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幼いメリッサは、冷たい床の上で生活していた。
腹を空かせる事はなかったし、毎日早朝に訪れる侍女が世話をしてくれる。不便な事は何も無い。
変わらない生活の中で時折、母と名乗る身綺麗にした夫人が訪れるのが、メリッサにとって一番の楽しみだった。
侍女とは違う、特別な笑顔を向けてくれる女性。綺麗なドレスを着た、華やかな大人。
その人が、ふとした時に涙を零せば、メリッサは自分の胸が苦しくなるのを感じた。
「ごめんなさい、私が普通の子に産んであげられたら」
メリッサにその言葉の意味はわからなかったが、夫人の悲しい思いが和らげばと思って、彼女が涙を流す度にその背中を優しく撫でた。
そんな穏やかな生活に、変化が訪れる。
メリッサの部屋に新たな客人が来たのだ。
「静かにしてね! 大きな声出したら気づかれちゃうから!」
そう言った人物は、メリッサにとって初めて見る自分以外の子どもだった。
「私はマリー。あなたのお姉さまよ」
マリーは、メリッサに色んな遊びを教えた。知ってる限りの楽しい話を語って聞かせた。
いつしかメリッサは、夫人の訪れよりもマリーと遊ぶのを楽しみにするようになった。
「私ね、メリッサがこんな冷たい部屋にいるのが可哀想で仕方ないの」
「つめたい……?」
冷たいという言葉の意味は理解していたが、ここで生活する事しか知らないメリッサには、不思議に感じる言葉だった。
「お外は暖かくて、眩しくて、風が吹いて気持ちがいいの。寝る場所だって、こんな硬い床じゃなくてふかふかのベッドがあるのよ」
だからね、とマリーは続ける。
「一緒にお外に出ましょう!」
メリッサは、外に出る事を教えられた事も無ければ、外を知ろうとした事もなかった。周りの大人達からも外に出るのを禁じられた事もない。
それ故に、差し出されたその手をメリッサはとってしまった。
メリッサの頭の中で何かがガンガンと鳴り響き、全身には締め付けるような痛みが襲う。呼吸すら上手くいかず、血は熱を持って身体中で暴れた。
痛い。苦しい。嫌だ。嫌だ。
「ごめんなさいっ、知らなかったのっ、謝るからっ! どうかメリッサを助けて!」
霞みゆく意識の中で、マリーの泣く声が聞こえた。メリッサは、その背中を撫でてやりたいのに、腕に力が入らず、そのまま意識を失った。
『魔力暴走症候群』
それが、幼いメリッサにつけられた病名。
本来人間の持つ魔力の生産量を遥かに越え、それが上手く排出出来ずに体内で循環して身体を蝕む。
平民の子であれば、生まれて間も無く死んでしまうものだが、その点ではメリッサは生きるための場所に恵まれた。魔力を外から吸収する石版の上で生活すれば、命の危険はなかった。
マリーに手を引かれて、外に出た日、体調を崩したものの一命は取り留めたメリッサ。
腹を空かせる事はなかったし、毎日早朝に訪れる侍女が世話をしてくれる、いつもと変わらない日々。
けれど、メリッサは外に世界がある事を知ってしまった。
同じ子どもなのに、太陽の下で元気に駆け回ることの出来るマリーが羨ましくて、恨めしくて、憎かった。
あの子は良くて、なんで私は駄目なのと、喉を枯らして叫び続けた。
夫人が訪れても、メリッサの顔を見て涙しては、直ぐに部屋から出ていった。
私を置いて、マリーの側へ行ったんだ!
メリッサはそう思い、外の世界への恨みと憧れを持って心を歪ませた。
知らなければ変わらなかった日々。知ってしまってからは苦痛となった日々を繰り返して、繰り返して、繰り返して。ある日、その人は現れた。
「外に出たいかい?」
白く長い髭と髪をもつ、背の高い老人。
その人が誰だかもわからなかったが、メリッサは力強く頷いた。外には光があると知っていたから。
しかし、メリッサの心に光が差す事はなかった。
魔術式を研究する第一人者の老人を、皆『師匠』と呼んだ。
師匠の周りには沢山の人が集い、メリッサと同じように親元から離れた子どもも大勢いた。
しかし、メリッサと同じ魔力暴走症候群の子どもは一人もいない。
メリッサはこの場所で、昼間は勉強をし、そのあと掃除をして、夜は師匠の研究の為に魔力を提供する。
メリッサの生活は石版の上から離れた代わりに、石版を背負う生活に変化した。
陽の光に当たらず生活してきたメリッサは他の子どもと比べても小柄であったから、重い石版を背負っての生活は身体的にも精神的にも苦痛だった。
重さに耐えかねて腰は痛むし、紐が食いこんだ肩は擦り切れ、その中で他の子どもと同じように生活出来る訳もなかった。
「貴方が師匠に目をかけて頂けるのは、魔力が多いからなんだから」
「魔力がなければ、貴方なんかいらない子よ」
「どんくさい貴方にいい所なんてひとつもないわ」
他の子どもからは大人に隠れて罵声を浴びせられる毎日。時には水を掛けられることもあった。
師匠の研究室に毎夜通っているのも、嫉妬を煽る原因だったが、メリッサはそれに気づける余裕はなかった。
ただただ、憎んだ。
親も、マリーも、子ども達も、師匠も、自分も。
この世の全てを憎んだ。
「あ? ガキじゃん」
だから、初対面で態度の悪いこの人間に対してもメリッサは意味もなく憎んでいた。
「レオが頼むから来たはいいけど、俺何したらいい訳?」
「知らない。目障りよ。消えて」
この頃には、メリッサは人に対する拒絶の言葉も簡単に吐けるようになっていた。
「……あ。へぇー、そういうこと」
男は、突如勝手に納得して頷く。
「汚らわしい」
そう吐き捨て、男に背を向けた時、背中が軽くなった事にメリッサは気づいた。急いで見れば、石版だったものが塵となって風に運ばれていた。
「なんで!? あれがなきゃ私……!!」
生きていけない。
その言葉がメリッサの口から出る事はなかった。
メリッサの後ろにいつの間にか回り込んだ男が、その華奢な首にネックレスを付けていた。
石版はないが、身体は軽い。
寧ろ、石版を背負っているよりも清々しいものを感じて、メリッサが胸元を見れば、自分の髪の色と同じ淡いピンクの石が目に入った。
「女の子はそういうの好きなんだろ」
そう言って、下手くそに男は笑う。
それが、メリーとクロの出会いだった。




