第五話 初めての私服
「衣服と、それに箪笥や寝具、あとマントと子供用の杖……必要なのはそのあたりか」
「あと玩具も買って差し上げないとダメですよ」
「それは後回しで良いだろう」
ペダニウスに対し、グナエウスは言った。
そもそもグナエウスには女の子が好む玩具など、分からない。
「何か、欲しいものはあるか? ユースティティア」
「いえ、特には……」
「お嬢様。我が儘を言っても良いのですよ。こう見えても、ご主人様はお金持ちで……」
「ペダニウス、余計なことは言わんで良い」
グナエウスがそう言うと、ペダニウスは肩を竦めた。
「じゃあ、近いところから行くか。一番近いのは……薬草店だな」
「それはご主人様の用事ではありませんか」
「最近、切らしているんだ。いざという時に無かったら、困るだろう。……それに子供に使う薬と大人に使う薬では、使う薬草の種類も異なる」
つまりユースティティアが病気になった時に備えるためである。
グナエウスはユースティティアとペダニウス、そして荷物持ち用の奴隷を従えて、レムラ市の商店街に出た。
商店街は多くの人々で賑わっていた。
「……凄い」
「ここに来るのは初めてか? 買い物はしたことないのか?」
グナエウスが尋ねると、ユースティティアは小さく頷いた。
「貴族街は初めてです」
「なるほどな」
レムラ共和国には身分や階級による明確な区別・差別が存在する。
孤児院があるのは低所得者層の住むような場所だ。
そしてユースティティアが行ったことのある商店街も、そういう低所得者層が利用するような場所ばかりだ。
しばらくの間、ユースティティアは楽しそうに辺りを見回していた。
しかしどういうわけか、十分もすると気落ちした顔になった。
もう飽きてしまったのか、とグナエウスが思っていると……
ユースティティアは遠慮がちに言ってきた。
「……服を買いたいです」
「服? これから買いに行くが」
「今すぐ、欲しいんです」
どういうことだろうか、とグナエウスは首を傾げた。
するとペダニウスがグナエウスに耳打ちする。
「(きっと恥ずかしいんですよ)」
「(恥ずかしい?)」
「(自分だけみすぼらしい恰好をしていることが、です)」
なるほど、とグナエウスは頷いた。
ユースティティアが今着ている服は、グナエウスが所有している奴隷の中で一番小柄な者の衣服を急遽仕立て直し、どうにかギリギリ着れるサイズに調整したものである。
グナエウスは別に奴隷にぼろ布を着せる趣味などない。
グナエウスの所有している奴隷は下手な平民よりも良い服を着ているが……しかし貴族街を歩く同年代のお嬢様たちに比べれば、「可愛くない」のは当然だ。
(配慮が足りなかったな……)
グナエウスは少し反省した。
ユースティティアも一人の女の子なのだ。
「分かった。お前の服を優先しよう」
グナエウスがそう言うと、ユースティティアは頬を綻ばせた。
一行は衣服が売られている場所へと向かう。
「しかし、男の服よりも女の服を売っている店の方が多いんだな」
「もしかしてご主人様、三十五年もこの街で暮らしていて、今頃それをお気づきになられたのですか?」
ペダニウスが呆れた顔で言った。
グナエウスは肩を竦める。
「悪かったな……何かと、女には縁がなくてね」
そう自虐するグナエウスを、ユースティティアが呼ぶ。
早速、子供用の服を売っている店を見つけたようだった。
店内をキラキラした目で見るユースティティア。
しかしすぐに困った顔になった。
「どうした、選ばないのか?」
「……どれが良いのか、分からないです」
今までユースティティアは年上のお古の、一番ボロボロの服を着せられていた。
そこに選択の余地はない。
着たくなかったら、肌着で過ごさなければならなくなる。
人生で一度も服を選ぶ、という経験をしたことがない少女の目の前に、突然無数の選択肢が提示されてば……戸惑ってしまうのは当然だろう。
「おい、ペダニウス。お前、分かるか?」
「ご主人様には私が女性に見えますか?」
「お前に聞いた俺が悪かった。お前たちは?」
グナエウスは奴隷たちに尋ねた。
奴隷たちは一斉に首を横に振った。
「お前たちに聞いた俺が悪かった」
「……ご主人様も分からないではないですか」
ペダニウスが奴隷たち全員の気持ちを代弁して文句を言った。
グナエウスはそれには答えず、店員を呼んだ。
「この子に服を選んでやって貰えないか?」
「はい、分かりました。ご予算の方は?」
「予算の心配はいらない。ただ……取り合えず一セットだ」
店員にそう言ってから、グナエウスはユースティティアに言った。
「取り合えず、お前が一番気に入ったのを一セットだけ買おう。他の買い物を済ませてから、もう一度来ればいい。他の店も見たいだろう?」
グナエウスがそう言うと、ユースティティアは小さく頷いた。
「ではお客様。何か、ご要望はありますか?」
店員はユースティティアに目線の高さを合わせて尋ねた。
ユースティティアは少し考えてから、答えた。
「大人っぽいのが良い、です」
「分かりました。少々、お待ちください」
それから服選びが始まった。
基本的には店員が選んだ服をユースティティアが着て、それをグナエウスやペダニウスたちが論評するという形になった。
しかし……三セットまで絞ったはいいものの、そこからが決まらなかった。
最終的に痺れを切らしたグナエウスが、全部買うと宣言し、ようやく店から離れることに成功した。
「二つも余計に買わされてしまったな。全く、商売上手な連中だ。子供を煽てるのが上手い」
「持つのは我々なんですけどね……」
「お前たちが意見統一をしなかったのが悪いだろう!」
「嘘を言うわけにはいかないじゃないですか」
三セットも買う羽目になったのは、グナエウスや店員、そして奴隷たちを含めた大人の意見が割れたからである。
少なくとも奴隷たちが示し合わせて、同じ物を「一番良い」と言っていれば三つも買う必要はなかった。
(まあ、喜んでいるみたいだし、良いか)
生まれて初めて自分だけの服を、それも可愛らしいとみんなが褒めてくれた服を買って貰えたユースティティアはとても上機嫌だった。
ニコニコと笑みを浮かべている。
そしてキョロキョロと辺りを伺い……時折、ニヤリと笑う。
……どうやら自分よりも不細工な女の子や、みすぼらしい服を着ている女の子を探し、それを見て笑って、悦に浸っているようだった。
「(ちょっと、性格悪いですね、この子)」
ペダニウスもそれに気づいたのか、苦笑いを浮かべながら、グナエウスに耳打ちした。
「(女なんて、みんなそんなもんだろ)」
「(それは偏見です、ご主人様)」
そういうものだろうか?
グナエウスは思った。
女なんて、というよりは、男も同様に……全ての人間に共通することであるが、人間という生き物が自分よりも下の存在を見つけると安心するのだ。
ユースティティアは孤児院で、もっとも最下層の扱いを受けていた。
それを考えると……
生まれて初めて、相手に見下されない立場を得た今の状況を喜んでしまうのは仕方がないのではないか。
(まあ、しかし……これが直らないのは問題だがな)
今は子供だから可愛らしいが……
大人になれば、面倒なことになる。
後でこっそりと子育ての本でも買おうかと、グナエウスは思った。
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