7.仕事先で2
一階は吹き抜けのフロアとなっており、巨大な鉄の箱が複数台設置されている。
その鉄の箱こそが、この会社にとっての虎の子。
何時間も休むことなく稼働し続ける、機械加工装置である。
竜一は、その鉄の箱を横目に、フロアの隅まで足を運ぶ。
そこにも一台の鉄の箱。
他の装置に比べ、若干小ぶりなその装置こそが、竜一に任された切削加工機である。
「さてさて」
そう言って、装置の側面に設置されたディスプレイに目を通す。
ディスプレイは真っ赤になっていた。
表示されているのは無数のエラーコード。
竜一はエラーコードを確認し唸る。
「うーん、まいったな」
そのエラーコードは、竜一が今まで見たことがないものだった。
この装置を任されて経験の浅い竜一には、未知のトラブル。
竜一は悩む。これを解決するには先輩方を頼るしかない。
だが時刻は、もう十二時を回っている。すでに昼休憩の時間だ。
休憩時間に先輩方の手を煩わす訳にはいかない。
諦めて、休憩終わりに誰かに教えを請え、と自分の中の誰かが言うが、それに抗う自分もいる。
誰かに頼るとしても、その前に自分の努力を見せなければならない。
最初から諦めるのではなく、自分なりに頑張った結果、それでも分からなかった時だけ、誰かに頼るべきなのだ、と。
若さ故なのか、期待に答えなければならないというプレッシャー故なのか分からないが、竜一はそんな風に考えた。
だから竜一は悩んだ。だが、必死に頭を悩ましてみても、分からないものは分からない。
「どうしようかな……」
「お困りですかなー?」
「はい、実はそうなんです…………ん?」
背後から聞こえた声に自然と返事をしてしまったが、すぐに違和感に気付く。
はっとして後ろを振り返った。
そこに居たのは、制服姿の美少女。朽葉 茜であった。
「えっ!?」
どうしてここに茜が居るのか。竜一の頭には、ひたすら疑問符が浮かぶ。
「朽葉さん、ど、どうしてここに?」
茜はニコニコと笑顔で答える。
「うん、竜一君どうしてるかなーって考えてたら、来ちゃってた」
その茜の答えは、竜一には理解不能の理屈。
茜はいつも竜一の常識など軽々と飛び越えるが、流石にこれは異常がすぎる。
「いやいやいや、ちょっと待ってよ。意味が分からないって。っていうか学校は?」
「今は休憩時間だからね、抜け出して来ちゃった」
茜が述べた答えは、またもや竜一には理解不能。
学校の休憩時間に、自分とは縁もゆかりもない仕事現場を訪れる女子高生がどこにいる。
いやそれ以上に、茜が通う星蘭学園とこの如月製作所は、かなり距離が離れている。
現在時刻は十二時十分。星蘭学園の昼休憩も十二時から始まると茜から以前聞いた。
約十分。どう考えても計算が合わない。十分ではどうやっても辿り着かない筈だ。
タクシーを使用しても絶対に間に合わない。
茜が口を開くほどに混乱する竜一に、茜はパチンと両手を叩いて言う。
「とりあえずさ、さっさと解決しちゃおうよ。時間もったいないしさ」
「えっ? どういうこと?」
茜は竜一の質問には答えず、装置のディスプレイに浮かぶエラーコードに目を通す。
そして「ふむふむ、なるほどなー」と呟いたのち、竜一に言う。
「竜一君、そこのカバーを開けてみて」
「えっ? なんで?」
「いいからいいから、騙されたと思ってさ」
言いたいことが山ほどあったが、茜の言う事を聞かなければ話が進まなさそうだったので、竜一は素直に言う事を聞くことにした。
工具を手に握り、しゃがみ込んで装置の側面カバーを取り外す。
それから、中を覗きこんだ。
「これは……」
竜一は息を呑んだ。
トラブルの原因が分かったのだ。それは、駆動部に繋がる電源ラインの破損。
緑と白の太い配線が断線していたのだ。
竜一は立ちあがり、茜に尋ねた。
「朽葉さん、どうして分かったの?」
茜はカバーを開けろと竜一に指示した。
それは、エラーの原因がここにあると分かっていたから。
竜一にはそうとしか思えなかった。
「うん、このマニュアルに書いてあったよー」
そう言って、茜が両手で抱えているのは、この装置のマニュアル書だ。
それは広辞苑の如く分厚さで、びっしりと文字が敷き詰められている指南書である。
茜の言う通り、確かに書かれていた。エラーコードの例と原因と対応方法。トラブルシューティングガイドが書き記されていたのだ。
竜一は、半信半疑で茜に尋ねる
「これ、読んだの?」
「うん、パラパラーとだけどね」
竜一には信じられなかった。この広辞苑の如く分厚いマニュアル書から、どうやって答えを見つけ出したのだ。
いや、それ以前に、マニュアル書は専門用語の羅列でもある。素人が読んで理解できるものか。
竜一にだって理解できない所が多分にあるのだ。
驚嘆すべき朽葉 茜の頭脳。初めて見る筈のマニュアル書を瞬時に読み解く思考力。
無数にある選択肢から答えを的確に導き出す判断力。
竜一は、茜のすごさをまざまざと見せつけられた。
それと同時に、自分の無能さが嫌になった。
自分には、マニュアルを読むという発想自体がなかった。
自分の間抜けさに呆れる。
茜がまたパチンと両手を叩いた。
「原因分かったことだし、一旦休憩にしようよ」
そう言って鞄から取り出したのは、包み袋にくるまれた四角形の物体。
茜はそれを竜一に差し出した。
「はい、これ竜一君の分。お弁当作ってきたから一緒に食べよ」
「えっ……い、いいの?」
「勿論!」
笑顔で答えたあと、茜は竜一の手を引いて歩き出した。
外で食べるということだろうか。
この時点で竜一は、半分ぐらい考えるのを止めていた。
朽葉 茜という嵐を切り抜けるには、ただ身を任せ、あるがままを受け入れる。
それが一番だ。
そうして出口に近付いた時、左側から大きな声が聞こえた。
「ああっ!」
左を見ると、目を見開いて口を開けている若い男。
竜一は焦った。
この男は、ここで働く次代を担う優秀な若手社員だ。
部外者である茜を見て驚いている。無理もない話だ。
それに、はたから見れば今の竜一と茜は、そういう関係に見えなくもない。
この状況では、竜一が自分の彼女を職場に招き入れたと誤解されても不思議ではない。
竜一は必死に言い訳を考える。結局、良案は出なかったが、とりあえず話を聞いてもらおうとその男に呼びかけた。
「ま、松田さん! 話を聞いてください!」
そう呼びかけた竜一の言葉は、次の瞬間には掻き消されてしまった。
「茜嬢! ちょうどよかった! ちょっと見て欲しい物があったんです!」
は? 竜一は耳を疑った。
松田に咎められると思っていたが、事実はまったく違う方向へ動いた。
松田は、茜のことを茜嬢と呼び、あげく茜に助けを求めたのだ。
茜は気軽な口調で松田に返事をした。
「どうしたんですか? 松田さん」
「ええ、実は、ちょっと分からないことがあって……。ちょっと来てもらっていいですか?」
「了解でーす。あっ、竜一君、ちょっとだけ待っててねー」
竜一は、もう何も言えなかった。
訳が分からない。
茜はいつの間にか、相談役みたいなポジションになっていた。
朽葉 茜とは何者なのか。
竜一は考えてみることにしたが、すぐに考えることを止めた。