とある少女の話 1
きっかけは些細な事だった。
輪番制の子どもの遊び。
存在を無視するという、たったひとつのルールのイジメに沙奈は選ばれた。
期間としては五日間。他の同級生だって同じように選ばれているし、沙奈だって遊ぶ側として散々無視してきた。
なのに、
自分がそちら側に立ってから沙奈は世界が恐ろしくなった。
「まじでー」
「ざけんなっつーの」
「はははははは!」
集団で男子高校生が通るだけでも沙奈は震えた。
世間的にみれば、彼らはイケメンと呼ばれる類ではないし、ましてや不良生徒でもない。小学生の時から成長出来ていない部分があり、言葉の意味のまま『ただ声の大きい』少年の集団。
しかし沙奈には声が大きいだけで上位の存在に思えた。その彼らに不細工だと言われたら。キモいと吐き捨てられたら。全く知らない彼らなのに、そう思うだけで彼女の心はぎゅうっと苦しくなった。
「大丈夫?」
――――だから、いきなり声を掛けられても沙奈はどうしていいかわからなかった。
呼吸が苦しい、でも呼吸を大きくすれば気持ち悪いとなじられるかもしれない。
沙奈はそう思うと、必死に呼吸が荒くならないよう耐える事しか考えられなかった。
「どしたー?」
「いや、この子顔色悪くね?」
「本当だ」
「てか学校は?」
その言葉に、沙奈は鼓動が早まるのを感じた。
朝家を出た瞬間に学校が怖くなり、沙奈は公園で時間を潰していたのだ。親に知られたくない、今にも駆け出して逃げ出してしまいたい。でも身体は言うことを聞かず逃げ出せない。そんな焦りと気持ちの揺れから、足元すら不安定な感覚を沙奈は感じた。
「……大丈夫です」
「いや、大丈夫じゃないっしょ」
必死に絞り出した一言は即座に否定された。
「(学校でなんかあったんじゃね?)」
「(いじめとか?)」
彼らがひそひそ声で気を使うが、その光景すら沙奈にとっては恐ろしかった。心の負荷が掛かりすぎて、沙奈は現実にフィルターを掛けてやり過ごす。ぼんやりとした五感の中で、未だ男子高校生達が何か騒いでるのだけ沙奈はわかった。
「ちょっと、ばあちゃんに電話してみる」
「それがあったか!」
「圭んちのばあちゃんなら安心だわ!」
しばらくして、『ばあちゃん』はやってきた。
「こんちわー」
「こんちゃー」
「こんにちはー」
「こんにちは。今日も皆元気だね」
どこにでもいるような老人。だけれど、男子高校生達は笑顔で元気に挨拶をする。
「手が冷えてるね。具合は悪くないかい?」
そう言って沙奈の手をそっと『ばあちゃん』が握る。
全く知らない他人なのに、その時沙奈は『ばあちゃん』に恐怖も嫌悪も感じなかった。
ただただ暖かい。
沙奈がそれに気付くと、今まで堪えてきた涙がやっと出口を見つけたとでも言うように勢いよく溢れ出した。
視界の端にあたふたする男子高校生達が映るが、もう沙奈は彼らも怖く感じなかった。説明は出来ないけれど、ばあちゃんがこうして手を温めてくれるうちは何も恐ろしい事はないと沙奈は当然のように思った。
『ばあちゃん』はその日、連絡を受けた沙奈の母親が迎えに来るまでずっと手を繋いで沙奈の側にいた。
その翌日から、沙奈の生活は変わった。
ばあちゃんに勧められた通りに親と担任に相談し、不登校時が通うスクールに通うようになった。
最初は緊張して辛かったけれど、地域のボランティア団体のメンバーとしてばあちゃんはスタッフ側で沙奈の様子を見に訪れた。ばあちゃんがついてくれている。その事実だけで、沙奈は強くなれた気がした。
沙奈はスクールの後、ばあちゃんが家事を休憩する午後三時から四時の間を見計らってよく遊びに行った。
ばあちゃんはいつだって美味しいお茶とお菓子を用意して待っており、沙奈程頻繁ではにはないにしろ、色々な人がばあちゃんに会いに訪れた。
みんな笑顔でばあちゃんに会いに来る。ばあちゃんはみんなの人気者。
自分自身のことでなければ、家族でもないのに沙奈にはその事がとても誇らしかった。
ばあちゃんの孫である圭も時折顔を出した。
圭は男子高校生だけれど、のんびりした雰囲気と笑った時の顔がばあちゃんに少し似ていた事で、沙奈は彼の事を怖がる事はなかった。寧ろ、ばあちゃん家の縁側に座って三人で過ごす時間が沙奈は何より大好きだった。
だから、
死ぬ間際になって沙奈はひたすら後悔をした。
夜の女の子の一人歩きは危ない。
大人からしたら当たり前の事実のそれを、軽く考えていた事を沙奈はまず後悔した。
一人親の母親が夜勤で不在の日を狙った事にも後悔した。
初めて料理本を読んで作った料理。沙奈は上手くできたから、ばあちゃんにお裾分けしたかったのだ。
美味しいって言って欲しかった。褒めて欲しかった。
彼女の一番の後悔は、目の前で駄目になった初めての料理をばあちゃんに届けられなかった事だった。
体内の血液が減った事で、沙奈は疑似的な寒さを感じた。
「寒いよぉ、おばあちゃん。
また温めて。最初あった時みたいに」
最後にそう言って、沙奈の短い人生は幕を閉じた。




