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ラルムは焦っていた。
「レオ殿の使いか!? 手紙は!?」
「は、はい! こちらに!」
窓から馬車が見えた途端に駆け出し、挨拶も抜きにその場で使いの者に詰め寄る程に。
先日、ラルムの屋敷で一大事があった。
悪い魔術式者に、娘のサラが襲われそうになる夢を見たラルム。だがそれはまさかの現実で、屋敷の使用人達から事情を聞いて驚いた。
幼いサラが魔術式もなく、死んだ妹の幻影を作り出し生活をしていたと言うのだ。
使用人達の話を聞いた結果、あの黒い男は客人で、大分荒療治だが自分と娘のために貴重な魔術式を使ってくれた事まではラルムにも理解できた。
元々王都に拘束されていたのは、近隣の領主同士の揉め事に巻き込まれたからで、本筋はラルムに関係はない。いい機会だと、突然消えた詫びを伝える使いを出して、そのままラルムは領地に引きこもった。
サラとの時間をしっかりとった結果、ラルムが不在の時にあった様な事は起きず全て解決した。
そう思ってラルムが心穏やかに生活していたある日の事。
使用人の一人から、客間の壁とカーテンをどうするかと問われた。
何故そうなったのかわからないが、先日の一件の際に客間の壁とカーテンが黄色地に黒の水玉模様という気味の悪い柄に勝手に変えられたのだ。
「どうします? カーテンも傷んではないのですが」
「気色悪いよねぇ」
これらを新調する位の蓄えはある。
しかし、今必要な事かと言われると元々滅多に使わない客間だ。不在の間に溜まった仕事を片付けてから考えようと、ラルムが思ったその時だった。
壁の水玉のうち一つが蠢いた。
「ひぃっ!!」
気味が悪いと思っていたが、実際に何かが起きるとはラルムは思ってなかった。突然の事にラルムは突っ立ったまま息を飲むことしか出来ない。
黒の水玉はぐねぐねの波打ちながら壁から這い出てくると、真ん中から割れ目が開き、大きな一つ目が現れる。
小枝のような四本足でこちらに向かってこようとするのを見たラルムは、恐怖で腰が抜けその場に尻もちをついた。
「旦那様! 大丈夫ですか?!」
突如腰を抜かしたラルムを心配する使用人の視界には、謎の一つ目は入っていないようだ。
「あ、あれ·····」
ラルムが震える腕を上げ指を指すと、それを見た使用人の男は目を見開く。
「わあ、可愛いですね」
「可愛いだって?! あれが!?」
「ほうら、よしよし」
ラルムには、気が狂ったとしか思えなかった。使用人の男は謎の一つ目を笑顔で撫でている。
「それにしても、どこから入ってきたんでしょうね?」
「壁から這い出てきたんだ!」
「壁から? どこか穴が空いてますか?」
「違う! その黒い水玉がソイツになったんだ!」
「…………旦那様、お疲れのようなので今日は休まれた方がよろしいかと」
頭を心配するのはこっちだ、とラルムは思ったが、言葉通り今日はもう休む事に決める。
「ソイツはどうするの?」
「出来れば御屋敷で飼わせていただければと思いますが、大きくなって肥えるようなら食用にするのもいいかもしれません」
「食べるの!? それを!?」
薬の一種で、生き物の目玉を使うものがあるとラルムも聞いたことがある。しかし得体の知れないものを食べる気にもなれない。
今処分したとして、禍々しいその姿から簡単に殺されてくれるともラルムには思えなかった。
類を見ない個性を持つ生き物、魔物。それの類となれば一般人が手を出すのは危険である。
だが、突然の不可思議な出来事で疲れがどっと出たラルムは早く休む事を優先し、これ以上の思考を放棄した。
「まあ、下手に放つ方が気になるしね。ちゃんと見張っててよ」
そう言って、ラルムは客間を後にした。
翌日、いつもの通りにラルムが執務室で仕事をしていると、開け放った窓からサラの笑い声が聞こえてきた。
母と妹を亡くしたばかりか、慣れ親しんだ使用人までいなくなり、ここ最近は父であるラルムの前以外でサラは笑顔を見せることがないようだった。
こうして年頃らしくはしゃぐ声が外から聞こえた事にラルムは安堵した。
椅子に腰かけたまま軽く伸びをし、窓の外の様子を見るために立ち上がる。
ラルムは窓の外のサラを探して凍りついた。
サラの上に、昨夜見た一つ目が乗っかっていたのだ。
「なんで!? どうして!?」
元々高くない身体能力を全力で使いラルムは駆ける。その様子を見た使用人や、ドタバタと駆ける音を不思議に思った使用人が集まり、屋敷にいる者全員が庭へと出てきた。
「サラ!!」
息を整えることなくサラへと駆け寄るラルム。
「お父さま?」
「ソレから離れなさい!!」
訳が分からないサラだったが、ラルムの必死の形相を見て大人しく膝から一つ目を降ろす。
それを確認したラルムはサラの傍によると、周りに集まっていた使用人を呼んだ。
「何故、君達はコレをサラに近づけた! 気味悪く思うものはいなかったのか!?」
「お父さま違うの。私が悪いの。可愛い動物を見たって聞いたら気になっちゃって、私がお願いしたの」
サラの必死の擁護よりも、ラルムには気になる事があった。
「……可愛い?」
「申し訳ございません。いくら人懐っこいとは言え、獣の爪などで怪我をした時の考慮をしておりませんでした」
使用人を代表して、家令の男がラルムへと謝罪をする。しかし、ラルムが今不安に思ったのはその事ではない。
「ねえ、君達コレをみんな可愛いと思ってるの?」
家令の男の言葉通り、野生の生き物に受けた傷で病気にかかったり最悪死に至る事もある。
田舎の屋敷に住むと言えども、ラルムもサラも貴族だ。平民ではない。距離が近いから勘違いしてしまうが、今更その事に気づいて使用人達は顔を青くして口を閉じる。
その様子を見て、リルムは悟った。
コイツの正体を知っているのは自分だけなのだと。
恐らく、自分以外は他の何かに見えているのだとラルムは思う。見た目を欺くような狡猾な生き物など、自分の手で負えるようなものではない。今はまだ、見た目で騙されてるだけのようだが、いつ豹変するかわからない。
一難去ってまた一難。
奇怪な現象を解決してくれる人物など、ラルムには一人しか心当たりがない。
「すぐに手紙を書く。大急ぎでレオ殿に届けてくれ」




