第八話 元老院の質
「本日、本題に入る前に……お一つ、議題に上げなければならないことがあります」
有力議員の一人、プブリウス・ウーニコルヌス・ニウェウスが元老院の場でそう言った。
プブリウス・ニウェウスはゆっくりと議場を見渡し……
そしてグナエウスの方を向いた。
自然と元老院議員たちの視線がグナエウスに集まった。
「グナエウス・ラットゥス・ウィリディス殿。あなたがあの、ティベリウス・アートルムの娘を孤児院から誘拐したことについて、ご説明願いたい」
議場で騒めきが広がった。
グナエウスは立ち上がって答えた。
「どうやら見解の相違があるようだ。私は孤児院で虐待を受けていた、貴族の少女を保護したに過ぎない」
「私は孤児院の責任者から、あなたがティベリウス・アートルムの娘を誘拐したと聞いている」
「虐待をしていた者は、皆、そういうだろう」
グナエウスは冷静にそう切り返した。
するとプブリウス・ニウェウスは首を左右に振った。
「いや、あなたの行為は紛れもない誘拐だ。なぜなら、あなたは正式な手段を取らずに子供を孤児院から引き離したからだ!」
プブリウス・ニウェウスがそう断言すると、グナエウスは大げさに肩を竦めてみせた。
「あなたは何か、勘違いをしているようだ」
「何の勘違いをしていると?」
「私はあくまで一時的に保護したに過ぎないのだ。まずは前後関係から明らかにしなければならない」
そう言って、グナエウスはユースティティアを拾った経緯について話した。
二月十四日、薄い肌着と薄い布切れを見に纏っただけの、痩せ衰えた少女が雪の中に倒れていたことを。
「議員の皆さまにお尋ねしたい。もし仮に……雪の中に、小さな少女が倒れていたら、あなた方はそれを見て素通りするのか? まさか、誇り高き元老院議員の中にそのような者がいるとは考えたくはない。その少女が、貴族であれ、平民であれ、奴隷であれ……雪の中で倒れ、今にも死にそうな状態であったのであれば、その少女を助け、保護し、回復するまで看病するのが当然のこと。違いますかな?」
それに対して反論する者はいない。
実際のところは面倒事に巻き込まれたくないが故に素通りする者が多数派であろうとも……道徳的に考えれば、それを助けるのは当然のことだ。
「グナエウス・ウィリディス殿。私が問題としているのは、あなたがそのあとにその少女を孤児院に返さなかったことだ」
「それは少女が虐待を受けていた可能性があったからだ、と私は説明した」
それからグナエウスはプブリウス・ニウェウスではなく、元老院議員に訴えかけるように言った。
「皆さん、考えてみてください。あの大雪の中、小さな少女が、雪の中に倒れているのです。しかも肌着と薄い布切れ一枚で、です。さらに少女には不自然な傷跡や痣が数多くあった。これは明らかに異常だ。そうは思えませんか?」
「だからと言って、それは虐待の決定的な証拠とならない。少なくとも、孤児院の院長の話を聞くべきではないだろうか? 彼女を連れてきなさい」
プブリウス・ニウェウスがそう言うと……議場に孤児院の院長が連れてこられた。
あらかじめ、プブリウス・ニウェウスが用意していたのだ。
「あなたがティベリウス・アートルムの娘に虐待をしたというのは事実ですか?」
「事実ではありません。あの子には重度の虚言癖と窃盗癖がありました。それを矯正し、躾けるために少々体罰を用いることはありましたが、虐待とされるような体罰はしていません」
プブリウス・ニウェウスは満足気に頷いた。
レムラ共和国では教育に体罰が用いられることは当たり前のこととされている。
そのため、体罰そのものは問題にならない。
プブリウス・ニウェウスはグナエウスに尋ねた。
「彼女はこのように証言している。それについて、反論はありますかな? 今からでも、ティベリウス・アートルムの娘を連れてきても良いですぞ? もっとも……その少女には虚言癖があるようだ。家出の言い訳に、大袈裟に言ったのではないかな?」
「では、私も証拠を提示しましょう」
そう言ってグナエウスは杖を抜き、軽く振った。
議場に幻影が浮かび上がる。
それはグナエウスがユースティティアを拾った日に記録しておいた、ユースティティアの体の様子であった。
無論、胸部や陰部等の公衆に晒すわけにはいかない部分は映らないように配慮している。
「これは私が記録した、彼女の体の傷痕です。皆さん、分かりますか? 顔の痣は強く殴られた後、背中や太ももに無数に刻まれた傷跡は鞭で強く、何度も打たれた痕だ。そして背中の首筋にはケロイドがあるのが分かりますか? これは熱湯を掛けられた痕です」
一つ一つ、グナエウスはユースティティアの傷痕の説明をしていく。
どれもこれも、一生傷痕として残る可能性があるほどの、酷い傷だ。
……もっとも、今はグナエウスが高価な魔法薬を使ったので、傷は全て綺麗になくなっているが。
「私も小さなころはやんちゃをして、両親に二、三発殴られたことはありますが……これほど酷い罰を受けたことはない。それとも皆さんの服の下には、このような傷痕が刻まれているのですか?」
グナエウスはやや大げさに言ってみせた。
それからグナエウスはプブリウス・ニウェウスに向かって言った。
「物証は嘘をつかない。そして……人は嘘をつくことがある。その院長の発言に、果たしてどれほど信憑性があるとお思いですかな?」
「彼女が嘘をついていると、あなたはおっしゃられているのですか?」
プブリウス・ニウェウスの言葉に、グナエウスは頷いた。
「ええ、なぜなら……孤児院の院長は補助金を横領している疑いがある!」
それからグナエウスは奴隷たちや、知人を通して調べた、孤児院への共和国政府からの補助金額と、そしてここ数か月の間に院長が購入した物、そして使用した金額、さらに孤児院の財政状況や孤児院での子供たちの暮らし、そして孤児院の職員たちの証言をまとめた紙を議員たちに配布した。
「目を通していただければ分かると思いますが……彼女には孤児院の資産を私事に利用し、子供たちが苦しんでいる間に贅沢な暮らしをしていた、疑いがある。つまり人格的に信用ができない」
「だがそれは嘘をついているという証拠にはならないのではないかな? それは論理のすり替えだ」
プブリウス・ニウェウスがそう言うと、グナエウスは頷いた。
「おっしゃる通り……故に私は彼女への、読心術と魔法薬を利用した公開尋問をこの場で行うことを提案します。真実を明らかにしたいと、お思いの方は挙手を願います」
すると元老院議員の過半数が手を挙げた。
グナエウスの提示した証拠によって、元老院議員たちが孤児院の院長に対して強い疑問を抱いたからだ。
孤児院の院長は縋るような目で、プブリウス・ニウェウスを見つめた。
それに対しプブリウス・ニウェウスは……
小さく肩を竦めた。
つまり……
彼は院長を見捨てたのだ。
それから案の定、院長は孤児院の資産を横領したことと、そしてユースティティアへ虐待した事実を口にした。
そして明確な殺意があったことも明らかになった。
真っ青な顔の院長を見下ろしながら、プブリウス・ニウェウスは思った。
(……まあ、潮時か)
どちらにせよ、子供を一人引き取ったくらいではグナエウスを失脚させることはできない。
少なくとも、道徳的な大義はグナエウスにあるのだ。
法的に責め続ければ、多少はダメージを与えることはできるかもしれないが……
これ以上はプブリウス・ニウェウス自身にも危険が及ぶ。
「なるほど、グナエウス・ウィリディス殿。あなたが少女を保護した理由についてはよく分かった。近日中に例の孤児院は取り潰しとなり、孤児院の子供たちは他の孤児院に移されるだろう」
そう言ってから、プブリウス・ニウェウスは尋ねた。
「ところでお尋ねしたいが、あなたはその少女を今後、どうするおつもりかな? 問題となった孤児院はもう潰れる。他の孤児院に移せば、問題ないように思えますが?」
するとグナエウスは大げさに頷いて見せた。
「ええ、問題はありません。ですが、一度保護したからには最後まで責任は持つべきでしょう。この後、正式な手続きを経て、彼女を引き取りましょう。……ところで、一人の一個人が、孤児を一人引き取ることに、何か法的な障害があったでしょうか?」
するとプブリウス・ニウェウスは大げさに両手を広げて言った。
「いや、全くありません! さすがは救国の英雄殿だ! 何と、素晴らしい、優しさと仁義に溢れた人なのだろう。マグヌスの称号に相応しい!」
そう言ってプブリウス・ニウェウスはわざとらしく、拍手をした。
グナエウスは鼻で笑った後、着席した。
そしてようやく、今日の本題に入ろうとした……
その時だった。
一人の元老院議員が叫んだ。
「そのようなことは認められない! ティベリウス・アートルム、あの最悪の僭主の娘だぞ!!」
別の議員がそれに応じるように叫んだ。
「独裁者の娘は、独裁者になるに決まっている!」
「救国の英雄であるあなたが、国家の敵を育てるおつもりか!」
「親の罪は子の罪だ!」
「生かしてはならない! 残党派の旗頭になる可能性がある!!」
「そもそも、親のしたことを考えれば、当然の報いだ!!」
そして誰かが叫んだ。
「後の火種になることを考えれば、処刑するべきではないか?」
「それは本気で言っているのかね?」
グナエウスは立ち上がり、そう言った。
「もし仮に、ユースティティアを処刑するべきであるというのであれば……同様に処刑しなければならない者たちが、この中にいる」
グナエウスは低い声で言った。
「それはティベリウス・アートルムがこの国を支配していた時代、この国の中枢にいた者たち。元老院議員として、迎合していた者たち。バシリスクス・アートルム家と少しでも血縁関係がある者たち。そして……我が国と昔、敵対していた国の子孫たちだ」
もし仮にグナエウスが挙げた者たちをこの元老院から追い出せば、元老院の九割を新たに補充しなければならなくなる。
レムラ共和国は領土拡大と同時に、支配した国の支配層を元老院に取り込むことでその国を懐柔してきた。
またバシリスクス・アートルム家はレムラ共和国の建国当初から存在した名家である、一度も血縁関係を結んだことのない貴族家など皆無だろう。
そして……ティベリウス・アートルムの時代、多くの議員たちは彼に迎合した。
「ユースティティアへの今までの扱いは、そして彼女を処刑しようと、何らかの罰を与えようという行為は、全くもって不合理だ。それはただの感情的な八つ当たりに過ぎない!」
そしてグナエウスがユースティティアを引き取ることに異議を唱えた議員を一人一人、睨んでからグナエウスは言った。
「ティベリウス・アートルムへの恨みを、何の罪もない少女に対してぶつけるような卑怯者が、ティベリウス・アートルムに対し何一つ抵抗できなかったのにも関わらず、か弱い七歳の少女に対してだけは強気になるような臆病者が、誇り高き元老院にいるとは信じたくないものだ。だとしたらそれは……明らかな、この国の元老院の、政治家の、魔法使いの質の低下だ!!」
グナエウスはそう怒鳴ってから、着席した。
そして大声で宣言をする。
「私の言っていることが間違いだと思う者がいるのであれば、手を挙げると良い。もしそれが元老院議員の中に一人でもいるのであれば、私はこの元老院から去ろう。誇りを失った、卑怯な臆病者共と同類に見られるのは死んでもごめんだ」
挙手をする者は一人もいなかった。
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