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昼間の酒場『メロウツリー』では穏やかな時間が流れる。
今までは、老婆と歳若い孫の二人で成り立っていたものだから、野菜の煮込みと、塩漬けや酢漬け程度の仕込みにもかなりの時間と手間を要した。
それも少し前までの事。
「本当にこれ便利です」
アンナが感嘆の声を漏らす。
アンナの前には、魔術式が刻まれた、まな板型の石版があった。その上に野菜を置いて魔力を込めれば、野菜の皮が剥け実が刻まれる。
アンナには何故石版で野菜の処理が出来るのかわからなかったが、便利である事には変わりない。
お陰で、腰の悪い祖母を仕込みの大部分から解放する事ができたのも、アンナにとっては嬉しい事だった。
「メリーさんは天才ですね」
「ふふふ、ありがと。これでも、クロ様の足元にも及ばないの」
アンナはその言葉が信じ難かった。
先日、この場所へ突然現れたメリーと名乗るこの女性。馬を置いていったレオの紹介で店主の老婆と話がつき、クロの帰りを待つと言って住み込み始めた。
染めているのか、淡いピンク色の髪の毛は艶やかで、肌も白くきめ細やか。大きな瞳をした少し幼げな顔に対し、豊満な胸を持つスタイルは少しちぐはぐな印象を与える。それでも、かなりの美人だ。
それに加えて、仕込みを見て石版を提供したり、店内の掃除を手伝うメリーが、アンナにとっては不思議でしょうがなかった。
「そんなにクロさんの事が好きなんですね」
粗暴で陽気な酔っ払い。
それがアンナが思い浮かべるクロの印象だ。
ついでに言えば、見た目だって少し趣味が悪い。
珍しい黒髪なのはいいとしても、服も靴も全て黒で揃えている。その上着だって、旅人が着るようなフード付きのローブを無理やり腰でぶった切ったようなもの。
ハイセンスでは説明のつかない不可思議な格好。
それに加えて、酒場の他の客に比べるとかなり貧相に感じる体型や、凹凸が少ないその顔はどこかのっぺりとして、どこか蛇や爬虫類のような印象を受ける。
それが不細工だとは思わないが、この目の前の美人とは釣り合わないとアンナは思っていた。
その心を察してか、メリーは穏やかに笑った。
「よかった。クロ様の事少しでも好きなオーラ出してたら、いくら可愛いアンナちゃんでも手加減する自信がないもん」
アンナは背筋がぞっとするのを感じた。
顔は笑っているのに、メリーのその細めた瞳は昏い色をしている。
だが、次の瞬間には昏く渦巻いた瞳は一転する。窓から入る光を反射して、メリーの瞳はキラキラと輝いた。
「好きじゃないの。大好き。愛してる。クロ様がいるこの世界ごと愛せるくらい大好きなの」
アンナは控えめな娘ではあったが、年頃には変わりない。この美人が目を輝かせるような恋物語が気になった。
「メリーさんは、いつからクロさんの事が好きなんですか?」
「聞いてもクロ様の事好きにならない?」
首がもげるような勢いでアンナは何度も頷いた。
「クロ様はね、私の生きる道をくれた人なの」
そう言って、メリーは語り始めた。




