亡者の影
葬儀には数々の禁忌がある。ふとしたきっかけでそれを犯した時、奇怪な非日常の扉が開く。
大正十一年生まれの亡母は、盂蘭盆に訪れる祖霊のことを、「盆さん」と呼んでいた。そして、その送り迎えには麦わらを焚き、「盆さん」の乗り物だという茄子の牛だの、トウモロコシの髭を尻尾にした胡瓜の馬だのをこしらえて精霊棚に飾っていたにもかかわらず、「盆さん」は虫に乗ってやってくるのだと言って、盂蘭盆の期間は私に虫を捕ることを禁止した。
虫たちがこの特待期間のことを知っていたはずはないのだが、不思議なことに、盂蘭盆とその前後の数日間に限って、大きな黒アゲハが勝手口から入ってきて居間を飛び回ったり、子供部屋のある離れにゆく廊下の真ん中で、緑色の大蟷螂が二丁の鎌を振り上げて、門番よろしく身構えていたりしたものだった。
盂蘭盆に関わるタブーには他に水遊びがあって、川遊びどころか、学校のプールに行くことさえ禁止されていた。お盆に水に入ると、何者かに水中に引きずり込まれてしまうというのだ。祖霊がそんな悪さをはたらくはずはないから、この時期には悪霊も現世にやってきているということなのだろう。
生ける者と死せる者が秘かにひしめき合う、この古い魂祭りの頃、私の故郷の信州では、昼間はアブラゼミとミンミンゼミが鬩ぎ合っていても、夕暮れにふっと暑さが緩むとツクツクボウシが鳴く。まさに折口信夫の言う、「暑さの峠を越そうとする頃の、どうかすれば朝夕の蜩の声が何かの寂寥を感じさせる時分」である。
前置きが長くなってしまったが、お許し願いたい。これからお話ししようとしている奇妙な体験も、盂蘭盆直前の頃の過剰な「生と死」の狭間の静寂、再び折口信夫の言葉を借りれば、「日の光りの照り極まった真昼の街衢に、電信柱のおとす影。どうかすると、月の夜を思わせる静けさの極み」の中での出来事なのだった。
信州の秋の訪れは早い。甲子園の野球大会が決勝戦を迎える頃にはすでに赤とんぼが空を舞い始め、お盆が終わっていくらもたたないうちに学校が始まってしまう。それだけに子供たちにとってお盆の頃の遊びはかけがえのないもので、毎日近所の猫の額のような児童公園に集まっては、それこそお互いの顔がろくに見分けられなくなる時分まで遊び続けたものだった。
そして、その頃私達が決まって最後の遊びに選んだのが影踏みだった。狭い敷地の中で、夕暮れの日射しで長く伸びた影を引きずりながら逃げ回るのはたやすいことではなく、私のような鈍足が交じっていても、程よいところで鬼の交代が起こる。その上、日が完全に沈んでしまえば影踏みは続けられない。帰りが遅くなりずぎて叱られないうちに遊びを切り上げるよう踏ん切りをつけるためにも、この遊びは好都合なのだった。
そんな次第で、私が小学五年生だった五十年近く昔の夏の終わりにも、私達は毎日夕暮れ時に影踏みをしていた。ただ、あの夏はいつもと違ったところがひとつだけあった。お盆直前の数日間、私達が影踏みを始めると見知らぬ男が現れて、じっとベンチに腰を下ろしたまま、私達が遊ぶ様子を最後まで見物してゆくのだ。
男は公園のすぐ近くの板金工場で働く工員らしく、機械油で薄汚れた作業着姿で年格好は三十代末から四十代半ばに見えたが、それはむさくるしい無精髭や垢染みた風貌のせいで、後になって言葉遣いなどから振り返ってみると、実際の年齢はもっと若く、ことによると、二十代の後半ということもあり得たかもしれない。
私が男と言葉を交わしたのはただ一度、男が最後に公園に姿を見せた八月十二日のことだった。その日は翌日の墓参りにそなえて家族で花市に出かけるという者が多く、鬼役がひとめぐりしたところで影踏みは切り上げということになったのだった。
私はというと、例年なら祖母と一緒に花市に出かけて、蜂の巣のような形をした蓮の実(ずらりと並んだ穴の中に収まっている、ほのかな渋みのある種子が私の好物なのだ)や、蒲の穂を買うのを楽しみにしていたのだが、あの年は祖母が体調を崩して寝込んでいて、盆花は父が勤め帰りに買ってくることになっていた。そのため他の仲間達のように早く帰宅する必要はなく、私は何となく取り残されたような気分で公園内をぶらついていた。
別段面白いと思うわけでもなくブランコなど二、三の遊具を渡り歩いた後、喉の渇きを癒そうと水飲み場に足を運んだ時、私は例の工員がベンチに腰を下ろしたまま、じっとこちらを見つめていることに気がついた。いつもなら、影踏みを終えて様子をうかがうと、ベンチはすでに空になっているのに、なぜかその日はベンチの背にもたれて紙巻き煙草をふかしたまま、一向に立ち去ろうとする気配がなかった。
水飲み場に立った私は夕日を背にしていて、男は煙草をくわえたまま少しまぶしそうに目を細めながらこちらを見ていた。実際のところはまぶしかっただけなのかもしれないのだが、私にはなぜかその表情が自分に微笑みかけているかのように見えた。
何件も誘拐事件が起こっていた時分で、『人さらい』かもしれないから絶対に知らない人についてゆくなと大人達からはうるさく言われていたのだが、私はなぜかこの男に興味と親近感のようなものを抱いた。あるいは黄昏時のもの寂しい気分も手伝っていたのかもしれない。いずれにしても、男がこちらに危害を加えようとする危険がないことは、ここ数日で確信することができた。犯罪のような思い切った行為にはそれなりの、負のエネルギーとでも呼ぶべきものが必要となる。だが、私達に注がれる彼の眼差しはいつもごく穏やかで、いくぶん生気を欠いているとさえ言えそうなものだったのだ。
子供にとって、大人が自分に強い関心を持っていると感じるのは非常に気分の良いものだ。殊にそれが玩具屋や菓子屋など、商売で子供の相手をしている人物ではない場合は。
私は男の視線を感じながら再び遊具の間を巡るうちに、少しずつ彼のいるベンチに近づいていった。やがて、ベンチまであと数歩というところまで来た時、男はさりげなく坐り直してベンチの左側を空け、私はそれに促されるように腰を下ろした。
男はマッチを擦って煙草に火を点けると、君らは本当に影踏みが好きだね、というような意味のことを言い、私は少しどぎまぎしながら、普通の鬼ごっこの何倍も面白いからと答えた。
彼は確かにそうだと言って小さくうなずくと、本体の何倍もの長さに伸びた水飲み場の影に目をやりながらこうつけ加えた。
「あっという間に姿も大きさも変わるし、影ってやつは見ていて飽きることがない。まあ、たまに不意打ちをくわされて、肝を冷やしたりするがね。夜になってもまだ暑いものだから窓を開け放しにしておいて、灯りに誘われて舞い込んできた蛾の影に驚かされるとか……」
男の言葉にはところどころに信州弁とは違った、耳慣れない抑揚があった。
「もし、影にはやっかいなところがあると言ったら、賛成してもらえるかな? 『影をなくした男』という話を知っているかい? 悪魔に自分の影をすごい値段で売って大金持ちになった男が、影がないせいで世間からひどい扱いを受けるという話なんだ。おや、工員のおっさんが妙な話を始めた、という顔をしているね。実を言うと、俺も影のせいでひどい目に遭ったくちでね、まあ、俺の場合は影をなくしたわけではなくて、その逆に近いんだが……」
男はいったんそこで言葉を切ると、ゆっくりと煙草をふかした。おそらく自分の話にどれだけ私が興味を抱いたかを確かめていたのだろう。程なく、彼は満足気に微笑みながら、自身の影にまつわる奇怪な体験を語り始めた。
あれはちょうど十年前の、七月二十八日のことだった。俺は名古屋の大学に進学して下宿暮らしを始めていて、初めての夏休みで実家に戻っていたんだが、夕飯どきに突然、親戚の伯父さんが亡くなったという電話があってね。あいにく親父は九州に出張中で翌日の通夜に間に合わないからと、俺が代わりにお悔やみに行かされることになったんだ。喪服なんて持っていないから高校時代の学生服を引っ張り出したり、寝耳に水の話でもうてんてこ舞いさ。
伯父さんというのは本家の家長で、葡萄の栽培と養豚をやっていた。まだ五十代半ばで、健康そのものだったはずなんだが、なんでも野良仕事中に首筋を蚋に喰われて、それを爪で掻き壊したのがまずかったらしいという話だった。傷口から黴菌でも入ったのか、夕食のあとでぞくぞく寒気がすると言い出して、熱を測ってみると四十二度もあった。あわてて床を取ったが、じきに意識がなくなってしまい、二日ともたずにそのまま息を引きとってしまったという次第さ。
俺の家から本家までは、二系統のバスを乗り継いで小一時間はかかる。おまけに、後半の三十分余りは舗装もされていない田舎道だ。やっとのことで最寄りの停留所に着いて、こわばった体を伸ばしながら腕時計に目をやると、時刻は午後四時をまわっていた。
七月の末だが梅雨の戻りといった感じの曇天で、歩き出す前から首のまわりがじっとりと汗ばんでくる。正直な話、気分は最悪だった。大学のサークル仲間と旅行に行くことになっていたのに、今回のことで置いてけ堀を食ったんでね。親戚に不幸があったのにそれくらいで不平を言うものじゃないってことはわかっていても、埃っぽい田舎道に一人で降り立って、整備不良のおんぼろバスから真っ黒い煤煙をいやというほど吹きかけられると、さすがに気が滅入って仕方なかった。
お袋は通夜や葬式の支度を手伝うために、前日のうちにこちらに来ていた。俺も昼過ぎには顔を出すように言われていたんだが、朝寝夜更かしの大学生ライフが染みついていたものだから、急に早起きしろと言われても無理な相談だった。目覚まし時計をかけておいたはずなのに、目覚めた時にはもう一時過ぎさ。まあ、読経が始まるのは夕方六時からで、別に通夜に遅れたというわけではなかったんだけどね。
とにかく、いくら気乗りがしなくても、これ以上ぐずぐずしているわけにはいかなかった。俺の到着が遅くなればなるほど、本家つまり親父の実家での、お袋の立場がまずくなるってことは、人間関係に疎い俺にも察しがついていたんでね。わかるかな? 子供の躾も満足にできない不出来な嫁だと、口やかましい田舎の親戚連中から白い目で見られるってことさ。
とまあそんなわけで、俺は本家に向かって歩き出した。祖父母が生きていた小学生の時分には、盆と正月は親子三人で必ず顔を出していたから、道順はまだなんとなく覚えていた。停留所から百メートルほど行ったところにある、昔ながらの赤くて丸い郵便ポストが最初の目印で、そこから右手側の枝道を下ってゆくと、用水路に沿って田圃の間を延びている畦道に出る。それをさらに五分ほど歩いた先の四つ辻に建っているのが、二つ目の目印の古い辻堂だ。四本の柱で支えられた屋根は瓦葺き、壁はなくて板張りの床は少し地面から離してあった。屋根のすぐ下のところに小さな棚が取り付けられていて、石地蔵が一体その中におさめられているんだが、もともとはあたりの者が休んだり、雨宿りするための場所だったらしい。畑仕事に牛を使っていた頃には、ここで蹄を切ることもあったんだと、亡くなった祖父さんが懐かしそうに話していたっけ。祖父さんが蹄を切ることまでやっていたのか、それともただ見物していただけだったのか、そこのところは分からないんだがね。
辻堂まで二十メートル程のところまで来た時、左手の陰からなにやら黒いものが現れた。体長一メートル弱の、やや大ぶりな野良犬だった。全身が真っ黒で、息苦しげにだらりと口から出した肉色の舌以外は、影のように見える。ほどなく黒犬は俺に気づいたらしく、四つ辻の真ん中で足を止めると、うとましそうな目つきでこちらを見た。
―野良犬がお堂をねぐらにしてやがるのか……。面倒なことになったものだと考えながら、俺は黒犬の様子をうかがった。野犬狩りのおかげで今時は野良犬なんてほとんど見かけなくなったが、あの時分にはどこにでもいたし、通学中の子供に噛みついたなんて話もしょっちゅうだった。
四つ辻まで十メートル足らずの所まで近づいても、黒犬にはいっこうに道を空けようという気配がなかった。俺は仕方なしに足元の石を拾うと、大きく振りかぶって身構えた。ここまでやればさすがに逃げていくだろうと思ったんだが、擦れていやがってさっぱり効果なしだ。
「シッ、シッ!」
そう言いながら一歩足を踏み出して脅してみたが、奴はじっとこちらを見つめたまま、ぴくりとも動かない。
―畜生、太い野郎だ……。蒸し暑さの中でこちらの苛立ちはつのるばかり、とうとう我慢しきれなくなって俺は石を投げた。言っておくが、本気でぶつけてやろうと思ったわけじゃない。こぶしほどもある石だ。山なりに投げるのが精一杯で、奴の近くに落ちて驚かせることさえできれば十分だった。それが……。
作業着の男はそこでいったん言葉を切ると、ゆっくりと目を閉じた。忌まわしい、しかし思い出さずにはいられない記憶に触れようとする時、人はこのような表情を浮かべるのだということを、私はこの時初めて知った。
当たったんだ。石が、もろに横っ腹に。奴はうめくような声を上げながらお堂の脇まで飛び退くと、怨みがましい目で俺を見た。まさか当たるなんて思っていないから、こっちも驚いたよ。とにかく道が空いたんで本家にむかったんだが、相手が野良犬とはいえ、なんとも後味が悪かった。
本家に行くにはこの四つ辻で左折することになる。俺が目と鼻の先まで来ても、奴は地面に這いつくばったまま、体を起こそうとはしなかった。その様子を横目でうかがいながら通り過ぎようとした時、俺はさらにいやなことに気がついた。奴は牝で、その腹の中には仔犬がいたんだ。それも、膨らみ具合から見て、今日明日にも生まれるというところまできていた。―あんな石つぶてに当たったのはそういうわけか……と思い当たった時、ふいに耳元で、石がぶつかった瞬間の、奴の搾り出すような鳴き声が甦った。
本家に着いて玄関口で声をかけると、伯母が真っ先に出てきて、わざわざよく来てくれた、おんぼろバスの道中は大変だっただろうとか、しばらく会わないうちにすっかり大人になって見違えたとか、こっちが悔やみの口上を言わないうちから大仰なお礼や世辞を際限なく並べ立てた。まったく、この国の弔いの決まりごとってやつはどうにも納得がいかないな。突然夫を亡くして、一番つらい思いをしているはずの妻が、喪主として客をもてなさなきゃならいないなんてさ。お袋をはじめ、女衆は皆忙しそうだったが、その連れ合い達、つまり男衆は暇を持て余している風で、大広間の隅にかたまってぼんやり煙草をふかしていた。そのくらいならもっとゆっくり、通夜の時刻に合わせて集まればよさそうなもんだが、そこをわざわざ早く集まって、遅れて来る者の噂をするのが田舎の流儀ってやつだ。
伯母に案内されて大広間に足を踏み入れた途端に、俺は一番年かさの、源三という名の大叔父につかまった。
「おう、天下のN大生様がようやくお出ましだ。ほら、こっちへ坐れ!」
「もうすぐ和俊たちが帰って来るから、しばらく我慢してね。今、俊二と二人で和尚さんを迎えに行っているのよ」
伯母は小声で申し訳なさそうにそうささやくと、あたふたと台所に戻っていった。和俊と俊二というのは本家の長男と次男、つまり俺の従兄達で、彼らが戻るまで年の近い話し相手がいなくて大変だろうが、なにかと絡んでくる年寄り連中をなんとかうまく受け流していてくれってことだ。
正直な話、二つと三つ違いの従兄達が戻ったところで、高校を出るとすぐに家の仕事を継いで働き始めた彼らと話が合う気はしなかったがね。小学生の時分はよかったよ。俺は一人っ子で兄弟で遊んだ経験がなかったから、従兄達と遊ぶのが本当に楽しかった。田舎の子供の遊びというのも新鮮だったしね。それが、進路が違ってしまうと、興味の対象だって別のものになってしまう。まあ、付き合う人間のグループが違うんだから当然の話だ。要するに、大学を出てサラリーマンになった俺の親父や俺は、ここでは余所者ってことさ。
お袋の話では、親父は出張から戻る途中、福岡で大雨のせいで足止めを食ってしまい、明日の葬式にも間に合いそうにないということだった。それで、俺に親父の代理としてしっかりやれというようなことを言うわけだが、こっちは葬式のしきたりなんてさっぱりわからない。中一の時、祖父さんと祖母さんの葬式が半年ほどの間に続けてあったが、親父の後に続いて見様見真似で焼香して、足のしびれるのを我慢しながら長いお経を聞いていただけのことだ。
今回だって同じようにふるまうしかないわけだが、口さがない年寄り連中がそれですんなり事を終わらせてくれるはずがない。近頃の若い者は学校で教えられることを頭につめ込むばかりで、世の中のことは何も知らないとか、まあ、言われそうなことはおおかた察しがつく。
そういえば、祖父さんの葬式の時、同じようなめぐり合わせになった再従兄がいた。二十歳そこそこだったと思うんだが、その再従兄が連中にさんざっぱら弄ばれている姿がふいに目に浮かんできて、俺はすっかり気が滅入った。
まあ、実際に標的にされたのは葬儀屋の新米社員だったんだがね。村には葬儀屋がないから、隣町の葬儀屋を呼んだそうなんだが、しきたりってやつは、隣り合わせの土地でも細かいところでなにかと違っているようだった。枕飯に突き立てる箸はその日に作った竹の一本箸でなくちゃならないだの、遺体の上に置く守り刀が模造とはけしからんだの、源三叔父に次から次へと文句をつけられて、やっこさん半泣きだったよ。遺体の上には本物の刃物を置いておかなけりゃ、猫に体を乗っ取られるなんてことを真顔で言うんだから、そりゃたまったもんじゃないさ。本家には代々伝わってきた短刀があったはずだと言われて、総出で捜したんだが見つかりゃしない。結局、通夜の間は模造刀でごまかして、一番危ない(と源三叔父が言う)夜中は草刈り用の鎌を置くことで話がついたんだが、叔父のほうはプロのくせに用意の悪い葬儀屋だと、えらくご機嫌斜めさ。―とまあ、こんな具合の茶番が続いたんだが、とにかく感心したのは本家の伯母さんの落ち着きぶりだった。源三叔父に言わせるだけ言わせておいて、はい、ではこうしましょうと、喪主としての判断をぴしりと下す。叔父もさすがにそれ以上は異を唱えない。本家の刀自の威厳というのはこういうものかと納得させられたよ。
通夜振る舞いの時も、この爺さんに酒が入ったら一体どういうことになるのかと内心ひやひやしていたんだが、伯母さんは息子達と三人がかりで酒を勧めて、早々に酔いつぶしてしまった。と言っても、翌日に残るような量を飲ませたわけじゃない。口は達者なままでも、酒のほうはめっきり弱くなっているってことを、端から心得ていたのさ。
源三叔父さえ寝てしまえば、後の爺さん連中は大人しいものだった。葬式の仕度が一段落して、お目付け役の連れ合い達が通夜振る舞いに顔を出し始めていたのさ。男やもめは源三叔父だけでね。脇にひかえた古女房に肘で小突かれながら飲むんじゃ、いくら好きな酒でも進むわけがない。
広間の柱時計が十時を打ったのを潮に、皆自宅に引きあげてゆき、お袋と俺は客間に床を延べてもらった。高いびきで熟睡中の源三叔父は、起こしたら機嫌を損ねるに決まっているということで、枕元に蚊取り線香を置き、太鼓腹に肌掛けをかぶせてそのまま寝かせておくことになった。
客間には萌黄色に染められた昔ながらの蚊帳が吊られていた。蚊帳で寝るなんてことは本家に泊まる時しかなかったから、子供の頃は楽しみにしていたくらいなんだが、いざその中で寝てみると、涼しげな見た目の割に暑くて寝苦しいんだな、蚊帳ってやつは。
特にその晩は風がなくて、縁側の雨戸や部屋の障子を開けっ放しにしておいても、蚊帳の中のじっとりと湿った空気は、まるで鉛か何かのかたまりにでもなったかのように動かなかった。
そんな寝屋の息苦しさのせいなのか、酒なんぞろくに飲めないのに、お清めだからとコップ半分ばかりのビールを飲まされたせいなのかわからないが、俺は何度も同じ夢にうなされては目を覚ました。
別に筋立てってほどのものがあるわけじゃない。辻堂の前の四つ辻に、例の野良犬が腹這いになっている。その怨みがましい眼、膨らんだ腹、搾り出すような、ギャンという鳴き声……。そんなフィルムの切れ端のようなものが、頭の中で堂々めぐりしてるんだから、安眠なんてできるわけがない。
何十回と寝返りを打つうちに夜が明けたことに気づいて、のそのそと蚊帳から這い出してはみたものの、体は重く、頭の中はどんよりと霧が垂れこめているかのようだった。
この村では遺体を火葬場でお骨にしてから葬式をするので、俺の朝一番の仕事は棺桶を霊柩車に乗せることだった。棺桶は四人で持つんだが、後ろが本家の長男次男で、前の方を受け持ったのが俺と、農協の青年部の幹部だという体格のいい二十代半ばの男だった。とにかく若くて死から遠い者を、というのが持ち手の選考基準らしい。
火葬が終わるまでの二時間近い待ち時間にも、待合室では茶碗酒が酌み交わされている。どこまで行っても、弔いには酒がついてまわるようだ。
遺骨を骨壷に納める時には渡り箸をするものなんだそうで、俺が箸でお骨を拾い上げるそばから、お袋がせっせと受け取っては隣にまわしていた。三途の川の橋渡しをするという意味だとお袋は言っていたが、死の穢れを避けようとする心理も働いているんだろう。
―普段以上に飲み食いするっていうのも、死の影を振り払おうとする本能ってわけか……。寝不足で鈍った俺の頭を、ふとそんな考えがよぎった。
葬式が終わると、俺達は納骨のために村はずれの墓地に向かった。焼香に来ていた近所の住人が道の両側で見送る中を、列になって進んでゆくのさ。
先頭には葬儀の世話人だという町内会長の爺さんと源三叔父の二人が白提灯を持って立ち、俺はその後ろで旗持ちをやらされた。旗は四本あって、細長い白布に経文か何かの一部が書いてある。俺の旗の言葉は確か、「諸行無常」だったな……。その後に位牌を持った長男、遺影を持った次男、枕飯を持ったよく知らない親戚の爺さん、それから遺骨を持った喪主の伯母さんと檀那寺の住職が並ぶ、という順番だった。
葬式の当日に納骨する(普通は四十九日の法要が終わってからやるらしい)と聞かされて、例の葬儀屋が面食らっていると、源三叔父が、
「当たり前だろうが! 弔いってのは仏さんを葬るためにやるんだから」と吐き捨てるように言った。この爺さんにしてはもっともなことを言っているみたいだが、その弔いの段取りにも色々あるってだけの話だから、そこまで偉そうに言うようなことでもない。
「焼き場ができてまだ十年にもならないから、昔のやり方が残っているのよ」と、伯母は言い訳ともなぐさめともつかないことを葬儀屋に言った。
正直な話、葬儀屋をあてにしていたのは霊柩車の手配くらいのもので、他のことは村の者たちだけでなんとでもなった。葬儀屋の主人もそれを心得ているから、場数を踏んでいない新米を一人で寄越したんだろう。何事も経験とは言うがね、やっこさんにとっちゃ大変な試練だったろうよ。
墓地に着くと、まずは持ってきた旗を墓の四隅に立てる。続いて住職が経を読み、皆が焼香して納骨、そして締め括りにもう一度お経……。かかった時間は一時間程で、墓地が木陰にあるとはいっても、睡眠不足の身に夏の昼下がりの暑さは徹えた。最後のお経の時、俺は立ったまま居眠りしてしまい、膝がかくんと落ちかけては驚いて眼を覚ますということを幾度となく繰り返した。
墓地から引きあげる時も、来た時と同じ順で列を作ったが、旗持ちはお役御免になった。旗は四十九日までそのまま残しておくのだという話だった。
いざ本家に向かって歩き出そうという時、先頭の源三叔父が俺達に背を向けたまま、ふいに右手を肩の上に挙げて話し始めた。
「さて、言い伝えを知らない若いもんもおるだろうってことで、念のため一言。和尚さんを差し置いてお前ごときがと、苦々しくお思いの方もあるだろうが、これはお釈迦さまの教えというわけではないっちゅうことなんで、ま、悪しからず……。皆さんくれぐれも、最初の四つ辻、言うまでもないけども、辻堂んとこ、あそこを曲がるまでは後ろを振り返らんように。よろしいな? もし振り返ったら、死人がついて来てしまって、成仏できんようになるんでね。頼みますよ。はい、それじゃ世話人さん、そろそろ参りますか」
俺は源三叔父が祖父さん、祖母さんの納骨の時にも、列の先頭に立って同じことを言っていたのを思い出した。後ろを振り返るなというところはギリシャ神話のオルフェの話と同じなんだが、あれは振り返ったせいで死んだ妻を冥界から連れ戻しそこなうんだから、結果のほうは真逆になっているわけだ。
それにしても、おかしなもんだな、人間の心ってやつは。振り向いたって何の得にもならないんだから、言われた通りにしておけばそれで済むはずなのに、わざわざするなと言われると、なぜか自分がその禁を破ってしまうんじゃないかと不安になってくる。ほら、夜道を歩きながら、何かが後ろからついて来てるんじゃないかという考えが頭に浮かんだとたんに、背後で得体の知れないものがむくむくとふくれ上がってくるだろう? ちょうどあんな感じさ。
ただでさえ体が重いところにそんな重荷を背負い込んだものだから、まるでぬかるみに足を取られながら歩いているかのようで、辻堂までたかだか二十分かそこらのはずの道のりが、俺には果てしなく長く感じられた。
辻堂が近づいてくるにつれて、四つ辻の真ん中のあたりに黒い染みのようなものが見えてきた。最初は風呂敷包みか何かの落し物かと思ったんだが、さらに近づいてみると、それが黒犬だということがはっきりした。昨日石をぶつけたあの犬だ。通りの真ん中で腹這いになったまま、あの時と同じ怨みがましい目でこちらを見ている。
―なんていまいましいやつだ。
俺は心底うんざりしたが、なんとか気を取り直して歩き続けた。これだけの人数の行列だ、あんな所でいつまでも頑張っていられるわけがない。早晩、短気な源三叔父あたりに追っ払われるに決まっている。
ところが、行列が目前に迫ってきても、やつには一向に逃げようとする気配がなかった。いよいよこれは源三叔父の出番か……。そう思いながら先頭の老人二人の様子をうかがったんだが、なぜか二人とも目の前の野良犬を気にするそぶりを少しも見せなかった。他の人々も同様で、聞こえてくるのは小声で交わされるとりとめのない雑談ばかりだった。
みんななぜ平気なんだ? すっかり混乱したまま四つ辻に目を戻すと、黒犬の姿はまるで掻き消えたかのようにどこにも見当たらなかった。ほんの数秒の出来事で、逃げたなんてことは絶対にあり得ない。
俺は夢でも見ていたのか……。狐につままれたような気分で四つ辻にさしかかったその時だった。突然、黒い影のようなものが、足元から喉頸目がけて飛びかかってきた。
「うわっ」
完全に不意をつかれた俺は、悲鳴を上げながら身をよじった拍子に足がもつれ、その場に無様な尻餅をついた。とその時、反射的に顔を上げた俺の目に、墓地の目印になっている欅の大木の姿が飛びこんできた。
しまったと思いながらあわてて目をそらしたが、もう後の祭りさ。欅の大木を見て、ああ後ろを見ちまったと思った時の、背筋がすうっと寒くなるような感覚は、今でもはっきり覚えているよ。
大丈夫か、どうしたんだと周りから声をかけられて、俺は黒犬が飛びかかってきたことを話したんだが、皆そんな犬はどこにもいなかったと言って首をひねるばかりだった。
「また居眠りしやがったな。墓場で立ったまま眠っているのは見たが。歩きながらとはまた器用なやつだ」
源三叔父は鼻を鳴らしながらそう言った後、じっと俺の目をのぞき込むようにしてつけ加えた。
「ところで、亘、お前、後ろを振り向きやしなかったろうな?」
図星を指されて内心冷や汗をかきながらも、俺はかろうじて平静を装って頭を振った。嘘をつくのは後ろめたかったが、証拠があるわけでもなし、わざわざ迷信深い年寄りの機嫌をそこねても仕方ない。
転び方は派手だったが、特に痛めたところはなかった。俺がズボンの埃を払いながら立ち上がると、先頭の二人が出発の合図に提灯を掲げ、行列は再びゆっくりと動き出した。自分が白昼夢を見ていたなどと認める気にはなれなくて、俺はあらためて辻堂の周囲の様子をうかがったが、黒犬の姿は結局どこにも見当たらなかった。
本家の前まで来ると、伯母は清めの塩を用意するために一足先に屋内に入り、息子達とともに玄関口に立って俺達を迎え入れた。
「亘さんも本当にご苦労だったねえ。転んだとき怪我をしなかった?」
そう言いながら何気なく俺の足元に目をやった時、伯母は突然目を見開いたたまま体をこわばらせ、塩の入った小皿を取り落とした。
「亘さん、あなた……」
皿の割れる音に驚いて、皆が一斉にこちらを振り向いた。そして、伯母の眼差しをたどって俺の足元に目を遣るごとに、その表情は伯母同様に凍りついていった。俺のお袋もそうさ。後になって考えてみると、俺はこの瞬間に、皆がいるところとは反対の側に身を置くことになったんだ。
「あれほど言っておいたのに、後ろを向きやがって……」と、源三叔父が苦り切った顔で言った
不思議でならなかったのは、俺が禁を犯したことを皆が知っているらしかったことだ。つい今しがたまで、そんんなそぶりは微塵もなかったのに……。腑に落ちないまま目を足元に落とすと、夕日に長く伸びた俺自身の影のかたわらに、もう一つの影がぽつんと寄り添っていた。もちろん、実際には誰もいやしないのだが、その影の形は、子供ほどの背丈の者が膝を抱えてうずくまっているところのように見えた。
ああ、これか……と、俺は秘かに独り言ちた。確かにここに、この世のものではない何者かがいる。本当にそれがかつて伯父であった存在なのかはわからないが……。ちっぽけな影法師は俺の影よりもずっと濃いように見え、踏みつけでもしたら、底無しの闇へと引きずり込まれてしまいそうな気がした。
工員風の男はそこで言葉を切ると、作業着の胸ポケットから紙巻き煙草を取り出して火をつけた。
「お袋達が住職に頼んで、寺の本堂で経を読んでもらったんだが、二時間たっても効果はなし。とうとう住職は、これは自分の手には負えない。紹介状を書いてやるから、大本山の永平寺の高僧に祈祷してもらうように、と言って匙を投げた。
結局、俺が永平寺に行くことはなかった。自動車事故で親父とお袋をいっぺんに亡くしてね。大学も続けられなくなったし、祈祷どころの騒ぎじゃなかったのさ。葬式の後で、誰かが事故は亡者を祓おうとしたせいだと噂しているのを耳にはさんだ時は、さすがに気が滅入ったよ」
その言葉とともに吐き出された煙草の煙が、夕闇の中にゆっくりと広がっていった。
「それからというもの、本当に、色々なことがあった……。だがもう、君が面白いと思うようなことは何もないだろうな。さて、俺の話はこれでおしまいだ」
男はそう言うと、くわえていた煙草を地面に投げ捨てた。
「俺の話が信じられるかい? まあ、とても信じる気にはなれないだろうな。でも、確かめる方法がある……。わかるだろう?」
男は私の目を見つめながら、奇妙な笑みを浮かべた。
「幸い、陽はまだ沈んじゃいない。ほら、ここに俺の影がある。それから……」
私はそれ以上男の言葉に耳を傾けることなくその場から逃げ出した。夕陽に長く伸びた男の影と、それに寄り添う亡者の影……。そんなものを目にしたら、今度は自分が影に取り憑かれてしまうのではないか? 私を身代わりにすることが男の狙いだったのかもしれない。後から思えばなんとも馬鹿げた考えだが、その時の私は背後に何者かが迫ってきているかのように感じながら、必死で走り続けていた。
私がようやく足を止めたのは、公園から一キロは優にある県道まで来た時だった。その道は柄の悪い(と私達の間では噂されていた)隣の小学校の学区との境界になっていて、そこから先は完全に当時の私の行動範囲外なのだった。
夕陽はすでにK山というこぢんまりとした里山の向こう側に沈み、稜線の付近にほのかな朱色が残っているだけで、すでに水銀灯の明かりがアスファルトの路面を照らしていた。
私は恐る恐る足元の自分の影に目を遣り、そこに余計なものが何もないことを確かめて胸を撫で下ろした。それでも後ろを振り向くのに、もう何度も四つ辻を曲がったんだと自分に言い聞かせなければならなかったのだから、私の怖がりようがどれほどひどいものだったかお分かりいただけるだろう。結局、後ろを振り向いても別に何もなかったことは言うまでもない。
あれからすでに半世紀近い時が流れた。それでも時折、もしあの時、男に言われるがままに影を確かめていたら、と考えることがある。そこには本当に亡者の影が寄り添っていたのだろうか? それとも、彼はただの話上手で、得意の怪談咄で子供をからかっただけなのだろうか……? 今となっては確かめるすべはない。