5 接見
その後は、所々の水場で清水を配給してきたが、特に何事もなく予定通り5日目の夕刻に王都に到着した。
『この国では、水場って、水をもらう所じゃなくて、水をあげる所だったんだ。』とキャロラインが驚いた。水不足なのだ。このままでは、きっと飢饉が起こる。それで政情不安が生じても面倒なだけだ。大切なコーヒー豆のルートが途絶えるのは大いに困る。
そう言えば、遺跡文庫に雨雲を発生させる発動式があったな。最後の日に、雨乞いでもしてあげようか。
ここでの宿は、王都最高級のマルカニア・グランデだ。タルムーサ・グランデはここの系列らしい。明日は休養と準備に充て、明後日にマルカニア国王ヘンデルマンに接見する予定になっている。しばらくこの宿に逗留するわけだ。そのあとは、しばらく各地を巡ることになる。明日は、王都をゆっくり見物しよう。そこで宿では、少し多めに両替をしてもらった。
翌朝、食事はお決まりのクレープだ。ただし、香辛料の効いた肉と野菜の炒め物、チーズ味のスクランブルエッグ、甘い味付けの肉と野菜のペーストと、中身が自由に選べる。一通り食べてみたが、僕は、香辛料の効いた具が好みかな。
朝食が終わると僕らは街に出た。イオラント皇子は平民に成りすまして、僕らと一緒だ。
漆喰の建物が並んでいる。そしてその真っ白い壁が朝日に輝く。朝の空気に香辛料の香りが漂う。香辛料は、帝都に行くと薬効があるとして貴重品扱いなのに、ここでは豊富だ。異国情緒に溢れた気持ちのよい朝である。
「トカゲの荷車!」
皆がそれを見てギョッとする。ここでは、馬の代わりにトカゲなのか。2足歩行で立って歩くもの、4足で地を這うもの、いろいろな種類がいる。馬車まで引いている。馬車ならぬトカゲ車か。
『でも僕の領地に人が来て、ダチョウの荷車に驚くのと同じことか。』自分の常識が通じないということは、決して珍しいことではないのだ。
広場には市が立つ。喧騒に包まれながら、店を覗いて歩く。
肉や野菜、香辛料、魚の燻製や塩漬け、のみならず毒ヘビや木登りトカゲが浸かった酒など雑多な品が並ぶ。露店では、お客が好みの具を選んでクレープに包んでもらっている。子豚の丸焼きがそのまま台に載っていた。肉を削いでクレープの具にするためだ。
『子豚の丸焼きは好物だよ。今度、食べてみよう。』
アンナとエルザは、商材探しに余念がない。2人で相談しながら、商品を手に取って確かめ、サンプルを購入している。
こうして午前中は街なかを観察し、午後は、宿に戻り明日の準備と打ち合わせをして1日を過ごした。
今日は接見の日だ。イオラント皇子に文官とマリエラを含む付き人、僕と2人の姉さんが参加する。僕らは、騎士たちを率いて王宮に向かう。トカゲ車の迎えを断り、自分たちの馬車を3台使った。宿からは、並足でパカッ、パカッと歩いて30分程度のところだ。
少し行くと見えてきた。あれが王宮だ。
立派な王宮だ。石造りで、防備をしっかりと固めている。この国は、戦時体制なのだなと思う。衛兵に門を開けてもらい、案内に従って馬車を建物の正面に停めた。真っ白な漆喰の壁に造形的な模様が浮き出ている。
僕らは、そこで馬車を降り壮麗堅固な玄関から中に入った。
イオラント皇子は、今回の訪問ではマルカニア国王ヘンデルマンと対等の立場である。接見の場に入り、そこで待っていた王と握手をし、それぞれ立派な椅子に座る。
「はるばる遠路をよく御出でになられた。」と王。
「いえ、この度は、お招きいただき感謝しております。」と皇子。
「こちらは、この度のお招きのお礼の品でございます。」と続けて王に目録を進呈する。やり取りは側近が行う。
王は、側近を通して受け取った目録に目を通し、「これはこれは結構なお品を頂戴して感謝いたします。」と礼を述べ、そのあと、「河童の皿とは何ですかな?」と尋ねた。
「はい、食物を載せると毒を判別する皿です。皿が赤く変色したときは、毒にご注意ください。帝国のダンジョンで得られた珍しい物でございます。特に旅行中に持参すると便利なのです。」と皇子は答える。
これは、僕が入れてもらった進物だ。帝国がマルカニア王に友好的だとの強力な意思表示となる。使節団には毒を盛っても無駄だ、という牽制にもなるしね。
そのあと皇子は王と儀礼的な話を交わし、僕らはいったん宿に戻った。夜は迎賓館に晩餐会に招かれているので、それまでは待機だ。
昼食を終え、女性たちは晩餐会のための身繕いがあるので、僕は一人で街に散策に出た。
昨日行かなかった市場に行ってみる。雑然とした雰囲気だ。いろいろな民族がいる。概してカラフルな装いだ。路地の奥を見ると何やら怪しそうな店もある。
こんな雰囲気は好みである。僕は、市場の店を覗いてみた。食料や香辛料のほか、食器、道具、武具、衣服なども置いてある。生活に必要なものは、ここで一通り揃えることができそうだ。
そんなことを思いながら歩いているところを、路上で占い師の老婆に呼び止められた。
「あんた。遠い異国の人だね。」
占い師でなくても、よく見ればわかるけどね。だが僕は何となく気になって足を止め、「僕に何かご用?」と尋ねた。
「帰り道を探していると思ってね。」と老婆。
『どういうことだろう。迷子に見えたのかな? この世界に来たこと自体迷子だけどね。』
「泊っている宿ならわかるよ。」と僕は答えてみた。
「いや、もっと遠くさ。」
『思わせぶりな言い方だな。』
「見えるのかい?」と僕。
「わたしにも見えないよ。光が邪魔をしてね。」と老婆。
光というのは気になるが、見えないなら仕方がないな。
「それで、帰れるのかい?」と念のため聞いてみた。
「そのうちね。」と老婆。
「どうしてわかるんだい?」と僕。
「この世界の者じゃないだろ。そんなに長くはいられないのさ。」と、老婆は突き放したように言う。
僕は、この言葉を聞いて現実に引き戻され、思わず身震いをした。
『いつかは帰るんだったな。』
僕は、「参考になったよ。」と老婆に銅貨を渡し、急ぐようにその場を去った。
占い師というものは、あいまいなことを言うものだ。特別なものが見えているわけではない。だがその言は、自問につながる。
僕がこの世界で得た財産は、誰にどうやって残していこうか。それもいつまでに。この現実に直面せざるを得ないのだ。
帰らなきゃいけないのはわかっていても、後ろ髪を引かれる。「帰りたい、帰らない。」という選択が許されない僕だから、泣きたくもなる。
夕刻、僕らは迎賓館まで馬車を走らせた。晩餐会は、一堂に会し、皇子から騎士まで、同室で同じ食事が出る。訪問団の安全と安心を配慮したものだと思う。
早速、マルカニア王の食卓には、河童の皿が置いてあった。王が、いかに自分の身が不安だったのかが垣間見られるようだ。
司会役のあいさつのあと、王が乾杯の音頭を取った。
「エルトパルト帝国とマルカニア国の永遠の友好を祝して、乾杯!」
そして宴は始まった。