第七話 親の罪
「取り合えず、最低限必要な基礎常識というものを教えてやる」
朝食中、グナエウスは言った。
ユースティティアは口を食べ物で膨らませながら、神妙な顔で頷く。
最近は食べる量もかなり増えてきた。
以前は骨と皮だけの状態だったが、少し肉もついてきて、血色も良くなっている。
もっとも……食事のマナーは悪い。
これについても教えてやらなければならないと、グナエウスは内心でため息をついた。
「まず、人間には二種類いる。分かるか?」
「んぐ、ふぁふぉうふはいほふぃふぁふぉうふふぁいふぇす」
「良いか、ユースティティア。口に物を入れてしゃべってはいけない。以後、気を付けるように」
グナエウスが言うと、ユースティティアは食べ物を飲みこんでから、不服そうな顔で言った。
「……だって、食べてる時に聞いてきたから」
(ああ言えばこう言うとは、このことだな……)
自分もこんなに生意気だっただろうか?
とグナエウスは自分の幼少期を思い出した。
そしてユースティティア以上に生意気だったことを思い出し、ため息をついた。
子供なんて、こんなものだ。
「魔法使いと、非魔法使いです」
「一応、そのことは知っているみたいだな。安心した」
魔法を使える人間と、魔法を使えない人間。
両者の間には社会的な地位の差が存在する。
「この国では魔法使いが偉い。分かったな?」
「……だから、魔法使いということは貴族階級ということなんですよね?」
「それは少し異なる。まあ、非魔法使いの教養のない奴は一緒だと思ってるようなのがいるか」
それとなく孤児院の院長の悪口を言いながら、グナエウスは首を左右に振った。
「魔法使いは平民階級や騎士階級にも生まれる」
「……そもそも、身分って、何の違いで分けられてるんですか?」
ユースティティアは首を傾げた。
グナエウスは腕を組み、何と答えようか悩んだ。
レムラ共和国の身分制度は複雑なので、これをより正確に説明しようとすれば、レムラ共和国の建国の歴史から現在に至るまでの政治闘争と経済発展、軍事制度の歴史を語らなければならない。
が、そんなものは七歳児には理解できないだろう。
「端的に言えば、血筋だ。平民の血筋に生まれれば、平民。騎士の血筋に生まれれば、騎士。貴族の血筋に生まれれば、貴族だ」
「じゃあ、平民の魔法使いの子供も平民なんですか?」
「まあ、貴族や騎士と結婚しない限りは基本的にはそうだな」
実際のところ、レムラ共和国には貴族や騎士、平民を明確に分ける基準は存在しない。
本人と周囲の認識の問題だ。
一応、括りとしては……
古い歴史を持つ、広大な土地を持つ地主の魔法使いが貴族。
大商人などの経済人階級が騎士。
自作農・小作農、その他中小商人や職人などの中流から下流層が平民。
ということにはなっているが、没落し、資産を何も持たない貴族や騎士もいれば、逆に事業に成功して大金持ちになっている平民もいる。
要するに周りが「あの家は貴族だ」「あの家は騎士だ」「あの家は平民だ」と思えば、そうなる。
この国に於ける身分というのはその程度のもので、明確な境界線が存在するわけではない。
勿論、名門貴族――アートルム家やウィリディス家――は別だが。
「のびれす、って何ですか?」
「新貴族か。よく知ってるな」
「院長が悪口を言っているのを聞きました」
グナエウスはできるだけ優しい表現を考えてから、答える。
「新貴族ってのは……今のこの国の支配層、偉い人たちだ。力を付けた騎士や平民出身の魔法使いを指す。これに対して旧来の貴族のことを伝統貴族と呼び、新貴族と伝統貴族を合わせて元老院階級、と呼ばれている」
「グナエウスさんは、その新貴族?」
「うちは新貴族ではなく、伝統貴族であり、元老院階級だ。我が家、 ラットゥス・ウィリディス家は代々元老院議員を輩出し、執政官も何人も出している、まあそこそこの家だな。俺も一応、元老院議員だ」
グナエウスがそう答えると、ユースティティアは目を見開いた。
「グナエウスさんって、凄いんですね!」
「いや……まあ、俺の場合は血筋的に元老院議員になれるのは出来レースだし、別にそのことに関しては凄いわけでもないが」
グナエウスはそう言って、少し頭を掻いた。
実は血筋だけで言えば、ラットゥス・ウィリディス家よりもバシリスクス・アートルム家、つまりユースティティアの方が数段上だったりする。
何しろバシリスクス・アートルム家はレムラの建国者の直系の子孫の家なのだから。
「私の家は、私の父親と母親はどうだったんですか?」
「バシリスクス・アートルム家は……この国有数の名門だ。母方の、 ウルーラス・カエルレウム家も名門の伝統貴族だ」
グナエウスがそう答えると、ユースティティアは複雑そうな表情を浮かべた。
いまいち、実感が持てない。
そんな顔だ。
「じゃあ、私は貴族なんですか?」
「貴族で、伝統貴族で、元老院階級だ。まぁ……お前が元老院議員になれるかどうかは、俺も保証はできないが」
そんな話をしていると、呼び鈴が鳴った。
誰か、来たようだ。
「……誰だ、こんな朝っぱらから。ペダニウス、対応しろ」
「承知いたしました、ご主人様」
ペダニウスは玄関まで行き、ドアを開ける。
「久しぶりね、ペダニウス」
「これは……ルーナ様!」
ペダニウスは目を見開いた。
来客はグナエウスの妹の、ルーナであった。
「何だ、ルーナか。何の用だ? 今は朝食の最中なんだが」
家に上がってきたルーナに、グナエウスは言った。
ユースティティアは頬に食べ物を詰めたまま、ルーナに軽く会釈した。
「実家に帰るのに、理由が必要ですか? 兄さん」
「いや、必要ないな。何か、食べるか? 簡単なものなら、用意できると思うが」
「紅茶を貰います」
ルーナはそう言うと、朝食を食べているグナエウスとユースティティアと同じテーブルの前に座った。
それからユースティティアを一瞥し、グナエウスに言った。
「兄さん、もう噂になっていますよ」
「何がだ?」
「分かっているでしょう? ティベリウス・アートルムの娘のことです」
ルーナがそう言うと、ユースティティアは思わず身を竦ませた。
グナエウスは軽くルーナを睨む。
「あまり大きな声で叫ぶな。ユースティティアが怯える」
「あら、それはごめんなさい。それで、この子をどうするつもりですか?」
「……里親が見つかるまでは、俺が面倒を見る」
「里親が見つからなかったら?」
「その時は……まあ、成人まではこの屋敷にいることになるな」
グナエウスがそう言うと、ユースティティアは顔を明るくさせた。
ユースティティアにとっては、この家に置いて貰えるか否かは死活問題である。
元の孤児院や、それに近しいところには絶対に帰りたくない。
そして……里親とやらも、どれほどユースティティアをまともに育ててくれるかも分からない。
ユースティティアにとっては、グナエウスは生まれて初めてのまともな大人なのだ。
「本気ですか? 兄さん。そもそもこの子は孤児院に預けられていたはずでは?」
「……ユースティティア、お前は部屋に戻れ」
詳しい事情を説明する前に、ユースティティアをこの場から外させようとする。
しかしユースティティアは自分の。まだ食べ終えていない食事をじっと見てから、グナエウスの方を見た。
グナエウスはため息をついた。
「……持って行って、食べればいいだろ」
「はい」
嬉しそうに笑みを浮かべ、ユースティティアは奴隷に手伝って貰いながら、残った食事を自室に運び、その場から立ち去った。
「随分とマナーの悪い子供ですね。本当に貴族の子女ですか、あれは」
「まあ……それも含めて、事情があってな」
グナエウスはルーナに対し、ユースティティアの今までの境遇を話した。
さすがにそれほど酷かったとは思っていなかったようで、ルーナは目を見開いた。
「それは……本当ですか?」
「俺の読心術が信用できないか?」
「レムラ市民への読心術の使用は法律違反です、兄さん」
ルーナはため息をついてかた、頭を掻いた。
「しかし……それは可哀想ですね。いくら何でも」
「そうだろう? だから……」
「でも、私は納得いきませんけどね」
ルーナはグナエウスを見つめて言った。
「あの子は、私たちの両親の仇の子供です」
「……そうだな」
グナエウスは紅茶を口にしてから、ため息をついた。
「だが……あの子には罪はない」
「それは知っています。……感情の問題ですよ。兄さんにとっては、仇敵の娘であると同時に、大親友の、そして幼馴染の元婚約者の娘なのかもしれません。でも、私にとってはただの仇の娘です」
そしてルーナは立ち上がった。
「……まあ、私はもうすでに嫁いだ人間です。文句はありません。私も時間が経てば、感情を整理できるようになる……かもしれない」
「そうしてくれるとありがたいよ、ルーナ」
この件が理由で、唯一の肉親である妹と険悪にはなりたくない。
グナエウスは少しだけ安心した。
「ですが、兄さん。多分、追及されますよ。元老院に」
「……かもな」
近いうちに議会が開かれる。
グナエウスも一応は顔を出さなければならない。
もうすでにグナエウスがユースティティアを孤児院から連れ出したことは、とっくに元老院議員たちの間では話題になっているだろう。
そのことについて追及されないはずがない。
救国の英雄を貶めたい者は大勢いるのだから。
「まあ、安心しろ。何とかするつもりだ」
「……なら良いのですが。一応、私の夫には理解してもらえるように説得するつもりです」
「ぜひ、そうしてくれ。俺も他の元老院議員に、事前に掛け合っておくよ」
政治の世界では根回しが重要となるのだ。
(全く……子供一人、育てることが政治問題になるとはな)
グナエウスはため息をついた。
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