第12話 収穫祭:本番 心臓がうるさいんですけど
天気は晴れ。からっとした空気が過ごしやすい。
広場には村中の人が集まっている。
中心には藁が敷かれた祭壇と、昨日クラウスに調整してもらった神具がある。
「我ら、陽の恵みに抱かれし民」
祝詞を口にすると、ざわついていた広場はしん、と静まりかえった。
「天より注ぎし御光により、我らは生きることを許された」
レンズから光が集まる。用意していた藁に火がともる。
「聖なる光を讃え、喜びの祭を始めましょう」
ーーー収穫祭が始まる
「神父様ー! アップルパイあるわよ!」
「神父さまー! こっちもこっちも!」
「はーい、行きます行きます~」
点火の儀式が終われば、あとはどんちゃん騒ぎの始まりだ。
村人はわいわいとした空気で祭りを楽しんでいる。
各家庭から持ち寄られた豪華な食事の数々。肉料理やジュースにお酒、めったに食べられないスイーツも。
婦人たちに呼ばれ、豪華なアップルパイを一切れもらった。リンゴはこの村の特産品だ。
「ノルベルトもどうぞ」
隣に立っていたノルベルトにアップルパイを一口差し出す。フォークに刺して、あーんとする形で。
ノルベルトは一瞬目を丸くした。けれど、勢いよく俺のフォークにぱくりとかぶりついた。
「…………うまい」
「よかった~。ですよね。ゾフィーのアップルパイは美味しいんですよ~」
婦人たちはノルベルトの反応にとっても満足そうだ。頬を赤らめ、きゃーと黄色い歓声が上がった。
イケメンはすごいなぁ。食べるだけでこんなに人を喜ばせられるんだから。
作った本人のゾフィーは誇らしげに笑っていた。
「嬉しいわ。ありがとうございます、ノルベルト様」
「今まで食べたアップルパイのなかで一番うまい」
「ふふふ、よかったわ。たくさん食べてちょうだいな」
婦人たちから他の料理も手渡された。手元の皿はすぐいっぱいになり、食べきれるか心配になるほど。でもひとたび口に入れると、おいしすぎていつの間にかなくなってしまう。
婦人たちと話していると、村の青年たちからも声をかけられた。
ノルベルトを連れて向かい、グラスを一杯もらう。少しだけ口につけて、輪に加わった。
あちこちの集団に顔を出して、一年の労をねぎらう。
小さな村だから大体のことは把握しているが、こうして改めてお礼を伝えられる場があるのは助かる。
(……すごい熱量だなぁ)
あっという間に時刻は夕刻になっていた。陽は傾き、空はオレンジ色だ。
大体この時間から祭りは大人の時間になる。
強い酒が出て、クセの強いおつまみが振る舞われるのだ。
一日中ひとの話を聞いて飲み食いしていると、さすがの俺でも疲れてくる。
「少し休みますか、ノルベルト。あちらにベンチがありますから」
「! あ、ああ」
人の少ない方へ案内し、ベンチに腰掛けた。広場の中心では若者が歌い、叫ぶ声がする。
久しぶりの静寂にほっと息を吐いた。
ノルベルトは酒が入っているのか、やや頬が赤い。手元のグラスは空だ。何度かグラスを交換していたから、けっこう飲んでいるのかもしれない。
「アベルは酒を飲まないのか」
視線は俺のグラスに注がれている。
今日、俺はほとんど酒に口をつけてなかった。
いい香りの発泡酒は炭酸が抜け、ぬるくなっている。
「お酒、苦手なんですよねぇ」
へにゃりと笑ってごまかす。
俺はあまり酒を飲んだ経験がない。この村に来て初めて酒を飲んだが、深く飲まないようにしていた。実際は多分、弱くもないが強くもないと思う。
もし酔い潰れて”変化”の魔法が解けてしまったら。自分の正体をぽろっと零してしまうことがあったら。
そんな不安もあり、酒はできるだけ飲まないようにしていた。
「弱いのか」
「んー、そうですね。すぐ赤くなっちゃって」
「……見てみたい気もする」
「なに言ってるんですか。面白くないでしょ、男の顔が赤くなったって」
「面白い。可愛い。見てみたい」
「酔ってます?」
「酔ってない」
「酔っ払いはすぐ酔ってないって言うんですよね」
ころころと笑うと、ノルベルトは唇を噛んだ。
酔っ払いは支離滅裂な言動をするけど、ノルベルトもそうだったとは。あまり顔に出ないだけでそれなりにアルコールが回っているのかもしれない。
「ノルベルトはお酒が好きなんですか?」
「酒が好き、というわけではないが。ここの酒は好きだ」
「へえ、よかった。嬉しいです」
「こんなにたくさん飲んだのは初めてだ」
ちらりと視線を向けると、ノルベルトは口角を緩く上げていた。
思ったより楽しんでくれていたようだ。準備した甲斐があったな、とふと胸が温かくなった。
手元のグラスをもてあそんでいると、ノルベルトは俺にそっと右手を差し出す。
「グラスを」
「え?」
「もう飲まないのだろう? もったいない。俺が飲む」
「……ぬるくなってますよ」
「いい。ここの酒はそれでも美味い」
俺はおずおずとグラスを差し出した。
例年では、残すのはもったいないので、祭りが終わった後に一気飲みしていた。酔うリスクを考えると避けたかったから、正直ありがたい。
もしかしたらノルベルトはそこまで気づいていたのかな。
俺の分の酒を飲み干す横顔を見て感じた。不器用で分かりづらいけど、そうした気遣いはできるひとだ。
それからぽつりぽつりと、思いつくままに会話をした。
王都でもパーティーはあるが、貴族の屋敷で開かれる堅苦しいものらしい。ドレスは豪華絢爛で、ぶつからないかヒヤヒヤする。あまり好きではなかった、とのこと。
リュトムスのお祭りは全然違うように感じられた。
大まかなタイムテーブルがある以外は結構自由だ。誰がどこにいて何を話してもいい。去年は青年がたいまつのそばで大声で愛を叫んでいた。ノルベルトに教えると、驚きながらも笑っていた。
祭りの声も遠くに感じる。
どれくらい話していたか、空はオレンジから紫に変わり、群青へと差し掛かっていた。爽やかな風が通り抜ける。
そろそろ戻らなければ。歌やダンスが始まるころだ。
「ノルベルト、そろそろ行きましょうか」
「…………ああ」
「ダンスが始まりますよ」
「行く」
早。
ダンスと聞いてすっくと立ち上がった。練習中も嬉しそうだったから、とても楽しみにしていたんだろう。
俺としては、楽しみな反面、皆の前でぎこちない踊りをするのが怖いのもあった。
うつむきながら歩いていると、皆でダンスをする広場まで到着してしまった。
パチパチとたいまつが燃える音がする。酔っ払いの楽しそうな声が響いて、太鼓が打ち鳴らされている。もう踊っている若者がちらほらと見受けられた。
頭の中でステップを振り返る。
ワンツースリー、ワンツースリー。右足、左足。
間違えないようにしなければ。不安で心臓が押しつぶされそうだ。
「アベル、今日のダンスだが」
「は、はい……」
顔を上げると、ノルベルトは優しい瞳で俺を見下ろしていた。
「アベルはステップの基本ができている。リズムは十分に身についただろう」
「そう、ですかね」
「あとは移動の方向を意識するだけだ。だが、今日は気にする必要はない」
「え、でも」
ノルベルトは手にしていたグラスをテーブルに置いて、軽く服を整える。
「リズムだけ感じて、俺に身体を預けてほしい。リードする」
そして、右手を差し出し、騎士のようにかしずいた。
今までの朴訥な雰囲気から一変、気品の溢れる動作だった。
「俺と、踊ってくれますか?」
かぁっと、頬が熱くなる。
やばい、なんでだろう、
わかんないけどーーーーー
心臓がバクバクとうるさかった。
「は、はい……」
右手を乗せる。温かい。
練習で触れていたはずなのに、妙に意識してしまった。
ノルベルトは微笑んで俺の腰に手を添えた。
近づく距離に頭がいっぱいになる。ふとリンゴ酒の香りがして、少しくらりとした。
ワンツースリー。ノルベルトは他の村人に聞こえないように小さく呟いた。合図だ。
ステップを踏み、リズムを掴む。
ノルベルトが大きく右足を踏み出し、踊り出す。
つられて身体が動いて、ちょっとびっくりした。
リズムに合わせて踏み出すと、全身が軽やかに動く。
ーーーあ、たのしい、かも。
難しいことは考えないで、ただノルベルトに身体を委ねた。
回るたびに風を感じて、心が躍った。
肌の上をぴりぴりと音楽が走る。
(踊れてる! やった!)
気がつくと笑みがこぼれていた。
嬉しい、楽しい、ステップを踏むのがこんなに気持ちがいいなんて。
ノルベルトに視線を向けると、青の瞳が優しく俺を包み込んでいた。
その甘さに心臓が高鳴る。
頬が熱くなる。触れている手が震える。
自分が今どんな顔をしているのか分からない。
(まってまって、やばいかも、やばい、かもーーー!)
頭が真っ白になってステップを間違えた。
不意に顔の距離がグッと近づく。
ノルベルトがカバーをする。
途端に、おお、と歓声が上がった。いつのまにか村人たちの視線を集めていたようだ。
やばい、どうしよう、が、頭の中でぐるぐると回っていた。
何がヤバいとかは言葉にできない。
言葉にしたら俺の中の何かが崩れてしまう気がした。
ただ、頬が熱くなって、体温が高くなって、
胸が苦しくって、もっと触れてたいって思って、
ずっとこのままでいたいと思って、
でも早く終わってほしくて、
あんまり見つめてほしくなくて、
(ーーー恥ずかしい)
そんな訳の分からない感情が波のようにあふれ出していた。
ブクマ&評価、ポチッとよろしくお願いします~!!