少し聞いてくれ。俺たちは仕事上の理由でキスをしていて……」
「何がどうなったらそうなるわけ!?」
クラウスの叫びに耳がキーンと痛くなる。
俺はフローラの名前を伏せ、かいつまんで経緯を説明した。クラウスは口角を引きつらせていた。
「アベル様は、まあ、……ちょっと抜けた人だと思ってたけど」
「俺もだ」
「……ちょっとどころじゃないな。何なんだあの天然記念物は……」
クラウスの、俺を見つめる目が同情を含むようになった。
言葉にはしないけれど「お前も大変なんだな」というのが聞こえてくるようだ。
「俺がそういったことをしないと、信頼されてるのはわかるんだ」
「……だな」
「だから、その……アベルの期待を裏切りたくない。が、こう……俺は……」
「クソキショい妄想してるむっつり性欲大魔神なんだよな」
「そこまでは言ってない」
クラウスはフン、と鼻を鳴らす。そして近くの棚の中から何かを取り出した。
「やるよ」
「あ、ありがとう。……これは?」
「ヘアアクセサリーの一種。ゴム……伸縮性のある材質でできてて、こうやって伸ばすと、バーンって元に戻る」
クラウスは手のひらサイズのアクセサリーを手首につけ、びょんと伸ばす。手を離すと、その紐は勢いよくバチン、と手首を打った。打たれた箇所はやや赤くなっていた。
「見たことない」
「女はよく使うらしいが、男はあんま知らねーよな。最近できた素材なんだと。俺も都市部に買い出しに行ったときに知ったし」
「……これを?」
「俺は眠気覚ましに使ってんだけどな。手首につけておいて、眠くなったらパチンってする」
「ほう」
「お前もつけてろよ。で、そういう気になったらパチンってする。そしたら戒めにもなるだろ」
なるほど。よく考えてるな。
俺は感心して手首につけた。やや小さい気がするが特に問題はない。
先ほどのように伸ばして手を離すと、思いのほか鋭い痛みが走った。
「……いいな。これ」
「だろ?」
「ありがとう」
クラウスはまんざらでもない様子で笑っていた。
口が悪くて分かりづらいが、頼りになる友人だ。
「アベル様を傷つけたらマジで許さねーからな」
「わかってる。おかげで気が引き締まった」
「……ふん」
新しく手首につけたヘアゴムをそっと撫でる。これできっと大丈夫だ。
騎士たるもの、醜い欲望など抱いてはならない。
愛するものを守らねばならないのだから。
「ノルベルト! お帰りなさい!」
「ああ、アベル。ただいま。どうした?」
「あの、もしよかったら、その……その……ノルベルトにしか聞けなくて……」
「…………なんだ?」
「わ、私に、ディープキス?っていうの、教えてくれませんか?」
俺は勢いよくヘアゴムを弾いた。
次回、ディープキス回!!!!
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