2 新領主
農村の朝は早い。領民たちが一日の活動を始めている。そして、見慣れない僕らの馬車を眺めて、何やらヒソヒソ話をしている。
遠耳を使うと、「もしかして、新しい領主さん? でも御者っていうのも変よね。」などという噂話だ。
それを聞いて、僕は、御者席から「新しい領主だよ。アキラ・フォン・ササキ男爵だ。ところで、この辺に、朝食を食べさせる宿か食堂はないかい?」と、こちらを眺めている領民に尋ねた。
噂をしていた人物から、いきなり話しかけられてビックリしていたが、親切に、食堂も備えた宿を紹介してくれた。
「姉さん、朝早いと、先方も驚くだろうから、食事を済ませてから訪問しよう。」
と僕らは、紹介された宿に馬車を停めた。看板には、「フォレスト亭」と宿名が彫られていた。
「いらっしゃいませ。」と給仕らしい若い娘が僕らを出迎え、席に案内する。ほかにも客が、ぼつぼつといる。
『みんな、結構朝が早いな。』
「食事にしたいのだけど、何があるの?」
「はい。朝食は、チーズオムレツ、ポテトサラダ、イワナのムニエルが当店のお勧め料理です。」と娘は、はきはきと答える。
いいね。おいしそうだ。イワナがいるってことは、渓流があるのだな。さすがに林業の領地だ。マリエラも頷く。
「2人ともそれを下さい。あと、焼きたてパンとお茶もお願いします。」とオーダーをした。
給仕の娘が食事を運んできた。それらをテーブルに並べながら僕らに尋ねる。
「この町は初めてですか。どちらから、おいでですか。」
「帝都からだよ。僕は、今度新しく領主になったアキラ・フォン・ササキ男爵です。これからは、よろしくね。」と僕が言うと、娘はビックリして小走りに奥に引っ込んだ。
そしてしばらくすると、宿の主人らしき男性を引き連れて戻ってきた。
男性は、「新しい領主様ですね。わたくしは、フォレスト亭の主人をしております、セルゲイです。どうぞお見知りおきを。」とあいさつを交わした。
僕は宿の主人としばらく雑談をした。職業柄、領地のことをよく知っている。当地では、タールダム男爵が代々領地を受け継いでいたが、土地がやせていて、作物がよく実らないこともあり、主力は林業であった。しかし、近年は森の奥にまで入っていかないと、なかなか良い木材用の樹木が見つからなくなってきたうえ、昨年は森の奥に魔獣が頻繁に出没して、十分な材木を切り出せなかったそうだ。男爵は、真面目な人物で、対策に奔走していたが、決められた税金も納めなければならない、魔獣狩りもしなければならない、借金も増え続けるということもあって、遂に過労で倒れてしまったという。
「働き者でしたからね。領民からは尊敬を集めていましたよ。」と主人は領地の話を締めくくった。
領地経営か。そういえば、学園では、産業を育成すること、優秀な人に仕事を任せること、領民を困窮させないことが領地経営のポイントって教わった。産業の育成がスタートだな。林業だけでは、心もとないよ。僕には、いろいろな手段があるから、試してみよう。
ゆったりとした朝食を終え、僕らは宿を出て、男爵の館に向かった。
「それにしても、塀もないんだな。周辺には、荒れ地が広がっているね。どこからが敷地なんだろう。」と馬車を進めながら僕はつぶやく。先ほど、食事中に、宿から人を出してもらって、館には到着を伝えておいた。
庭を過ぎ、玄関に近付くと、未亡人と2人の娘、メイドが2人、そして老執事が出迎えていた。
馬車を停め、僕とマリエラは、御者席から飛び降りた。
「お出迎え、痛み入ります。アキラ・フォン・ササキです。こちらは姉のマリエラ・スチュアルダです。これからは、よろしくお願いいたします。」と早速あいさつをする。
アメーリアも僕らに皆を紹介する。執事と2人のメイドは、給金もろくに払えない中で、忠義を尽くして残ってくれた者たちだという。館の維持も大変だからな。執事は、アーノルド、メイドは、ミカとルリという名前だそうだ。
僕らは、応接室に迎えられた。
アメーリアは、『何から話せばよいのだろうか。』と思う。新しい領主が、この地に来るまでには、まだ4~5日かかると日数を数えていた。ところが、思いもよらず、こんなに早く到着したので、十分な心の準備もできていない。アメーリアは、自分の身を犠牲にしてまで、子どもたちを守ろうと覚悟はしていた。でも、どうやって切り出そうか。アキラという男爵が、まだ少年の面影を残した異国の男性であることと、姉と称するマリエラの力強い美貌に戸惑ったことも、話のきっかけをつかめないでいる原因ではあった。
『それにしても、全然似ていない姉弟ね。』とアメーリアは関係のないことを思う。
すると、アキラの方から口を開いた。
「アメーリアさんと娘さんたちは、今まで通り、ここで生活すればいいからね。必要なお金は心配しないでいいよ。アーノルドとミカにルリも、これまでの不足分を含めて、ちゃんとしたお給料を支払うから、このまま働いてね。アーノルドには、早速の仕事で申し訳ないが、料理人とメイドを合わせて5人くらい雇ってほしい。必要なお金はあとで渡すよ。質問があったら、いつでもいいから何でも聞いて。さあ、館を案内して。」と。
これを聞いて、アメーリアたちの心配は、何を心配していたのだろうというほどに、嘘のように霧消した。
「お風呂があるんだね。僕も姉さんもお風呂好きだから嬉しいな。」
「僕らは、来客用の部屋を1室ずつもらえばいいよ。」
などと、僕は、案内されながら、アメーリアたちと話をする。
そういえば、エミリアは、今度15歳で成人するのだなと思い、「エミリアは、来年から帝都学園で学ぶの?」と尋ねた。
すると、アメーリアがエミリアに代わって、「お金がありませんし、ここでも学べますわ。」と答える。
僕が「エミリアが学びたいのであれば、今後の領地経営も担ってほしいし、学園に通うといいよ。僕の屋敷が帝都にあるから、そこから通えばいい。何の不自由もさせないよ。」と言って励ますと、エミリアは、「是非、お願いしたいですわ。あきらめていたので、夢のようです。」と、目を輝かせ、しっかりと返事をした。その隣で、アメーリアが涙ぐんでいたように見えた。
その後、元男爵の執務室で、僕は、アーノルドから帳簿の説明を受けた。経営は、まずは数字だ。領地の財産、収入、運営にかかる費用、税金、借入金の詳細等全貌が理解できるまで、ほぼ丸一日かかった。
収入は、領主所有の土地や建物の賃料と領内の取引等に課せられる領税だ。支出は、公爵と帝国に収める税金と領内の産業維持・振興等、道路・水道の整備等で、大幅に収入を超過している。これが何年か続いているのだ。昔のように、材木の取引だけで支出を賄えない。
収入を増やして、経費は削減するというのが再生の基本だ。領地経営の講義でそう教わったのだ。
借入残高と債権者も書類上明らかになったので、早速、全額返してしまおう。利息が結構高利なので勿体ない。執事のアーノルドに指示して、さっそく返済の手配をした。あらかじめ債権者が指定した帝都の両替商に、連絡を入れて返済金を持参すれば、その場で返済ができるという。
数字が頭に入れば、次は現場だ。役場の職員にあいさつをするついでに、明日から回ろう。林業ギルト、農業ギルド、畜産ギルドが、主なギルドである。まずはギルドで話しを聞くのが手っ取り早そうだ。
昼と夜の食事は、メイドが作ったものを皆でいただいた。川魚の炭火焼き、キノコと兎の汁物といった山の幸は、素朴で僕の口に合うものだった。
その夜は、僕は姉さんと一緒に館の風呂に入った。洗いっこをしながら、くすぐり合ったり、お湯のかけっこをしたりして、「くすぐったいよ。姉さん」「やったな。アキラ」「ワハハ」と実に賑やかなお風呂だったらしい。あとで、メイドからそう聞いたよ。外まで聞こえたんだね。気を付けなくちゃ。でもこれで、実際に姉弟だっていうアピールができたので上出来だ。