第九話 彼女の親
「ただいま……おっと、ユースティティア。お前、もしかしてずっとドアの前にいたのか?」
元老院での会議を終え、グナエウスが屋敷に戻ると……
ドアを開けた先にはユースティティアが待っていた。
「あ、あの、グナエウスさん! わ、私は……」
「問題ない。ここに居ても大丈夫だぞ」
グナエウスがそう答えると、ユースティティアはホッと一息ついた。
最悪、元の孤児院に戻される可能性もあったのだ。
ユースティティアからすれば、死活問題だ。
それからユースティティアは不安そうな顔で尋ねる。
「あ、あの……では、グナエウスさんは? 大丈夫、でしたか?」
「子供一人引き取るくらいで、失脚するわけないだろ。文句を言う馬鹿は叩き潰したよ。俺がお前を育てるのは、元老院公認だ。安心しろ」
グナエウスがそう言うと、背後に控えていたペダニウスがため息まじりに言った。
「私は冷や冷やしましたよ。……聞いてください、お嬢様。ご主人様、俺に文句を言うやつがいたら手を挙げろ! そんな奴がいたら、議員をやめてやる! って宣言したんですよ?」
ユースティティアは目を見開いた。
「私のためにそこまで……」
「あまりペダニウスの言っていることを鵜呑みにするな。こいつは大げさに言っているだけだ。それに勝ち目があったから、そう言ったんだ」
グナエウスはマントを脱ぎ、それを召使たちに手渡した。
そしてリビングのソファーに腰を下ろす。
「まあ、バカがいて助かったのは事実だがな」
グナエウスは「ユースティティアを処刑しろ」などと言いだした議員たちの顔を思い浮かべた。
途中からプブリウス・ニウェウスが手の平を返してグナエウスを支持するようなことを言いだしたのは、元老院の雰囲気を敏感に感じ取り、勝ち目が薄いと判断したからだ。
後々になって、いろいろと文句をつけるつもりだったのだろう。
例えば……グナエウスがユースティティアを利用して、支持を集めようとしているのではないか、など。
いちゃもんはつけようと思えば、いくらでもつけられる。
ティベリウス・アートルムの娘を引き取って育てる、という行為はどうしても救国の英雄のアキレス腱となりえる……はずだったのだ。
しかし一部、先走って感情的になった者がいたおかげで、グナエウスは結果的に元老院に対して、ユースティティアを引き取って育てることを全面的に認めさせることに成功した。
今頃、プブリウス・ニウェウスは腸煮えくりかえっているだろう。
「あの……グナエウスさん」
「どうした?」
「ご迷惑をおかけして、すみません」
ユースティティアは小さく頭を下げた。
グナエウスはそんなユースティティアに対し、手で隣に座るように促した。
そしてユースティティアの頭を撫でた。
「子供が大人に気を使わなくていい。お前は何も気にするな……お前を害しようとする者は俺が排除してやる」
「ありがとう……ございます」
ユースティティアはグナエウスにお礼を言ってから、上目遣いで尋ねた。
「……どうして私を助けてくれるんですか?」
「雪の中で倒れている子供がいたら、助けるだろ」
「そうじゃなくて……私が、その、悪い人の娘だって、知っているのに、です」
「……それは難しいな」
実際のところグナエウスもどうしてユースティティアを育てる気になっているのか、自分でもよくわからなかった。
最初は孤児院に返すつもりだった。
そのあとは一時的に預かって、どこかほかの孤児院か、それとも里親を探すつもりでいた。
しかし今は積極的に育てる気になっている。
我ながら酷い気の変わり様だと、グナエウスは自虐した。
「情が移ったから、じゃ、ダメか?」
「……情?」
「そうだ。お前に辛い目に遭って欲しくない。幸せになって欲しい。そう思ったから、お前を守ることにした。それでは、納得しないか?」
一緒に暮らしていれば、嫌でも情が移る。
最初は同情で、今は好感を覚えている。
グナエウスがユースティティアを育てようとしている理由はその程度のものだった。
「それとも、もう少し立派な理由があった方が良かったか?」
「いえ……そういうわけでは、ないです」
ユースティティアは首を左右に振った。
それから少し迷うように口を何度か開いてから、グナエウスに尋ねた。
「……私の父と母は、どういう人だったんですか?」
「どういう人、か」
ユースティティアの両親である、ティベリウス・アートルムとミネルウァ・カエルレウム。
この二人とグナエウスの関係は非常に複雑なものだ。
昔を思い出しながら、グナエウスは答えた。
「父親はお前によく似た顔立ちだった」
「……顔が似ている?」
「ああ。とても美しい男だった。絵に描いたような美青年だった」
そして魅力的だった。
容姿もそうだが、彼の話はとにかく人の心を強く惹き付けた。
だからこそ、レムラ共和国を支配できたのだろう。
「お前の母親である、ミネルウァ・カエルレウムは……優れた魔女だった。そして……まあ、何というか、気の強い人物だったな。そして俺の婚約者だった」
「……婚約者?」
「そう言えば、話してなかったな」
グナエウスは自分がティベリウス・アートルムの友人だったことと、ミネルウァ・カエルレウムと婚約関係にあったことを話した。
「……意外、ですね」
「まあ、そうだな」
「……どうして敵同士になっちゃったんですか?」
グナエウスとティベリウス・アートルム、そしてミネルウァ・カエルレウムの三人は仲が良かった。
三人とも貴族で、そして政治思想も似ていた。
「手段の違い、かな?」
「手段?」
「目指すところは同じだったんだ。だが、お互い取るべきだと思う手段が違った。そして、様々な行き違いがあった。気付けば、俺はティベリウス・アートルムと敵対していた」
ミネルウァ・カエルレウムはグナエウスとティベリウス・アートルムの間で揺れた。
だが……最終的にはミネルウァ・カエルレウムはティベリウス・アートルムに共感したのだろう。
彼女は彼のところに行った。
まあ、元々親が決めた婚約だったので、お互い強い恋愛感情を抱いていたわけではなかったというのもあった。
「話し合えなかったんですか?」
「話し合ったさ。話し合った末に、杖を交えることになった」
お互いにとって、譲れないモノが被っていたと言えばいいのだろうか……
結局、考えをすり合わせることはできなかった。
「友情とは、人間関係ってのはかくも脆いものだったのかと、思い知ったね。俺たちの友情は、いつの間にか憎しみで上書きされていた。そして……今でも、思うところがないわけではない」
憎い人間を殺したところで、その憎しみは消えたりしない。
行き場のない怒りや憎しみが残るだけだ。
直接、ティベリウス・アートルムを討ち取ったグナエウスでさえもそう思うのだ。
ユースティティアを憎む者の気持ちも分からないでもない。
もっとも……
「親は親だ……あまり気にするなよ、ユースティティア」
「……はい」
それからグナエウスは立ち上がった。
「今日はもう遅い。ユースティティア、お前はもう夕食を済ませたな?」
「え? はい。お先に頂きました」
「じゃあ、もう寝なさい。子供は寝る時間だ」
一仕事終えた後だったので、グナエウスは酒が飲みたかった。
だが子供の前で酒を飲むのは、あまり教育に良いとは言えなかったので……ユースティティアには寝るように促す。
ユースティティアは小さく頷き、自分に宛がわれた部屋へと向かった。
そして一度立ち止まり……
グナエウスの方を向いた。
「おやすみなさい……お父様」
グナエウスが驚いていると……
ユースティティアは逃げるように、部屋へと消えてしまった。
グナエウスは頭を掻いた。
「……柄じゃないな」
そうは言うものの、少し嬉しそうな様子だった。