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全国ツアー

作者: 雉白書屋

「――どうもぉーありがとうございやっしたー」


 パラパラパラとにわか雨のような、いや、それ以下の拍手。

 俺はこの瞬間が嫌いだ。

 会場は客で埋まっているのに、この少なさ。いいや、そのことじゃない。こいつらが今勢いのある若手の漫才目当てなのは知っているし、俺たちコンビに人気がない事もわかっている。

 ただ、まったく笑ってなかったくせに拍手するってなんだ? 同情か? それともマナーか? いただきますを言って手を合わせる自分が好きなのか? そのくせ、写真を取ったら満足して食べ残して――


「おい、おいって」


「あ? おう、なんだ?」


「まーた嫌な事でも考えてたんだろう。わりぃ顔してたぞぉ。

ほらさ、もっと気楽に行こうぜ? 俺たちお笑い芸人なんだからよ」


 言うな。その先は言うなよ。まず俺たちが


「まず俺たちが笑顔でいなきゃ客を笑わせられないだろ?」


 はい、言った。こいつの決め台詞。

 いや、決まってねえんだよ。俺たち全然笑わせてないだろ。今日の客席が見えてなかったのか? そうかもな。こいつ、四回は噛みやがった。何年目だ? と、ああクソ。それはブーメランだ。何年目だよ俺。いつまでこんなことをしてるんだ。


「おい、おいって」


「あ? だから、なんだよ」


「いや、なんだよって、お前、どうする?」


 どうするっていきなりなんだよ。ホントどうすりゃいいんだよ……ん? 誰だそいつ。


「もちろん行くよな? よな! なよなよな!

ん? お前、今の話聞いてなかったのか? おいおいおーい! 失礼だぞ。

いいか、この人はな、うちの事務所に新しく入った俺らのマネージャーだってよ!」


「……は、俺らの?」


 何年経っても売れない、お荷物どころか廃棄に困る俺らの? と、口走りそうになり、俺はまたも自己嫌悪に陥った。


「ええ、ええ、はい。まあ、はい」


 そう言って男が出した名刺を俺はたどたどしく受け取った。ちょっと嬉しい。名刺は貰うよりも貰う人を見ていることの方が多いからな。


「ええと、新実さん?」


「はい、はい、そうお呼びください。はい」


 中年、小太りに汗っかき。うちの相方と体型はほぼ同じで、細身の俺よりもこいつらの方が何かコンビとしてしっくりきそうだ。……なんて思う俺はこのお笑いの世界から少し、離れたがっているのだろうか。


「じゃあ、はい、ではお二人ともよろしいということではい。

では明日、はい、待ち合わせ場所に、はい、よろしくお願いします」


「こちらこそよろしく! はっはっはっは!

いやぁ、泥船に乗ったつもりでいてくださいよぉ! あ、小舟か! こりゃいけねっ!

いや、誰が小舟かーい! はーはっはっはっは!」


「え? なに?」


「お前……まーた考え込んでたな。その癖直せよなぁ……。

あ、新実さん、大丈夫ですんで、こいつには俺から説明しますんで、ええ、どうもー!」



 ……と、翌日。駅前、ガードレールに腰かけ、タバコを吸っていた俺は思わずむせ返った。相方の奴がサングラスなんてかけてきやがったのだ。

 思えばあいつは昨日あの後、コンビニの前で俺に事を説明し、これで俺たち売れるぞ! スターだ!と、はしゃいでいた。

 だがそのサングラスときたら、縁がピンクでビーチでかけるようなものだったから、笑ってしまったのだ。星形とかならギャグとしてわかりやすかったが多分、真面目にやっているのだろう。

 滑稽……だが、無理もないし、俺自身も浮ついていることを認めなければならない。何でも、あの男。新実が漫才ツアーを組んでくれたらしいのだ。

 なんで俺らを? って話だが光るものを見出したとかなんとかまあ、新実も入って来たばかりで実績を作りたい、大博打したいといったところだろう。

 新実は新人マネージャーと言っても俺らより年上であることもそうだが経験豊富で各業界を渡り歩き、顔が広いという。それを鵜呑みにしていいものか微妙なところだがどの道失うものはない。バイトもちょうどシフトを入れて貰えなくなり、思い切ってやめたばかりなのだ。クソ店長に中指を。女の留学生をあからさまに優遇しやがって。これも慈善だ何だと抜かしていたがただのスケベ心だろうに。くたばりやがれ。


「おい、おいっ、おーいおいっての。まーた険しい顔をして。ほら、乗るぞ」


「え、乗る? あ、車、来てたのか。ああ、新実さんどうも」


「ええ、どうもおはようございます、ええ。いきましょいきましょ」


 大阪から北上。相方は東京進出だと鼻息荒くしているが、ツアーと言っても二、三、小さな劇場を回ってそれで終わりだろう。そもそもネームバリューのない、あってもつまらないコンビという悪名しかない俺たちをどう売り込んだのか。まあ、持ち時間を短く、二分とかでねじ込んだのか。それにしたってうちは弱小事務所だ。新実が顔が広いというのは本当なのか。



「もういいわ!」

「どうも、ありがとうございやしたー!」


 本日最後のステージが終わり、舞台裏。新実が駆け寄ってきた。


「はい、お二人とも、お疲れ様でした、ええ、ほんと、ええ、では行きましょう。

ホテルです、ホテル。ええ、明日もありますのではい」


「うおーっ! ホテルっすか! 俺、車中泊かと思いましたよ! いやね、俺、昔バンド組んでましてね、その時にも」


 お前が組んでいたバンドってのは高校生バンドの延長だろうが。文化祭で演奏したって言ってたけど、音響テスト係だったのは知っている。そしてそのバンドも大学一年の夏休み終わりで解散したことも知っている。こいつの実家で飯食わされた時に母親がベラベラと訊きもしないことを喋っていた。そしてテーブルは雑巾臭かった。



「いやー、良い部屋だなぁおい! わくわくするなぁ! 枕投げでもするか!?」


「よせよ。綺麗だけどチェーンのビジネスホテルじゃねえか」


「おいおいお前、はぁ、運が向いてきたっていうのに、そうやって卑屈でいたらモテないぜ?」


「は? モテ? 関係あるか?」


「あるだろぉ。俺らこれから超売れっ子になるんだからモテにモテてイテテテテなもんだよ」


 相方が股間に手をやり、あ、これギャグになるかなとのたまう。ならねえよ。

 しかし、一理ある。確かに俺は卑屈な考えをしていたが、あの新実という男、意外とやり手かもしれない。二つ三つの劇場どころか今日だけで五つを回った。

 しかも、まあ俺たち目当てでないのは当然だが、客の入りは中々。そして、そこそこウケた。これまで出た事がない劇場だったからかもしれない、新鮮な気持ちで挑めた。それが良かったのかもしれない。

 それに相方の奴も脂が乗っていたとでも言うのか動きにキレがあった。こいつはもしかしたら本当に自分たちが売れると思っているのかもしれない。それが自信になり、と、こいつもう寝てる。いや、鼾うるさっ。




「モォォテテテテテテテテッ! アァァァイ!」

「もういいよ! どうも、ありがとうございましたー」



「はい、はいお疲れまですはい、お疲れでしょう、はい。ではホテルに行きましょう、はい、また明日のために」



 ツアー二日目も上々の出来だった。いや、それどころかコンビ組んで以来、最高の仕上がり、最高のウケ。相方も昨日に増してキレがすごかった。

 そしてホテルもまた若干のグレードアップ。バスルームとトイレが別々なのはありがたい。

 しかし、新実という男の手腕は大したものだ。今日は昨日よりも多い、七ヶ所。うち二つはスーパーなどのイベント。他にも何組かいたが俺たちが一番ウケていた、と思う。いや、ウケていた。それに、これは気のせいかもしれないが何人か昨日見たのと同じ顔があった。つまりはファン。まあ、偶然かもしれないし、俺らのというよりはお笑い自体のファンかもしれない。


「だーるーまーさーんがこーろーばない! ダルマには、運命に抗う理由があるのだから!」


「なにそれ」


「新ギャグ。明日、ライブの締めで披露するわ」


「やめとけよ」




「オピョピョピョピョプゥ! あ、これ新元号ね」

「もういいよ!」


 勢いがあるのかクソみたいなギャグでもウケがいい。そう、俺たち今、勢いがある。ツアー三日目。大阪を出て滋賀とさらに岐阜を梯子。回った劇場の数はああ、いくつだったかな八つかな。パチンコ屋での営業や前より大きいスーパーでの漫才披露。んで疲労、疲労ってはは、嬉しい疲れだ。泊まる場所もランクアップ。今回は旅館。結構、広い部屋だ。それに食事つき。


「温泉で見つかった死体ってやっぱ温泉まんじゅうって言うのかな」


「何言ってんだお前」


 新実は車の運転中も方々に電話をかけ、仕事を取ってきているようだった。今日も、『今決まりました。さあ行きましょう』というのが二件あった。

 やり手であることにもはや疑いはない。と、言う事は俺らも見込みがあるのかもしれない。だって、その新実がついたんだから。

 客のウケも増してきている。笑いの腕は前と変わっていないと思うが、あれだろうか、モテるやつはモテる。売れてる商品はさらに売れるというやつで自信を持ち、堂々としてるのが良いのだろうか。

 これは俺も相方を見習うべきか。実際、コイツもモテ始めている。

「そろそろ部屋を別にしてもらうかぁ、あ、俺はいいんだけどね。別に三人とかでしても!」

とか何とか言ってやがる。そのくせにすぐに寝る。鼾も二割り増し。疲れてるんだろう。気持ちはわかる。




「まーるかいてちょん。まーるかいてチョン……この! 差別主義者が! 天誅!」

「いてぇ! お前が勝手に言ってんだろ! どうも、ありがとうございましたー」



 ツアー六日目。ここ数日は名古屋留まり。しかし笑いは止まらない。

 前々から予定されていたライブに急遽ねじ込まれたと思ったのにポスターには俺たちの写真。しかも八組中、大きさが三番目。出待ちも増え、電話番号とか差し入れを貰った。

 ホテルのランクも上々。相方はファンの子と遊んでやると言い、戻らないことがしばしば。だが、あいつのズボンのポケットに風俗店のポイントカードが入っていたから多分違う。

 新実さんはよくやってくれてる。衣装のスーツは毎回、夜のうちにクリーニングに持って行ってくれてるし、使い捨てのシャツやパンツを買って来てくれる。その服のセンスは悪いが、贅沢は言わない。




「宇宙人差別ハンターイ! 地球は宇宙みんなのもーの!」

「思想が遥か上過ぎる。もういいよ」



 ツアー八日目。静岡へ。大型ショッピングモールでのライブ。しかも三組中、俺らが一番ウケた。

 相変わらず、お笑いの腕は進歩ない気がするが、ウケるのはもしかしたら前に考えた自信がついたからというのもそうだが、土地が変わったからかもしれない。俺たちの大阪はやはりお笑いのレベルが高かったのだ。

 ここではまさに無双状態。東京はどうだろうか? 待ち遠しい気持ちだ。

 とは言え、さすがに疲れがたまってきた。俺らはもうすぐ三十だ。一晩寝ればリセットというわけにはいかない。

 と、言うと年上であろう新実さんの働きっぷりには心底、頭が下がるというものだ。しかし、感謝と休んで貰いたいという意味も込めて一日休もうと俺は提案したのに却下された。なんでも勢いが大事だという。

 それを唾飛ばしながら言ったのが相方なのが腹立つが、新実さんもその意見に同意。流れに乗った方が良い。途切れればもう、そこで沈み、腐るだけだと。

 確かに、連日ツアー、今勢いがあるコンビという触れ込みで仕事を取ってきているのかもしれない。そのアイデンティティを失えば、この旅も終わりなのかも。




「うぅぅぅー! コンスタンチンコ! 悪魔はお前の心の中に!」

「きたねえモン擦り付けるなよ! もういいよ!」



 ツアー十一日目。神奈川に入った。ファンはついたが相方は相変わらず、風俗通い。

 金はどうしているのかと訊けば新実が良い風俗を紹介してくれ、払ってもくれているらしい。そんなことまでしてくれるとは驚きだ。

 が、そう、金だ。ホテル代や飯、服代は新実持ちだがどこから出ているのか。いや、当然、俺らの稼ぎからだろうが、それはいつ俺らに入るのか。そもそも、どれくらい貰っているのか。ねじ込んだのなら、相当安いはずだ。

 しかし、最近は人気もある。それに今ではホテルの部屋も相方と別々の個室だ。割と貰ってはいると思うがわからない。




「なあ、なあって、おい、どうするよ」


「んー? ふへへへへ」


 ツアー十二日目の夜。俺は事務所に電話した。このツアー、そして新実という男の事についてだ。だが、返ってきた答えはいや、質問の前に答えは来た。


『ああ、お前か。なに? そういやお前らやめてなかったっけか』


 事務所は俺らの存在を忘れていた。

 が、そのことはいい。元々、扱いの悪さをひしひしと感じていたんだ。

 問題は新実だ。奴は何者なんだ。俺は相方にその事を伝えた。


「んんー? へへへ、なに? 聞いてなかった」


 だが、こいつは俺の話を黙って聞いていたかと思えば考え事をしてやがった。女の子か、またつまらないギャグの事かは知らない。何にせよ、この状況はヤバいと思い、必死に訴えた。



「いやいやいや、もうすぐ東京よ? 進出よ? 売れちゃうよ? 旋風巻き起こしちゃうよ?」


「いや、もういいよ。帰ろう、大阪に。俺の話まだ理解してないのか? ヤバいよ。あの新実って人」


 俺がそう言うとあいつは深くため息をついた。


「おいおいおい、そんな言い方に、それに今、全部放り出したら、にいちゃんに悪いだろう?

あの人の服を見ろよ。汗汚れのヨレヨレだぜ? 俺たちを騙して私腹を肥やしているように見えるか?

まあ、太ってはいるがなははははは! っとちょっと待ってろ。電話だ。もしもーし、うん、ははは、うん」


「おい、今、電話なんかどうでもいいだろ。マジヤバいって」


「はーい、にいちゃん、まったねー。……で、あー、事務所の連中が知らないのはさ、にいちゃんが独断で動いているからだよ。

そうだよ、考えてもみろ。新人マネージャーが売れないコンビとツアーしたいですって言っても事務所が『はい』と言うわけないだろ? でもよ、蓋を開けてみればどーよ、この状況。あいつらの目は節穴だったってわけぇ。

でもこの実績を引っ提げて帰れば悔しかろうが認めるしかないさ。俺らの実力をな」


「いや、にいちゃんって……つうか、それアイツの受け売り。

今、電話でそう言われたんだろ? お前、信じるのかよ。

だって俺らにまで内緒にしてたんだぞ? 今の今までさ」


「あーはぁ、ビビって逃げ出しちゃうヤツがいるからじゃないのぉ?

ま、俺は違うけどもさ。大体、前から思ってたけどお前は斜に構えすぎなんだってな。

ほら、よく言うだろ? 信じる者は救われるって。

お前もさ、もっと人をな、あ、そうそう、もうちょいここ神奈川で名を売ってから東京行って、その後は全国を回るんだよ。楽しみだなぁ」


「は? 全国? そんなの、じゃあいつ大阪に。家だってあるんぞ」


「ボロアパートだろう、あ、俺はもうアパートの契約解除したから。にいちゃんに頼んでさ。お前もそうしたらいい」


「いや、そもそも全国回るっていつそんな話決まったんだよ。今の電話でか? 怪しいだろ」


「いやいやそれは前から決まってたよ。

あー、にいちゃんとキャバクラ行ったときかなぁ。

あ、はははっ! 遊んでたわけじゃないぜ? まあ遊んではいたが、ほら、付き合いって言うの?

地元のお偉いさんとさ、交流して、それでまたさ、おっぱいおっぱい、じゃなかった。

いっぱい仕事が貰えてさ。いやー、おっぱいの力だね。

おっパブ。お前も来ればいいのに。全国ツアー楽しみだなぁ。全国の風俗を制覇するんだぁ……」



 ……これは移動式サーカスだ。町から町へ。日銭を稼いで暮らしていく。俺らが出し物。動物。あいつが、新実が座長。鞭を振るい、飴を与え、飼殺すんだ。


 俺は辞めると言い、ホテルから飛び出した。相方が辞めるの意味をどう捉えたかは知らない。このツアーを辞めるか、芸人そのものを辞めるか。俺自身もあの時はわからなかった。ただ怖くてあの状況から抜け出したかった。

 でも結局芸人は辞めた。今は土木作業員として細々と暮らしている。


 なぜ、こんな話を思い出したかというと最近、テレビで相方を見かけたからだ。


 小汚い服を着て、声を張り上げ座り込みのデモをしていた。

 どこかの団体に所属しているのだろうか最前列で号令をかけ、それなりに地位があるらしかった。

 その傍にはあの男、新実もいた。

 ヒソヒソと何か元相方の耳に囁いているようだが、相方の周りの誰もそれを気にしてはいなかった。まるで俺だけにしか見えないような。


 多分、あいつらは今も全国を回っているのだろう。

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