第22話 キスってしたことある?
「アベル様、アベル様! あの……聞きたいことがあるの!」
カローラの家で結婚準備の相談が終わったところだ。
ソファの後ろから、フローラが俺のカソックを引っ張った。こそこそと隠れたがっているようだが、声が大きくてバレバレだ。
前のソファに座る母親のカローラは、見ないフリをして「じゃあ私は部屋に戻りますね」と席を立つ。
長年の勘なのか、母親には聞かれたくない話だと気づいたのだろう。
広いリビングルームにはフローラとノルベルト、そして俺だけが残される。
テーブルの紅茶はやや冷めていた。
窓の外の雪は少し落ち着いたように見える。もうすぐ夕方だ。
フローラは十八歳になる女の子だ。おてんばで、天邪鬼で、気が強くて……。
村の青年・ポールとの結婚に際しても、オブラートに包んで言えばドラマチックな展開、率直に言えば振り回される展開が巻き起こっていた。
とにかく行動と思考と感情が合ってない。
衝動にぐるぐるとしている様子は傍目には可愛らしいが、面と向かって”聞きたいこと”があると言われると身構えてしまった。今回は何をしなければならないんだろう。
俺は笑顔を崩さないようにして、フローラに向き直る。
「どうしました? フローラ」
「アベル様、あの……き、キスって……し、したことある?」
「は?」
ヤバい。素で驚いてしまった。思ったより低い声が出た。
急いで笑顔の仮面を付け直す。
隣に座っていたノルベルトも、フローラの質問に若干ギョッとした顔をしていた。
目の前のフローラは顔を赤くして「違うの違うの!」と叫んだ。
「ほ、ほら! 結婚式だと、誓いのキスをするでしょう?」
「……そうですね」
「で、でも、ほら! じ、じつは私、したことなくて……! し、失敗したらどうしようとか、考えちゃうの」
「はあ」
フローラは半分涙目だった。
可愛らしい少女なんだけどなぁ。
こう……純情というか、なんというか。
「唇を触れさせるだけでしょう」
「そういうことじゃないでしょ! 誓いのキスなのよ! 情緒がないわね、アベル様は!」
「……私は何度か結婚式を取り仕切ってきましたが、キスに失敗したカップルはいませんでしたよ」
「で、でも! わ、私、どんくさいし。ポールにも恥ずかしい思いさせちゃうし、私、その……不安なの! みんな見てるんでしょう。これで幻滅されて、別れとか切り出されたら……」
そんなんあるわけないだろ……というか、そんなことで別れを切り出す奴なんか別れてしまえ。
と、聖職者にあるまじき考えが浮かぶ。
一応結婚は神前の誓いである。
そんな簡単に破るのを推奨するのはよくない。
「ポールと練習したらいいじゃないですか」
「そんな恥ずかしいこと言えるわけないでしょ!」
「なぜ? 結婚するんでしょう? 不安は分かち合った方が」
「や、やだ! だって、わ、私がそんな、キスもできない子だって知られたら、ポールに嫌われちゃうかもしれないじゃない!」
「いや、そんな……」
そんなわけないでしょう、と、かける言葉が小さく萎んでいった。真っ赤になって泣きそうな顔を見ていると。
フローラは強気な性格をしているが自己評価が低い。反面プライドは高くて、特に好きな人の前では完璧でいたがる。
まあ、村のみんなや、特に結婚相手のポールは、フローラが実はそんな性格だってことくらいわかっているのだけれど。ポールだって難しいことを考えるタイプではないし。
……だけれど、少女期のフローラを見守っていた立場からすれば、彼女の気持ちは理解できるところがあった。
「……わかりました。それで? フローラは何が知りたいんですか?」
やや呆れ気味の声になってしまったが、フローラは目を輝かせた。
「アベル様はキスしたことある?」
「秘密です。聞きたいことはそれじゃないでしょう」
「ん~~~。その、うまくやるコツ、とか……技術っていうか……」
「コツ……? 技術……?」
「ほ、ほら! 角度とか手の位置とか! 練習すれば身につくかもしれないでしょ!」
「え~~……」
具体的な技術は知らん。ていうか俺はキス自体したことないんだけど。
角度とか手の位置なんて考えたことすらなかった。もっと結婚式で誓いのキスを観察しておけばよかったな。
どうしよう。でも、この状態のフローラを放置すると何をしでかすか分からない。
結婚式を成功させたい気持ちは俺にもある。新婦が不安だったら式もうまくいかないだろう。しょうがないなあ、もう。
「……キスですね。やり方、ちょっと調べるんで。後日の回答とさせてください」
隣に座っていたノルベルトが、がしゃんとカップを落とした。
(((キスについて調べるって、何するつもりやねん)))
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