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陽が暮れ始めた頃、
男は、家の玄関の前で服を脱いでいた。
下着姿になり、身体に泥の付着がないか確かめる。一通り確認すると頷いて、やっと家の扉に手をかけた。
「ただいま」
「あんた、汚い足で入ってこないでよ。何回言ったらわかるの」
飛んでくる罵声。それもひとつではない。
「うわ。入る前に扉叩いてって言ってるじゃん。オヤジの裸とかまじでキショい」
そう言って、男の娘は狭い自室へ逃げた。
「すまない」
男は歩いた道を戻り、再び外へ出ると瓶にたまった水で足を洗う。拭うものを忘れた事に気づいて、下着の裾でなんとか代用した。
家へ戻ると、男に声をかけるものはいない。
部屋着を着て一息つけば、卓に少し冷めた野菜のスープとパンが置かれている事に気づく。共に食事をする者はいない。
一口食べることに、更に冷めていくのがわかる料理は、自分と家族の関係に似ていると男は思った。
男は猟師を生業としていた。近くの山は大きく豊かであったから、その恩恵を受け、男も田舎の平民ながらに豊かな暮らしをしていた。
しかし、それも昨年までの事。
この土地を治める領主が、捕獲量を定めたのだ。男は、以前のように猟が出来なくなった。
隠れて定めを越えた者もいたが、どうやってバレたのか打首になった。その家族と隣に住む家族も、連帯責任でむち打ちの刑に処された。
罰を避ける為、互いが互いに監視をし合うようになると、男の仕事は減った。山菜を採ってもあまり収入にはならず、木こりの真似事だって上手くはいかない。
懐が冷えると、家族の関係も冷えた。
俺は稼ぐためだけの男か。
そう思ったが、元来の口下手が邪魔をして、男がそれを口に出す事はなかった。
そして、決定打が訪れる。
いつものように入った山で、男は怪我をした仔犬を見つけた。
しかし、普通の獣ではない。魔獣だ。
男は魔獣の類について疎かったから、なんという獣かわからなかった。だが、それも些細なこと。
自分が助けなければ死んでしまう。
その事が、男を動かした。家庭での立場が怪しくなっていく中で、男は自分の存在を認めてくれる何かが欲しかった。
何でも良かった。自分を認めてくれるなら、家族でも、友人でも、死にそうな仔犬でも。
連れて帰れば、今までの暮らしが出来ずフラストレーションの溜まった妻と娘から、男は大きく反発を受けた。
猟に規制のなかった以前ならまだしも、犬の有用性は皆無だ。それに加えて魔獣である。家の主に向けるべきではない言葉すら男に投げられた。
しかし男は折れなかった。
結果、仔犬は回復したが、男と家族の関係はより悪化する事となる。
「上手いか。そうか」
食事を終えた後、男は仔犬へ餌を与えにまた外に出る。家の裏に作った粗末な小屋に、仔犬はロープで繋がれていた。
仔犬だが、牙は立派なものだ。
村で生活をする事を考えれば必要な処置だが、それでも男は悲しいものに思えた。
広い場所で、自由に駆ける喜びを教えてやりたい。
だが、家族と関係が悪化した男には、仔犬を山へと還す決断できなかった。既に仔犬が心の拠り所となっていた。
「あっれ? 犬? もしかして犬飼ってんの?」
突然聞こえたその声に驚いて男が顔を上げると、頭から足先まで真っ黒の異様な男が、そこに立っていた。




