第25話 キスのコツが分かりました
初めてノルベルトとキスをした日から、数日が経った。
まだキスのコツは掴めていない。あれから毎日、寝る前に何度かキスの練習をさせてもらっているのに。
角度とか手の位置とか、覚えないといけないのに、ノルベルトの唇が近づく度に頭が真っ白になる。気がついたら目をつぶっているし、覚えられる気がしない。
……自分の都合で付き合わせているのに申し訳ない気持ちになる。
けれど、キス自体の空気感には慣れてきた。
ノルベルトがベッドで隣に腰掛けると、身体がキスをする体勢になる。
前ほど緊張しなくなって、むしろ落ち着くような、好ましいような感覚が生まれてきた。
ーーーなるほど、そうか。
頭の中に天啓が降りてくるのを感じた。
晴れ渡る景色。理解とはこのように急に訪れる。
俺は机に向かって書き物をしていた。
一日の終わり、寝る前に、細かな記帳をするようにしている。倉庫の備品の在庫を書き留めていたのだ。
ノルベルトはちょうど風呂から上がってきたところだった。ぽかぽかしているのか、やや目がとろんとしている。
「ノルベルト!」
俺は椅子から立ち上がり、ノルベルトに勢いよく駆けていった。羽ペンがころりと床に落ちたが、まああとで拾えばいいだろう。
ノルベルトは「どうした」と、慌てた様子で俺に向き直る。
「キスのコツが分かりました!」
「……え?」
俺は満面の笑みで続けた。
「ここのところノルベルトと練習していたでしょう。ずっと考えてたんです。どうしたらキスが上手にできるのかなって」
「あ、ああ……そう」
「そしたら気づいたんです! 技術じゃないんですよ! なんだか分かりますか?」
ノルベルトはやや引いたように「さあ……」と答える。
「それは”信頼”です。相手に心を預けること、相手をすべて受け入れること。これですね。おかげで誓いのキスの意味も分かりました。人生を共に歩むパートナーであることの証明だったのですね」
俺は誇らしげに答えた。先ほど降りた天啓と自分の理論を合わせて組み立てる。
ああ、納得した。すっきりした。よかった。キスはコミュニケーションの一種なんだな。
そりゃ、結婚式で行うキスは失敗しないはずだ。信頼関係が築けている相手とキスをするんだもの。角度や手の位置なんかどうだっていいはずだ。
さっそくフローラに教えてあげないとなーーー、と、頭の中でスケジュールを立てる。
「アベル、……もし、そうだとしたら」
「どうしました?」
ノルベルトは顔を真っ赤にして、口元をおさえていた。
「アベルは、俺を……信頼して、心を預けてくれていたのか」
……今度は俺が、顔を赤くする番だった。
翌日、フローラに会いに行った。恥ずかしいからノルベルトには別の仕事を任せておいた。
「フローラ、キスのコツですが」
「わかったんですか!」
「ポールに相談しなさい。ポールとたくさん練習を重ねなさい」
「……それは、やだって言ったじゃない」
フローラはやや涙目になった。
俺はぐっと唇を噛む。
「キスは信頼です。上辺だけの技術を身につけても、ふたりが幸せな結婚を歩めるとは思えません。失敗も受け入れられるくらい何度も繰り返し練習して……、その絆が夫婦を作るのですよ」
なんだかもっともらしいことを言ってるなぁ。と、白々しく感じる。
……が、まあ、実感のこもったアドバイスだ。
実際、ノルベルトには何度もキスをしてもらった。途中で俺がびっくりして唇を噛んだこともあったし、歯がぶつかったこともあったし。
でも、むしろその積み重ねで理解できたこともあるのだ。
ノルベルトが、俺を傷つけないように細心の注意を払ってることとか。
……ノルベルトが、思っていたより俺のことを大切にしてくれてること、とか。
「……でも、嫌われたら」
「ポールはそんな人じゃないですよ。大丈夫。みんなフローラのことを分かってますから。失敗してもいいんです」
「……わかった」
フローラはぐっと手を丸めた。覚悟を決めたようだ。
まあ、これでフローラは大丈夫だろう。そこまで理解のない子じゃない。
「ありがとう、アベル様。たくさん考えてくれたんですよね」
「…………まあ、そう、ですね」
「私も頑張る」
フローラはにっこりと笑う。
俺は胸の奥がぽかぽかした。
頑張ってよかったな、と感じた。
その日の夜。
寝る支度を整えた後に、ふたりでベッドに腰掛けていた。
ノルベルトにフローラのことを話した。
今回の件はノルベルトの協力が不可欠だったので、改めてお礼を言った。
頑張る、というフローラの言葉を伝えると、ノルベルトはやや不器用に笑っていた。
「……では、もう、キスの練習は終わりなのだろうか」
ノルベルトはやや眉根を下げた様子で尋ねた。
ーーーそうですね。
と、言おうと思っていた。
本当はこれまでのお礼とともに終わらせるつもりだった。
けれど、もうキスをしなくなる、と思うと、なんだか胸の奥をきゅうっと握り締められたみたいな、じくじくと化膿したみたいな痛みが走った。
「ノルベルトは、キスの練習、いやでした?」
「全然。むしろ、……」
「…………じゃあ、もうちょっと、続けます?」
ノルベルトは目を丸くする。
ずるい言い方をしてしまったな、と少し眉を下げた。
……もしかしたら今後、また村人から相談を受けるかもしれないし。とか、せっかく練習できる機会があるのだから、とか。そんな言い訳が浮かんでくるけれど。
本音を言えば、ただ、俺も終わらせたくなかっただけ。
微笑みを返すと、ノルベルトはそっと頬に手を当てた。
キスをする合図だ。
青い瞳と視線があう。胸が高鳴る。
「……続けたい」
「わかりました」
目を伏せる。ノルベルトの唇が近づく。
そっと触れる。爽やかな石鹸の匂いがする。
もう少しだけ、もう少しだけ。
俺たちはキスの練習を続けることにした。
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