第15話 悪夢
※流血注意
暗闇で、俺は必死に走っている。
どこだかわからない。いや、知っている。
ーーーこれは、"あの日"だ。
枯れた草、湿った土、
頭上から差し込む日は木の葉に遮られてほとんど届かない。
泥だらけだ。触れる空気が冷たい。
息が切れて、どっちに走ればいいか分からなくて。
キィン、と、金属がぶつかる音がする。剣だ。背後から怒号が聞こえる。
人のおぞましい笑い声がした。友達の悲鳴がした。木が倒れる音がした。
全部、どこか遠いところで起きているようだった。
ーーー助けて、
手や背中は、切り傷で一杯だった。足の裏は土でボロボロだった。
ただ足を動かして、背後の人間から逃げる。刃がいつ俺に届くかわからない。
やめて、ころさないでーーーーーーーー
「っ……!」
目が覚めると、心臓がうるさく脈打っていた。
全身から嫌な汗が噴き出していた。べたべたして気持ちが悪い。
呼吸を整えて、震える手を握り締める。
数年前のある日、俺は魔物の友達と一緒にツヴィンガーの森に出かけた。
そこで突然、クヴァドラート騎士団の襲撃に遭った。
俺はひとりで逃げた。友達を振り返る余裕はなかった。
あれから、友達が生きているのか、どうなったのかはわからない。
恐怖と罪悪感が脳裏にこびりついているのか、たまに俺はあの日の夢を見る。
最近は見ていなかったのに、”魔物”と聞いて思い出してしまったのだろう。
見慣れた部屋に、ほっと息を吐く。心臓はまだ嫌な音を立てていた。
日は昇っていない。
再びベッドに潜り込むも、眠気は訪れなかった。
北東に現れたグレッチャー対策は早急に進んでいた。
クラウスには柵の補強を、青年たちには見回りをお願いした。
ノルベルトも見回りに加わってもらうと、村人たちは「本物の騎士様に村を守っていただけるなんて光栄だ」と喜んでいた。
ここ数日、グレッチャーは姿を見せていない。
杞憂だったかも、とは思いつつ、警戒しすぎることはない。
農園の端で、村を囲むようにお香を焚くことにした。獣避けのお香は香りの強い薬草を数種類ブレンドして作る。
だが、倉庫にはアーマイゼの花が足りなかった。夜にしか咲かない白い花で、昼は他の草と見分けがつかない。
採取に行かないといけないな、と、脳内でスケジュールを組み立てる。
明日からは天気が崩れそうだし、行くなら今夜だ。群生場所もそんなに遠くない。ノルベルトには先に休んでおいてもらおう。
「私は仕事がありますので」と伝えると、ノルベルトは頷いていた。
夜。
皆が一日の仕事を終え、眠りにつく頃だ。風の音がするほかは何も聞こえない。
月明かりがあたりを照らす。ランプがなくても支障はなかったかも。
ノルベルトを拾ったときもこんな夜だったな。と、たった数週間前のことなのに懐かしく感じた。
歩を進める。足元には白い花がちらちらと咲いている。
アーマイゼの花だ。咲くとハッカのような香りがする。人間や人間に近い魔物にはいい香りに感じるが、獣タイプは苦手らしい。
しゃがみ込んで麻袋に入れる。
すると、後方から誰かの声がした。
ーーー、ーーーー、
立ち上がり目をこらすと、ノルベルトが叫んでいた。剣を腰につけている。
今日の見回り当番はノルベルトではなかったはずだけれど。
「ノルベルト、どうしました」
できるだけ声を張ると、ノルベルトは俺に気がついた。
そして、勢いよくこちらに駆けてきた。
瞬間、
俺の背後から、黒い影が覆ってきた。
「っ!」
地面に身体がぶつかり、鈍い痛みが走る。
振り返るとグレッチャーだった。興奮しているのか、ぐるぐると喉が鳴っている。魔物特有の赤い瞳がぎらりと光った。
鋭い牙が覗く。ヒュッと息を呑んだ。
グレッチャーの力は強く、蹴ろうにも足は空中を泳ぐしかできない。
「アベル!」
ノルベルトが剣を抜く。
月明かりに刃の光が反射した。
ーーーーあ、
甲冑の、大剣をもった男たち。暗闇で光る刃。
俺に襲ってくる。怒号。悲鳴。
脳裏に、数年前の記憶がフラッシュバックした。
グレッチャーはノルベルトを視野に入れると、勢いよく俺から退いた。数メートル距離を取り、牙をむき出しにして威嚇する。
ノルベルトは剣をかまえ、今にも斬りかかろうとしている。
俺は地面に伏せたまま、ノルベルトを見上げる。
ガタガタと震えた。視界は涙で歪む。
こわい、こわい、こわいーーーー
「やめて、たすけて、ころさないで」
地面にうずくまって、頭を抑えて、泣き叫んだ。
"あの日"じゃない、おれじゃない、わかってる、はずなのに
もうパニックになっていた。
自分でも何を叫んでいるのか、わからない。
「アベル、どうし……」
ノルベルトが俺に近づく。
その瞬間、グレッチャーがノルベルトに襲いかかった。
鋭い牙がノルベルトの右腕に深く突き刺さる。
血が噴き出した。ノルベルトの顔が歪んだ。
歯を食いしばって、ノルベルトは大きな獣の身体を左腕で殴り飛ばす。
巨体のオオカミは空を飛び、ぎゃいん、という悲鳴が響いた。
ノルベルトは持っていた剣を捨て、側に転がっていたランプを投げつける。
がしゃん、と大きな音が鳴って、ランプがぶつかった。グレッチャーは勢いよく逃げ出した。
獣が駆ける音が遠ざかっていく。
ランプは壊れ、火は消えていた。辺りには月明かりだけが残された。
ノルベルトは息を切らし、苦痛に顔を歪めていた。
右腕からはぼたぼたと血が垂れている。傷は深そうだ。
「ノルベルト、………」
「大丈夫だ。気にするな」
「……ど、どうして」
「とりあえず教会に戻ろう。立てるか?」
まだ俺の全身は震えていた。泣きじゃくったからか視界が歪んでいる。顔を拭うと、涙と汗で濡れていた。
息を整えて、小さくうなずく。
ノルベルトに支えられてゆっくりと立ち上がった。
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