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「これ、貴方が作ったの……よね」
メリッサは、首にかかったネックレスを掌にのせて言った。その手はかすかに震えている。石版が果たしていた役割を、そのネックレスが行っていることを、自分の身体を流れる魔力の流れでメリッサは感じ取った。
「ダサいとか言うなよ。俺そういうのわかんねぇし」
「そうじゃなくて!」
師匠よりも凄い。
メリッサはそう思った。
魔術式を刻む表面積を限りなく小さくした石版が、メリッサが先程まで背負っていたものだった。
それと共に生活するにはメリッサには重く辛い日々だったが、師匠が最先端の研究を駆使して作った事は知っていた。
こんな小さなネックレスの石を媒介に、魔術式を刻む方法なんて師匠ですら知らないだろうとメリッサは思ったし、だからこそ、この男を引き止めなければと思った。
「お願いがあるの」
「やっぱりあるんじゃねーか」
「私、皆を見返したいの」
メリッサの強い眼差しを受けたクロは、目を逸らして溜め息をつく。
「取り敢えず座ろうぜ。俺はクロ」
そう言って、芝生の上にクロは座り込む。その様子を見て、メリッサも向かいに座った。
「私はメリッサ」
「メリッサさー……って、すげぇ言いにくいな。メリーでいっか」
「その名前は嫌!!」
メリッサが声を突然荒らげる。クロは驚いて肩をビクつかせた。
メリッサの姉と名乗ったマリー。あの日以来会っていないが、マリーの存在はメリッサの心の中では未だ恨みの対象として残っていた。
自分とは違い、小さい頃から陽の光を浴びて育ち、母と共に暮らしたマリー。
その姉と同じ呼び方をされれば、自分の存在までマリーに奪われる気がしてメリッサは怖かった。
「ああ、わかった。ところでさ、見返したいって言われても、俺には何をどう手伝えばいいのかサッパリだ。レオに頼まれたから出来る限りはしてやりたいとは思うけど」
「そうね。クロには話すわ。貴方には手伝って貰いたいから」
そう言って、メリッサは自分の半生を語った。こうして自分の口から誰かに伝えるのは初めてだったが、音に変える事で少し気持ちが楽になった気がした。それでも、根本的な心の闇は晴れなかったが。
「クロに貰ったネックレスで、これからは普通の人と同じ生活が出来る。だから、私はこの身体にある魔力を使って、マリーよりも、私に意地悪した子どもよりも、師匠よりも凄い人になって見返したいの。クロならその方法がわかるでしょ。教えて欲しいの」
メリッサは、クロが頷いてくれると思った。自分を石版から解放してくれた人だから。
「見返したらどうすんの?」
だからメリッサは、そんな質問が返されるなんて思ってもみなかった。
「え……?」
「見返した先にさ、メリッサの幸せはあるのかって」
「あるに決まってるでしょ。私は今まで不幸だったけど、私が凄い人になったら、私を置いて幸せだった人達を越えられるんだもん」
「周りの奴らを見下したいってこと?」
クロの言葉に、メリッサは頭に血が昇っていくのを感じた。
「貴方に何がわかるのよ! 私が今まで、どれだけ不幸で、どれだけ寂しくて、どれだけ辛かったか……!!」
メリッサにだってわかっていた。見下したところでその先がない事を。
けれど、人から可哀想と言われ、だけど何も助けになって貰えず、一人で辛さを抱えて生きてくには、消えていく楽しい感情よりも、絶え間なく訪れる負の感情を糧にするしかなかったのだ。
「見返したいって思ったっていいじゃない……」
そう言った時、メリッサの瞳には大粒の涙があふれていた。
「ごめん、悪かった。泣くなって、謝るから」
どこから取り出したのか、柔らかなハンカチを差し出して、クロはオロオロする。
「メリッサのさ……やっぱいいにくいな……まあ、いいや。見返したい気持ちはわかるよ。でも、アンタは今まで不幸だったんだろ? だから、見返すとかじゃなくてさ、好きな事して生きた方が楽しいんじゃないの?」
「好きなことなんて無い……」
メリッサは好きな事を見つける余裕など、今までの生活になかった。恨み妬みを育てる事で、必死に生きる理由を作ってきたのだ。
「じゃあ、取り敢えず楽しい事片っ端からやってみね?」
「楽しい事ってなに……」
「俺も実は無趣味な人間なんだけど。取り敢えずパリピなイメージで試してこう」
クロが言い終えると、メリッサの視界は光に包まれた。
「なに、ここ……」
メリッサの視界から光が消えれば、先程までいた屋敷の庭の芝生ではなく、砂の地面が目に入った。
そして気づいたことがもうひとつ。
「クロ、もしかして媒介なしに魔術が使えるんじゃ……」
「見てみろよメリッサ! 結構綺麗じゃん!」
メリッサの呟きを遮って、クロが声を上げる。
その声に顔を上げれば、メリッサの視界には青く澄んだ空と、太陽に照らされキラキラと輝く海が映った。
「ほら、行こうぜ」
クロに手を引かれてメリッサは砂浜を駆け出す。
何故私達はここにいるのか。
――絵でしか見た事のない海。
何故クロは連れて来たのか。
――靴を履いていても地面の砂が熱い。
媒介なしの魔術なんて。
――こんなに全力で走ったの初めて。
メリッサの心には色んな感情と思考が混ざったが、それも一瞬の事。
駆け出せば、足を動かす事に必死で、頭の中は空になった。
ばしゃん、と音を立ててクロが海へ入る。
手を引かれたメリッサもその勢いのまま、つられて脚を浸した。
「ええええええええっ!!」
「ははは! 何その声!」
「な、だって、なんで水の中に」
「海に来たなら入るべきだろ?」
「だって、冷たいし、服も靴も濡れちゃって」
「そんなん、後でどうとでもしてやるよ」
そう言ってクロは笑った。
その顔が憎らしく思えて、メリッサは海水を手で救ってクロへかける。
「おお! やる気か! コラァ!」
物騒な言葉だが、クロのその顔は笑っている。
そこからは、浜辺で水の掛け合いが始まるが、体格的にも体力的にもメリッサが勝てるわけはない。
メリッサの息が切れてきた頃、クロは近寄ってその手をとった。
「もっと深いところ行こうぜ」
「そんな! 脚のつかない所に入るなんて!」
溺れる可能性に怖さを覚えたメリッサだったが、ふとクロから空気の入った袋を渡される。
「それ掴まってれば溺れないだろ」
片手に袋を掴みながらメリッサは、クロに手を引かれて深い方へと引っ張られていく。
二人の足がつかなくなってしばらくした頃、クロは大の字になって海面に浮かんだ。
「アンタもしてみたら? 気持ちいいぞ」
少し戸惑ったが、メリッサも浮き袋を抱えて浮かぼうとしてみる。しかし、上手くいかない。
すると身体に薄く光が集まりだして、メリッサも海面に浮く事が出来た。
しばらく穏やかな波に揺られていると、気持ちまで穏やかに感じることにメリッサは気づく。ただ、このままだと寝てしまいそうで怖かったので、メリッサはクロへと言葉をかけた。
「日差しが暑くて、けれど水が冷たくて、なんだか不思議」
「気持ちいいだろ。俺も最後に海入ったのじいちゃんとだったから、すげぇ久しぶりでさ。なんか海の楽しさずっと忘れてたわ」
「そう」
「俺も最近さ、なんで俺は生きてるのかとか思ってたんだけど、そうだよな。好きな事見つけて、好きなように生きればいいんだよな」
それはメリッサに語りかけた言葉ではなく、クロが自分自身に言い聞かせたように感じたから、メリッサは返事をせずに黙った。
「苦しい思い出とか辛い思い出とか置いといてさ、こうやってひとつずつ試してこうぜ。俺も一緒に探すから」
「うん」
ここに第三者がいれば、傷の舐め合いだとか、現実逃避だと罵るかもしれない。
しかし、この時二人は自分が一人でない事に安心して、穏やかな時間を過ごす事が出来た。




