第24話 キスしてくれませんか?
俺の頼みを聞いて、ノルベルトは固まってしまった。
「な、なにを言ってるんだ」
「キスです。私としてくれませんか?」
「いや、だって……その……」
ノルベルトは真っ赤になった。
俺だって何も考えなしに言っているわけではない。フローラの相談に答えるためだ。書に書かれていないなら、俺が技術を身につけるしかない。
キスの経験がないなら、やってみればいいじゃないの。
俺は導き出した答えに満足していた。
かといって、さすがにキスをするなんて村人に頼むのは気まずすぎる。
長年ずっと見てきた村人たちには、もはや身内のような感情を抱いていた。
けれど、ノルベルトならいいかって思えた。なんとなく。
俺はノルベルトの手を取って、瞳を見つめた。
「お願いします、ノルベルト。正直に言います。私、キスしたことないんです」
「あ、ああ。だろうな……」
「だから、うまくアドバイスもできないんです。こんな体たらくでは聖職者失格です。フローラの期待に応えられないままじゃ、嫌なんです」
ノルベルトはうう、と唸る。やっぱり嫌かな。
うーん、たしかに。俺も、付き合ってもない男とキスするとか嫌かも。
……可哀想なお願いをしてしまったな。
なんでか分からないけど、ちょっと気持ちが落ち込んだ。
そっとノルベルトの手を離す。
ノルベルトは、「え」と困惑した表情を浮かべていた。
「すみません、困らせちゃいましたよね。そうですよね。私とキスとか……嫌ですよね」
「え、いや、そうじゃなくて……」
「他の誰かに頼むことにします」
「待て、俺がやる」
さっきまでの困惑から一転、ノルベルトがぐいっと距離を詰めてきた。目が血走っている。え、なんで?
「え、いや、いいですよ。嫌なんでしょう、キス」
「嫌じゃない。俺がやるから他の誰にもそんなこと言わないでくれ」
「えぇ……でも、さっき困ってたじゃないですか」
「困っ……たけど、覚悟の問題だ」
そんなに覚悟してやられるくらいなら、別に。
もっと気軽にやってくれる人に頼むのだが……。
ノルベルトは俺の手を強く握る。本気だ。
……まあ、いいか。ノルベルトはキスの仕方を知っているみたいだし。
「……じゃあ、お願いします」
ベッドにふたりして並んで腰掛ける。
ぎしり、と古い木枠が軋む音がした。
ランプの明かりが部屋の中を優しいオレンジで照らしていた。
ぱちぱちと薪が爆ぜる音だけが響く。
ノルベルトの青い瞳がぎらりと輝いていた。
無言が続く。呼吸音が耳に残る。
いざキスをするとなると緊張する。心臓が痛い。
なんか喋ってほしい、むしろ。
ノルベルトが俺の頬に手を添えた。ごつごつした男の手だった。
そっと撫でるように添えられたので、むず痒さにびくりとする。
おずおずと見上げる。ノルベルトが真剣な表情で呼吸を整えていた。
……あれ、キスって何するんだっけ。
唇を合わせればいいんだよな?
あれ? どうやって?
心臓がばくばくと脈打つ。
こんなハズじゃなかった。もっとみんな、気軽にやってそうだったのに。頭が真っ白になる。
「アベル」
低い声で名前を呼ばれ、そして
ーーーー唇が、触れた。
「っ!」
肩がびくりと跳ねる。恥ずかしさに顔が燃えそうだ。
ノルベルトの服をぎゅっと掴んだ。
何かに掴まってないと意識が飛んでしまいそうで。
やばい、どうしよう。
混乱して震えていると、ノルベルトはそっと唇を離した。
一瞬だけのハズなのに、なぜだか熱が残っていた。柔らかい感触が消えない。
身体の内側から、白いような爆ぜるような何かが込み上げてきて、頭がいっぱいだった。
「……これが、キスだ」
「あ、……ありがとう、ございます、」
俺は激しく脈打つ心臓をおさえるのに必死だった。
……世の人間は、こんなことを人前で行うのか。
おかしい。おかしいだろ、結婚式。身内も見るんだぞ。
「緊張しました。フローラが不安になるのも分かります」
「……そうか」
顔を手でパタパタと扇いだ。早く顔の熱さが引いてほしい。なんだかノルベルトの顔が見れない。
ぶわっと何かが溢れ出して、それは今もあふれてて。柔らかい感触がずっと残っていて。胸がギュッと締め付けられて。
少し触れただけなのに。まだ頭がふわふわしている。
キスの仕方を覚えるどころじゃない。………。
そして、ハッと気づく。
「どう、……どうしましょう、ノルベルト」
「どうした」
「私、びっくり、しちゃって……。角度とか、手の位置とか、記憶してません。フローラに教えられない……」
せっかくノルベルトがキスをしてくれたのに、俺はキスの仕方を覚えていなかった。
恥ずかしさと後悔で、涙が鼻元にあがってくるのを感じる。申し訳なくなる。
少し目頭を押さえて、すぅっと息を吸う。
落ち着け。焦りが一番だめだ。
「もう一回……してくれませんか?」
「えっ……、も、もう一回……?」
「……いや、ご迷惑ですよね、すみません。私がうっかりしてたせいです。なんとかするんで、大丈夫です」
「ダメだ。俺がする。何回でもする」
ノルベルトががしっと俺の肩をつかんだ。さっきより力が強い。
びっくりして顔を見上げると、縋り付くような表情で俺を見つめていた。
「慣れるまでやろう。落ち込むな。最初からうまくできる人間はいない」
「……いいのですか」
「いい。むしろ嬉しい。だから他の奴としようとしないでくれ」
力強い声に、なんだか安心してしまった。俺はほっと息を吐く。
ここまできたら一回も二回も一緒だ。二回目なら緊張しないかもしれない。
ーーーお願いします、と、声に出した瞬間、ノルベルトは俺の唇を勢いよく塞いだ。先ほどより早急で、必死さが滲んでいた。
ノルベルトの服を握っていたら、その手も絡め取られた。驚いて引っ込めようとしても、逃がさないとばかりに、強く。
指と指が絡まるように握られて、縋り付くしかできない。
どうしよう、またふわふわする。体温がまた上がって、息がうまくできない。
唇が、全身が、きもちいい。
あと何度、キスをしたら、この熱さに慣れるのだろうか。
早く慣れてしまいたいような、
けど、もっと何度もしてみたいような。
胸の奥が切なく潰れる感覚がした。
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