鎧の務め
正面の青空へと突き進む魂の大行列。
その氾濫した川のような流れに自分達も青空へと連れ込まれてしまいそうである。
しっかりと踏ん張らなければ、あっけなく消えていった悪魔達と同じ運命を辿るだろう。
アレクシアの姿はまだ魔力の奔流に包まれていてよく見えないが、開かれた青空の門は少しずつ狭まってきているようだった。
太陽の光を感じさせるこの青空は、迷宮内でいきなり直視するには眩しすぎたが、段々と目も慣れてきた。
喜んで吸い込まれていく膨大な魂も数が減ってきている。
そう感じた時、まだ地面に張り付いている悪魔が残っているのが見えた。
最初に遭遇した上級悪魔だ。
両の腕を地面にめりこませるようにして四つん這いになり、流れに飲まれまいと抗っている。
その姿からはもはや先程までの優位性や余裕は微塵も感じられない。だが、それはかえって恐ろしさを増長させた。なりふり構わず執着している。この場を凌ぐ気でいる。まだ挽回の機会を伺っているのだ。
このまま奴がこの場に残った時、またどこからともなく他の悪魔が増援に現れるだろう。そうなってはいよいよ俺達には撃退する手段など残っていない。
奴をなんとかして青空へと放り込まなければ。
吹き荒ぶ魔力と魂の嵐の中、皆、自分が青空に吸い込まれぬように必死であった。
いや、あるいは皆、同じ風景が見えていた。あの悪魔が残っているのがわかり、同じ事を考えていたかもしれなかった。
仲間を助けられるならば、と。
何度も死んだと思ったのだ。
何度も全滅しかけたのだ。
それをアレクシアが繋いでくれた。
俺にできることはなんだ。
皆が生還できるかもしれないチャンスを、みすみす逃すのか。
あのしがみついている脅威に気づいていながら、この魔術の終わりをただ待つのか。
前へと一歩踏み出してみる。
まだ吹き飛ばされるほどじゃない。
いつ急に流れが強まって、足を救われるのか、宙に浮くのかわからないが、頼む、地についていてくれ足よ。
青空はやはり少しずつ閉じていっているようだ。
あの悪魔はおそらく持ち堪えるだろう。疲れ果てて青空に吸い込まれていく姿が全く想像できなかった。まるで嵐の中に佇むガーゴイル像のように微動だにしない。
俺は十分に冒険を満喫した。
楽しかったかといえば楽しい思い出ばかりではないが、仲間と出会い、夢中でこの迷宮に挑んできた。
上級悪魔と仲間を救うために刺し違えるなんてのは中々悪くない最期なんじゃなかろうか。
結局迷宮の謎なんてものには全然近づけた気はしなかった。
だが皆と、もっと先へ、もっと下へと進むだけで毎日が満たされていた。
本当はもっと皆といたい。もっと皆と過ごしたい。
だがここから無事に帰ることを考えれば俺がいくべきだ。
もう一歩踏み出す。
早くしなければ。
もう一歩踏み出す。
パストアさん、もしも今日帰ってビールが飲めたなら、それは今までの中でも最高に美味しかったでしょうね。
もう一歩。
チャンス、お前の夢を見届けてやりたかった。これからもしっかりやるんだぞ。
さらに一歩。
シルバ、ダメだ。ここは君の出番じゃない。俺に行かせてくれ。俺のこと、認めてくれてるだろ?
一歩。
スゥ、皆のこと頼んだ。
決して早くない足取りだが、流れに飲み込まれぬよう踏ん張りながら悪魔へと歩を進めていく。
そこで何かが足にぶつかった。
視界も悪いし、足元まで注意が及んでいなかった。
なんだ?
アレクシアの脱ぎ捨てた兜だ。
バケツ頭の兜と目があう。
とっくに吸い込まれていてもおかしくなさそうなものだ。
あの巨体の悪魔達が逆らえずに吸い込まれていったのに。
金属製だからといって吹き飛ばない理由にはならない。
あれ。
兜がずりずりと、俺とすれ違うように進んでいる。非常にわずかな動きだが、魂の流れと逆行している。
体勢に気をつけながら腰をかがめ、俺はバケツ兜へと手を伸ばした。
ーーーアレクシアの元へーーー
兜がそう俺に訴えかけているような気がした。
どういうことなのかはさっぱりわからなかった。だが急がなければならない気がした。
あの青空の門が閉じてしまう前に。
宙に放った途端、兜が青空に飲まれてしまったりはしないだろうか。
いや、それならとっくに飲まれていた。アレクシアに引き寄せられる何かがこの兜にはあるのだ。
俺もここから引き返すわけにはいかない。往来をしている猶予はなさそうであった。
しっかりと兜を掴み、足を慎重に踏み込む。
腰に捻りを入れて、重心を移動させる。
アレクシア、お前の大切な兜だ。受け取れ。
最期に美しい青空を見せてくれてありがとう。老師にもよろしく。
押し寄せてくる魂の奔流のど真ん中、アレクシアがいるであろう渦へと目掛け思いっきりバケツ兜をぶん投げた。
まるで流れや風など全く影響がないかのように一直線に兜が飛んでいく。
びゅーんと飛んでいって、巻き起こっている魔力の渦の中にぽすんと消えた。
なんだったんだろう。
別に何かを期待したわけでもなかったが、やはり何も起こらないか。
ボウ!と渦の中からバケツ兜の甲冑が飛び出してきた。
凄まじい勢いでこちらに突進してきたかと思うと、俺の横を高速で通過して悪魔へと向かっていく。
そんな。
バケツ兜の騎士は四つん這いの悪魔に組みかかると、その両の腕を引っこ抜いてがっしりと掴みかかったまま青空の門へと押しやっていく。
待て、アレクシア、ダメだ。
俺が代わりに
「ケット!!アレクシアはここにいる!!」
チャンスが張り裂けんばかりの声で俺を呼び止める。
振り向くと魔力の渦は弱まり、かすかに具足下姿のアレクシアが確認できた。
ではさっきのあれはなんなのだ。
悪魔へ突っ込んでいったあの騎士はいったい何者なのだ。
状況を理解できないうちに、バケツ兜の騎士は上級悪魔ともつれ合いながら青空の彼方へと消えていった。
上級悪魔は邪悪な言葉を何度も何度も喚いていたようだったが、それらは全然頭に入ってこなかった。
最期の悪魔を飲み込んだところで、青空の門はすっかり閉じて消えてなくなった。
この場にあった魂達もみんな消え去った後のようだった。
「…お父様。」
しんとした空間で、アレクシアがぽつりと呟いた。
いよいよ力を使い果たしたのだろう、その場に倒れ込みそうになるのをチャンスが支え、横にする。
皆生きている。
パストアも、チャンスも、シルバも、スゥも、アレクシアも。そして俺も。
悪魔の気配が完全になくなったのを確認し、みんなアレクシアの元へと駆けつける。
彼女になんて言葉をかけてやったら良いのか、どうしたら今の気持ちを言い表せるのか。
そう考えていると、アレクシアの方から先に口が開いた。
「ケット。私、弱くなっちゃったけど、また連れて行ってくれるわよね。」
『俺達は仲間だ。そして君は俺達にとって最高の魔術師だ。』
そう伝えるとアレクシアは満足そうに微笑み、すぅすぅと寝息をたてはじめた。
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