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最強魔術師は無職です  作者: 十字たぬき
記憶の上映 2

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57/73

5




「取り敢えず、メアリーもここにいるって決まったみたいだし!」


 クロは二人の意識を変えるかの様に、そう言って一度手を打ち鳴らした。


「まずはさ、ほら! 疲れただろ!? 風呂でも入ったらいいと思うんだ!」


「風呂……?」


「ここ台所二つもあったから、一つは風呂場に丁度良いって思って作ったんだ! 今お湯用意してくるから!! 大丈夫、扉に鍵もあるし!!」


 豪華なドレスを着た美少女から漂う(かぐわ)しい香り。正直に言えば、耐え(がた)い匂い。


 クロは語尾を強めながら必死に誘導する。


「まだ今月は入ったばかりよ? そんなに入っては悪いものが憑くでしょう?」


「え?」


 今月入ったばかり。それはいつの事を指すのかわからないが、現代日本人と違いメアリーが毎日風呂に入らない事はクロにも分かった。


「ありがとう、気持ちだけ頂くわ」


 そう言ってメアリーは微笑んだ。

 疲れているだろうと、手間のかかる風呂を用意すると申し出たクロに素直に感謝したメアリーだがクロの狙いはそこではない。


 匂いが気になるんだって!!


 クロが心の中で叫ぶ。しかし口には出さない。

 価値観の差はあれど、人が言われて嫌な気分になる事を彼は言いたくないのだ。頭の片隅に住む、祖母の教えが彼の口を(つぐ)ませる。


 俺が我慢すれば良いんだ。相手を否定する事はない。


 そう自分を納得させようとしても、やはり匂いが気になって仕方がない。


 油と生乾きの雑菌臭、そこに少しの酸味が混ざったような匂い。それだけならまだクロにも我慢できる人間の匂いだ。体育の授業の後や、部活を頑張る同級生からそんな匂いがする事もあった。

 しかしこの前の美少女は、そこに過度な程の香水の香りが混ざっているのだ。



 匂い(スメル)()暴力(ハラスメント)



 今後の関係を考えれば、このままにはしたくない。

 そう心に決めたクロは、強い意志でメアリーを見つめた。


「ごめん、何もしないからちょっと近づくよ。ロベルトもこっち来てくんね」


 そう言ってクロはソファに腰掛けるメアリーの元へ近づいた。目の前まで来るとクロはメアリーとの距離を見て、片膝を立ててその場に跪いた。


 まるで物語に出てくる騎士みたい。


 そう思ったメアリーの心が高鳴る。自国にはないが、外国から輸入される物語には姫と騎士が強く結ばれるものがある。そこに恋が伴っていなくとも、『特別な関係』にメアリーは惹かれるものがあった。


 いきなり何をしているんだとロベルトが見つめる中、ゆっくりとクロは口を開いた。


「俺の首のあたり嗅いでくれる?」


「……え?」


 突然の言葉に一瞬呆けたメアリーだったが、次の瞬間顔を赤らめて上擦った声を上げる。


「なんて破廉恥なっ! そもそも私には――」


「いいから。大事な事なんだ」


 被せるように言ったクロの目は真剣そのものだった。何か意図があるのだろうかと、半信半疑ながらもメアリーはクロの首筋へと顔を近づけた。


「ねぇ? わかる? 俺の匂い」


 体勢的に耳元の近くで囁かれ、メアリーは鼓動が一瞬大きくなったのを感じた。


「匂いって貴方!!」


 淑女教育の中で、公爵令嬢であるメアリーは高貴な血筋を残す大切さも方法も既に学んでいる。しかし高位貴族であるからこそ、真っ新な処女(おとめ)である事も求められるのだ。未だメアリーは、心が乙女なのである。


 男性の匂いを嗅ぐなど性的な事を求められた事に咎める発言をしようとして、彼女は気づいた。


「匂いがしない……?」


 平民であるから、貴族御用達のような高価な香水は手に入らないかもしれない。それだけならば普通の事だが、クロの体臭はそれだけではないのだ。


 汗も、皮脂も、その臭いがしない。

 香水の代わりに、ほんのりと果実のような香りが仄かにした。


「ほら、ロベルトも!」


 クロに促され、狙いを察したロベルトも嫌々ながら隣に跪いた。


 今度はメアリーは顔を赤らめる事もなく、興味本位からロベルトの首筋を嗅ぐ。クロと同じように、彼女の鼻腔にはロベルトの汗の匂いも皮脂の匂いもわからなかった。


「ロベルトは、元々傷が多い生活だったみたいで化膿しないようによく身体拭いてたんだって。風呂も気に入ってくれたんだ」


 なっ、と同調を求められたロベルトは嫌な予感がしてその場から立ち上がった。


「だからさ、メアリーも風呂入ったらサッパリするから入った方がいいと思うんだよ」


 クロに強く言われて、メアリーはふと自分の匂いが気になった。その身に纏う香りは、一流の調香師が作った最先端の物。王都中の貴族令嬢が憧れてやまない一品だ。しかし、メアリーの心にはなんとも言えない不安が渦巻く。

 居心地が悪く座り直そうと身じろぎをした時、彼女は気づいた。むわっと昇ってきた自身の汗の香りに。


 メアリーの頬が一瞬で赤くなる。


「なんて無礼な!!」


 激昂した叫びと共に、ばちんと大きな音を立ててメアリーの平手打ちがクロの頬に決まった。


「いいわ! 入ってあげるわ! 早く湯を用意して来なさい!!」


 早口で捲し立てられ、クロは急いで立ち上がり浴室へと去って行った。


 平手から逃れたロベルトは逃げるように扉を開けるクロの後ろ姿を見送ると、意識を切り替えメアリーへ鋭い視線を向ける。


「あいつはただのお人好しだ。だが俺はそうじゃない」


 未だ羞恥で頬を赤くしていたメアリーだったが、ロベルトに向き直った時には令嬢の仮面を被っていた。


それでも怯む事なく、ロベルトは静かに話す。


「何を望む? 何を(たくら)む? 何を俺達に与えてくれる? 腹を割って話そうじゃないか」


 細部まで豪奢な袖で口元を隠すと、メアリーは優雅な仕草で微笑んだ。


「あら、あなたに理解が出来ると思って?」


 平民と見下した言葉。その耳に届いた瞬間、ロベルトの額に青筋が浮かんだ。


「助けてくれた事には感謝してるわ。けれど、それとこれとは話が別でしょう。私が考えるのだから、あなた達は手足となって動いてくれればいいの。そこに思考はいらないわ」


 貴族階級と平民の立場。スラム出身のロベルトは人として扱われる事の無かった存在だ。しかし、スラムにはスラムの流儀がある。


「なあ? アンタ立場がわかってんのか? このまま俺が森の中にアンタを放り込んだら狼の餌だぜ?」


 今度はメアリーがこめかみをぴくっとさせる番だった。


 二人がバチバチと火花を散らせている中、クロは湯船に花を浮かべたら女の子は嬉しいかもしれないと思いつき、森の中で花を摘んでいた。

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