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「この子の名前はもう決めてあるの、レオよ」
汗で額に張りついた髪も気にせず、生まれたばかりの赤子を抱いた母親は嬉しそうにそう唱えた。
「君が言うならそれでいいと思うが、何故レオなんだい?」
身分ある者の名前の付け方には作法がある。公爵夫人である妻がそれを知らぬ筈はないと男性は思ったが、それでも平民のような短い名前をつけた意味が気になった。
「ご先祖様の名前をいただくのは普通のことでしょう?」
「まさか……!!」
悪戯っぽく言った妻に、男は顎が外れるかと錯覚する程驚いた。歴代王家の中でも偉大な逸話が数多く残るレオナルド陛下。
自らがその血を少しでもひいているとは言え、随分前に分家して出来た公爵家としては歴代王の名を勝手に我が子につけるには些か立場が悪い。
「だからこそのレオか」
綴りを変えればいい。平民のようだと指を指されたりする事があれば、その家に圧力をかければいいだけだ。何故その名を選んだが理由はやはり分からないが今聞く必要はない。愛する妻の決めた名だ。その名ごと、この子を愛する事を誓おう。
そう思った男性は、妻を労い我が子の誕生を心から喜んだ。
それから、レオと名付けられた少年は両親だけでなく多くの人から愛されて育った。
「つまらない」
「すみません、何か仰いました?」
「いいえ、なんでもありません」
そう言って、レオは爽やかな笑みと共に答える。
両親の愛と生まれながらにしての地位と容姿、全てに恵まれながらレオは育った。
土台が良く家庭教師が驚く程勉強は出来たし、身体を動かす事においてもセンスが良かった。その麗しい見た目から、物心ついた時にはレオは多くの子女の憧れの対象だった。
だからなのか。
レオは変わらない日常に、思い通りにいく世界に、ほとほと嫌気が差していた。そう思うのは今日に始まった事じゃない。思い返せば遥か昔、まだ年少の頃には既に感じていたのだ。
レオは幼いある日、名前をいただいた過去の王陛下の肖像画を両親と共に観る機会があった。レオナルド様のように偉大なお方になるんだよと告げた両親にレオは聞いた。
『このお方に僕は少し似ている気がするけれど、この女性の方に似ている子はいないの?』
ただの子どもの意味のない質問だった。気になったから聞いただけ。しかし運命のいたずらか肖像画に写った女王陛下に似た少女は現代に実在したのだ。
『可哀想にね、病気を患ってお部屋から出られないの。魔力が暴走を起こしているそうよ。もしその子が治って元気になったら遊んであげてね』
少女を憐れむように眉を下げて言った母の言葉に、レオは違った気持ちを覚えた。
人とは違う生い立ち。その非日常感と特別さが、レオは大層羨ましく思えた。少女の苦しみを想像して尚、自分がその立場だったら良かったとレオは思った。
日に日にその思いは増していき、レオは何か日常を変えてくれる者はないかと探し始めた。
両親には悪いが、劇的な身分差の恋の後、愛の逃避行でもしてみようか。
そう思ってレオは屋敷の中で手頃な侍女を探したが、理想の女性はいなかった。そもそもレオの父の爵位が高いので、物語のような理想の身分差の女性はいなかったし、レオを熱い眼差しで見つめる侍女達に自身の情が湧くとも思えなかった。
自分だけの騎士団を築き上げて、物語の主人公のように活躍しよう。
そんな子どもの夢のような考えについてくる貴族男子はいなかったし、公爵家の長男として生まれたレオには責任の重さも教育を受けた意味も理解していた。本当に夢物語だと、誰に話す事もなくレオはその考えを捨てた。
いっその事、悪の親玉となり王政を裏で操ってみよう。
そんな事を思ってよくよく情勢を観察してみると、王宮内は下位互換の悪で溢れていた。大きな戦争は何百年もなく、国は適度に潤っているのにそれ以上の悪を行うにはレオの善性がストップをかけた。
大人しく周りの期待に応えながら、この先もつまらない人生を送って行くんだろう。つまらない人間の僕にはお似合いだ。
そんな風にレオが黄昏ていると、視界の端で何かが光ったのに気づいた。見間違いかと思ったが、身を乗り出してよくよく見てみると遠い森の中でチカチカと何かが光っているのがレオの目に映った。
ここはレオが普段住む実家の領地でもなければ、王都の別邸でもない。他国の要人と父が外交する為に訪れた辺境の街。勉強になるからとレオはそこへ着いてきたのだ。
レオは今、伯爵夫人が開いた屋敷の屋上庭園で開かれているサロンに参加していた。どうにも光が気になって彼は抜け出す理由を考えるが、そんな事を考えるのは初めてだった。
「申し訳ありません、突然鹿が食べたくなったので僕は狩りに行きたいです」
子どもでも言わないようなトンチンカンなセリフを吐くと、レオは自領から連れて来た護衛と辺境伯の抱える兵士と共に馬に乗り森の中へと向かった。




