家に帰るまでが冒険です
1:旅の終わり
世界の人々を苦しめた悪しき魔神を討伐して早一ヶ月。連日の祝賀行事をようやく全うした僕ら勇者一行は、国王陛下と最後の謁見を済ませて王城を出ようとしていた。
「やっと煩わしい仕事から解放されたわね。こちとら魔神との戦いでヘトヘトだって言うのに、次から次に湯水の如く新しい予定が入るんだもの」
「まあ位階を賜う為に必要な儀式もあったからな。お陰でこれからは何不自由なく暮らせる訳だし、これが最後の務めだったと思えば気も楽になるさ」
普段から見せる気怠さに拍車が掛かった魔法使いと、そんな彼女とは対照的に屈強な身体を溌剌とさせた男戦士の二人。それに続く僕と僧侶を含めた四人組は、道の両脇で敬礼した兵士や手を振る市民達に見送られて城下町を後にするのだった。
「それでは皆さん、これからは寄り道せずに故郷を目指す流れで良いですね」
「だね。お世話になった人達への挨拶回りも大事だけど、何を隠そう僕自身も疲労困憊だから早く家に帰って眠りたい」
「あら勇者さんったら、城から出た途端に英雄らしくない発言は誉められませんね」
つい本音を漏らした僕を嗜めながらも僧侶は優しげに微笑んだ。彼女は回復魔法だけでなく屈託のない笑顔で僕達を癒してくれる貴重な存在だ。
「おいおい、イチャコラは俺達と別れてからにしてくれ。途中まで一緒の道のりなんだぞ」
「魔法を使えば故郷に一っ飛びだけど、魔神を倒した事で魔力も失われちゃったしねぇ」
「まあ其れと同時に魔物も消えましたから、特に道中で問題が生じる事はないでしょう」
「それ、何かのフラグじゃないよね?」
僕達は気の抜けた会話を交わしながら魔神討伐の旅路を遡り、やがて辿り着いた港から故郷がある別大陸への運航船に乗り込んだ。
「往路では海獣と戦ったり幽霊船と遭遇したりで、海の景色を楽しむ余裕も無かったな」
「こうして海風をのんびり満喫出来るのが、世界が平和になった何よりの証だね」
僕は甲板部の縁に肘を置き、青空の下を飛ぶ海鳥の群れを呆然と眺めていた。そんな折りにふと話し掛けてきた戦士は、自分の隣に腰掛けると不敵な笑みを浮かべて言う。
「渡すのか、それ」
彼が指差したのは僕が懐に隠し持っている指輪入りの木箱だ。戦士は遠くに佇んだ女性陣を、特に船酔いした魔法使いを介抱中の僧侶に目を向けながら僕の肩を叩く。
「まあ魔神を倒したお前なら苦戦する事も無かろうが、健闘を祈っているぜ」
「う、うん。ありがとう」
そうだ、まだ僕には一つだけやる事が残っている。僧侶への正式な告白だ。
2:戦士との別れ
故郷の大陸に戻った僕達が初めに立ち寄ったのは戦士の出身地である農村だ。既に王国から帰国の件を聞き付けていたのか、彼の凱旋を大勢の村人達が入口で待ち構えていた。
「お父さん!」
「おお、息子よ!」
その中で一目散に駆け寄ってきた少年と戦士は抱き合う。彼は一頻り喜びの再会を堪能した後、少し離れた場所から見守っていた僕達三人の元へ戻ってきた。
「お前達も寄っていかないか? 宴の準備は出来ているそうだ」
「嬉しい誘いだけど、これ以上家に帰るのが遅れるのはね」
「そっか。じゃあこれで俺達はお別れな訳だが、最後に少しだけ話しても良いか」
ここで戦士は徐に振り返り、大人しく父親を待っている息子の顔を見遣りながら言う。
「アイツの母親に先立たれたって話は、確かお前達にしたよな」
「ああ。それが戦士の旅立ちの理由だったもんな」
思い返すと遠い昔にも感じられる。あの頃は復讐に駆られて険しい表情を浮かべていた戦士だが、今は彼本来の優しい父親の顔に戻っている。
「これからも俺は妻を想いながら息子と二人で生きるつもり……だったんだが、ええと、物は相談なんだけど」
言い淀みつつ戦士は再び此方を向くと、全く思い掛けない事を魔法使いに告げた。
「魔法使い。お前さえ良ければアイツの新しい母親になって貰えないか?」
「……ほえ?」
予想外の発言に当事者は沈黙し、驚いた僕と僧侶は互いに顔を見合わせる。
「あ、あたしぃ!?」
それから暫しの間を開けて放たれた魔法使いの声は、普段の気怠さと全くそぐわない悲鳴に似たものだった。
「直ぐに答えを出せとは言わないが、どうか前向きに検討してくれると有り難い」
「え、いやでも、私は、ほにゃにゃ!?」
あたふたと視線を泳がせる彼女の姿からは、元のクールビューティーで大人っぽい雰囲気が完全に消え失せている。この反応には告白した側も少なからず慌てたのか、
「じゃ、じゃあ気長に返事を待っているからな。お前ら達者で暮らせよ!」
どんな強敵にも決して背中を見せなかった彼がそそくさと踵を返し、諸々の後処理を仲間に丸投げして退散。一連の出来事に僕はただ唖然とするのだった。
「……彼奴、最後にとんでもない爆弾を残していったな」
3:魔法使いとの別れ
続いて訪れたのは魔法使いの故郷だ。と言っても僕が立ち寄れるのは隠れ里が存在する山の麓までで、戦士の村とは違い他所との交流を禁じる里人の出迎えも見られなかった。
「じゃあ、これでお別れだね」
「……ええ。そにしても二人には恥ずかしい姿を見せちゃったわね」
既に落ち着きを取り戻していた魔法使いだが、彼女は先の出来事を無かった事にした訳では当然なく、自分なりに思案を巡らせているのは傍目にも明らかだった。
「元より私と里外の者が結ばれる事は有り得ないのだから、慌てる理由なんて無かったのに」
こう己に言い聞かせる様に告げた魔法使いは寂しげだった。そんな彼女の苦しそうな表情を捉えた僕は、これまで徹してきた静観の姿勢を覆す。
「それは君次第じゃないかな。信じる想いがあれば打ち破れない壁は無いさ」
「えっ」
俯いた顔を上げた魔法使いと向き合い、僕は葛藤した彼女の背中を押すべく助言する。
「君だって初めは僕を嫌って対立したけど、今はこうして掛け替えのない大切な仲間になった。そして強い絆で結ばれた僕達だからこそ魔神討伐を果たせたんだ」
「私が、掛け替えのない仲間……」
「そ、そうですよ。どんな困難でも愛と絆さえあれば乗り越えられます!」
僧侶も僕に続いて賛同すると、やがて魔法使いは憑き物を落とした様に息を吐く。
「分かった、私もう怖がらない。自分の気持ちに正直に生きるよ」
晴れやかな表情となった魔法使い。それを見た僕達は安心して彼女と別れの時を迎えた。
「私は勇者が好き。だから私の恋人になって貰えるかしら?」
「それじゃあまた……うん?」
あれ、何かの聞き間違いだろうか。そう思った僕は真意を確かめんと彼女と目を合わせるが、魔法使いは仄かに顔を赤らめて此方を見詰め返してきた。
「え、僕ですか? 戦士からの告白は?」
「ああ、私あんまり身体がゴツゴツした人って好きじゃないのよ」
あっけらかんと言い切った彼女は、更に戦士への未練が無さげに告げる。
「それに前の奥さんと比べられるのも困りものよね。ほら自分ってばズボラな性格だから」
こうして魔法使いは普段のサバサバとした態度に戻ると、僕の頬に軽々しくキスをしてから悠然と立ち去ってゆく。
「じゃ、そう言う事で。返事は便りで頂戴ね」
その清々しい背中を僕は無言で見送る他になかった。
4:僧侶との別れ
魔法使いと別れた僕達は微妙な空気感を拭えないまま先に進んだ。久々に僧侶と二人きりになれたと言うのに、心無しか今までよりも重い足取りになっている。
「あはは、それにしても勇者さんったらモテモテですねぇ」
「いやその。もしかして怒っていらっしゃる?」
「私が何を怒るって言うんですかぁ。良く分からないので説明して頂けますかぁ」
「今だけは君の笑顔が怖い」
半分は自分で蒔いた種とは言え不味い事になった。本来は道中の宿屋で行おうとした告白のタイミングを完全に逸し、そうこうしている間に僧侶の故郷である丘上の教会が近付いてきた。このままでは不味い、早く何とかしなければ。
「いやぁ〜、改めて考えると魔法使いの意図が分かってきたぞ。あれは彼女の事だから冗談の一種で、きっと僕を揶揄っているだけなんだよ」
僕は残された僅かな猶予で事態打開を試みる。兎にも角にも今はこの件を保留して、自分の思いの丈を僧侶に告げる環境整備が必要だ。
「そう言う誤魔化し方は感心しませんね。めっ」
「え」
だけど僕が苦し紛れの見解を述べた途端、足を止めた僧侶は人差し指を伸ばして此方の顔に当てた後、僕の事を嗜める様に言ってきた。
「あのクールな魔法使いさんが勇気を出して告白したんです。だから勇者さんも彼女の想いを正面から受け止めるべきです」
彼女は此方を真っ直ぐ見詰めていた。その優しくも横道に逸れる事を許さない僧侶の誠実さを受け、目が覚めた思いの僕は己の言動を反省させられる。
「確かにそうだ。ちゃんと僕は彼女の気持ちに向き合わないと」
「はい。それで勇者さんは一体どうするつもりですか」
僧侶に先を促された俺は真剣に考える。しかし答えは既に決まっていた。
「素直に嬉しい。でも断ろうと思う」
「本当に……、それで良いのですね?」
不安げな表情を覗かせる僧侶だが最後まで私情を抑えて問い掛ける。そんな彼女の慎ましさに僕は惹かれたんだ。
「ああ。自分には他に想い人がいるから」
こう言い切ると僧侶は安堵した様子で笑顔を取り戻した。その愛おしい女性を前に、僕は今ここで告げるしかないと決意して口を開く。
「だから僧侶、これからも僕と一緒に……!」
「良かったぁ。じゃあ魔法使いさんは私が頂いちゃって良いですね」
「んんん?」
そして告白と同時に指輪を差し出すべく懐に手を掛けた時だ。又しても前後の展開と脈絡が繋がらない不可解な発言が齎される事になったのは。
「ええっと、頂いちゃうって言うのは、どういう意味」
混乱を来した僕が率直に問い掛けると、僧侶は不思議なものを見る表情で答えてきた。
「あれ、もしかして私が魔法使いさん狙いなの、ご存じなかったですか?」
「!?!?!?」
僕はハンマーで後頭部を叩かれた様な衝撃を受ける。いや今時は同性カップルなんて珍しくもない話だけど、そもそも僧侶は僕と両思いの筈じゃなかったか。
「いや普通に初耳だけど、君は彼女の事が好きだったの?」
「ええ。初めて会った時から一目惚れでして!」
まるで惚気話みたく嬉々として語り始める僧侶。その顔は聖職者ではなく唯の恋する乙女になっており、一方の僕はと言えば無人島に取り残された心境でいた。
「あ、そ、そうなんだ。いや僕はその、てっきり君も僕の事が好きなんじゃないかと」
「私が勇者さんを? あはは、そんなの天地がひっくり返っても有り得ないですよ〜」
此の期に及んで悪足掻きをした僕に対して、無垢な笑顔を浮かべた彼女は無慈悲に心を打ち砕いてきた。彼女はアンデットに有効な昇天魔法を使えたが、正しく生ける屍である今の自分には実に効果覿面である。
「いや助かりました。もし私の大親友の勇者さんと魔法使いさんが両思いだったなら、流石にその仲を引き裂く訳にはいかないと思ったので」
「だ、大親友……」
もしかして端から僕は恋愛対象じゃなかったと。つまり今までの冒険は(恋愛的には)唯の茶番劇だったと言う訳だ。
「それじゃあ魔法使いさんへのお返事は早めにお願いしますね。そしたら私、戦士さんの前に透かさずアプローチを掛けますので!」
数多の感情が入り混じり処理落ちした僕とは対照的に、すっきりとした表情の彼女は天使の見紛う笑みを浮かべる。
「それでは私はここで失礼します。今までお世話になりました!」
溌剌とした口調の彼女はそう元気良く告げると、一分の後腐れもなく颯爽と僕の前から去るのであった。
「あ、はは……」
僕は暫く呆然と立ち尽くし、指輪入りの木箱と共に自分の向かう先を見失っていた。
5:帰郷
憂鬱な面持ちで僕が帰郷したのは三日後の事だ。遠い辺境の此処には未だ勇者としての活躍が伝わっていないものの、当面は静かに暮らしたい面持ちの僕には寧ろ幸いだった。
「お帰りなさい。旅の事は詳しく知らないけど、その顔色からすると大変だったのね」
それは大半が帰り道のせいと思いながら、出迎えた母親を一瞥した僕は自室のベッドに身体を沈めた。皆で一丸となって世界を救った筈が、この一人虚しい感覚は何だろう。
「渡せなかった指輪、どうするかなぁ」
なんて嘆き節を漏らしつつ睡魔が忍び寄ってきた頃だ。同い年の幼馴染が勢い良く(無断で)部屋の扉を開け放ってきたのは。
「おっ帰りぃ! 久々の再会だね……って、どしたの浮かない顔しちゃって」
「いや別に」
彼女は相変わらずの騒々しさだが、その振る舞いが今の自分には有り難い。
「そうだお前、これお土産」
僕はここで行き場を失っていた指輪を差し出す。所謂これは婚約指輪の類ではない為、告白さえ添えなければ唯のお洒落なアクセサリーになる筈だった。
「えっ」
ところが受け取った相手は一転しおらしく顔を俯けると、次の瞬間には顔を真っ赤に染めて大粒の涙を溢れさせる。何事かと起き上がった僕に彼女は声を振るわせて告げた。
「覚えていてくれたの? もし貴方が旅から無事に戻った時、世界が平和になっていたら私と結婚しようって約束を」
「……はい?」
悪いけど今の今まで完全に忘れていた。だって旅の途中で神託を受けて勇者になり、更には魔神討伐を命じられて激動の日々を送ってきたんだ。仕方ないじゃん。
「嬉しい、大好き!」
なんて此方の戸惑いに構わず彼女は僕に抱き付いてきた。いや自分の心には僧侶の事がまだ残っているし、魔法使いへの返事もこれから……って何だコイツ。間近で見ると昔よりも大人びて可愛くなっている上、良い匂いがして更には胸元に柔らかい感触が……。
「うん、まあ、終わり良ければ全て良しだな!」
こうして秒で屈服した僕の冒険は幕を引いたが、打ち滅ぼした魔神が数年後に復活を果たし、新たな旅へ出る羽目になる事をこの時はまだ知らなかった。
そして再集結した三人の仲間達の間に、魔神の瘴気をも凌駕するギスギスした空気が絶えず蔓延り、僕が魔神だけでなく胃痛との戦いを強いられるのも別の話だ。〈完〉




