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ロベルトは、視界が光に包まれた瞬間思った。
こいつやりやがった、と。
『よし、これで取り敢えず安全っしょ!』
新居である屋敷の中で、クロは満足気に呟いた。隣にはロベルト、向かいのソファには縛られた状態の女性がソファに腰掛けている。咄嗟にテレポーテーションを使った結果がここにあった。
『…………アンタ、この状況どうする気だ』
『え?』
『この女はどこのどいつだ』
『俺にわかる訳ないじゃ――』
『そうだ。だから、もう少し様子を見るべきだった』
『でも! そうしたらこの子が危ない状況になってたかもしれないじゃん!』
拘束した状態で隠すように運ばれている女が、わざわざ街中の大通りでいきなり殺される事などないとロベルトは思っている。殺すつもりなら既に死体の状態で運ばれるだろうし、落ち着けばクロだって理解してくれるとも思った。だが同時に、こうなる原因も彼には心当たりがある。
ここまでクロを焦らせる原因は、アレンの件があったから。
少し共同生活をしただけの人間をそこまで思うクロの情の厚さ。ついそれに絆されて、ロベルトはこれ以上説明する事はやめた。
『あの女になんと説明する?』
『普通に、もう大丈夫だよって言えばよくね?』
ロベルトは、一瞬で所在が馬車の中から屋敷の間に変わったにも関わらず動揺する素振りすら見せない女を横目で見ると、一つ決断をする。
『アンタが説明しろ』
クロとロベルトでは短い間でもかなり価値観の違いがあった。多少の甘やかしはするつもりだが、元の世界に戻る手段が無い以上、クロはこの世界のルールも知らなければならないとロベルトは思った。
だからロベルトは、初対面の人間を相手にこの国の人間との価値観の相違がわかる良い機会だと、この件をクロを任せる事にした。
『わかった! じゃ、魔法解くよ?』
クロの合図と共に、二人に掛かっていた姿を隠す魔法と声を消す魔法が解除される。
突然少しの光と共に現れた二人の少年を見て少女は一瞬目を見開くが、次の瞬間にはまた動揺を一切見せない憮然とした表情に戻った。
「もう大丈夫だかんね! 今解くから」
そう言ってクロは女の背後に周り、まず猿轡になっている布の結び目に手を掛けた。
「!!」
その時、ロベルトには見えた――――
「まずい! その女舌を噛む気だ!!」
ロベルトが急いで声を掛けると、クロは咄嗟に手を女の口へと突っ込んだ。
「いっっっっつ!!!!!!」
手加減のない顎の力で指を噛まれ、クロは痛みに悶える。叫びにすらならない声を出しながら、魔法で再度、少女に猿轡を装着する。しっかりとそれを確認してから、クロは魔法で自身の指を癒した。
「大丈夫か?」
「痛かったぁー、指千切れるかと思った……。てか、なんでこの子いきなり舌噛もうとした訳?」
「辱めを受けるくらいなら自害しようと思ったんだろ」
本当にバカだ。ロベルトはそう呟きながら、過去にスラム落ちした女が本当に自殺した事を思い出した。
「死ぬ覚悟が決まれば、人生を変える方法なんていくらでもある」
クロの姿を見て、今度こそ少女の表情が崩れた。躊躇なく噛み付いた指には、血どころか噛み跡のひとつもない。
「ごめん、怖かったんだよな。俺達何もしないから安心して!」
クロが言ったところで、猿轡をしている少女は返事が出来ない。
「また噛もうとしたら困るしなぁ」
そう言って、クロは思い付いた念話の魔法を少女へ掛ける。
「心の中で喋ってみて?」
『この人は何を言って……え!!!!』
思った事が音として耳に届いた事に少女は驚いた。
『あなた何者なの? 何が目的?』
「目的と言われても、なんか攫われてるみたいだから咄嗟に助けたとしか」
少女は訝かしむが、クロは深く考える事なく答える。
「どうする? 家に帰してあげたいんだけど、家の場所わかる?」
まるで迷子に問い掛けるような言葉に、少女は攫いに来た者達とはクロ達が別なのだと漸く気づく。
『あなたは……?』
「んー、通りすがりの魔法使い的な?」
『魔ですって!?』
馬車から違う場所へ移動し、傷を一瞬で治す。その特別な力をクロは魔法だと捉えているが、この国では『魔』という言葉に違う意味があった。
『何故、神の時代に滅ぼされた魔が……!』
「アンタが想像してるのとは違う。コイツはこの国から遠い所からやってきたただのお人良しだ」
話がややこしくなりそうだったので、ロベルトがフォローを入れた。
憮然とした態度を繕っていたものの、その素顔はまだ成長途中の少女。突然起きた色々な出来事と、クロとロベルトの緊張感の無さの緩急に翻弄され、遂にその分厚い仮面を外した。
『ありがとう。助けてくれたのね』
その心の声が暖かかったから、クロはもう大丈夫だろうと魔法で拘束された口と手足を自由にしていく。
今度は、少女は舌を噛むような事はなかった。ほっとした表情の少女を見てクロは安堵する。
少女にかけた念話の魔法を解いた時に、街に入る時に念の為自分にもう一つ掛けた魔法があった事をクロは思い出した。
「…………おっ」
「どうした?」
クロが淡く光ったから、魔法を何か使ったのだろうと察したロベルト。クロはなんとも言えない顔で固まっている。
スラムで現代日本人には耐え難い匂いに苦労したクロ。王都と言えども油断ならないと嗅覚を鈍感にする魔法をかけていた。
魔法を解いた事で、可憐な顔をした少女から想像もしなかった匂いが漂ってくる。クロの脳内はパニックで大変な状態となっていた。
クロがこの世界に住む貴族の風呂事情を知るのは、もう暫く後の事である。




