第四話 親友の形見
「ユースティティア、サーナーティオ孤児院に行くぞ」
帰宅後、グナエウスはユースティティアにそう宣言した。
ユースティティアは顔を青くした。
「っひ! い、いやです……あ、あそこはいや、し、死んじゃう、殺されちゃう!!」
「落ち着け。お前を返しに行くわけじゃない。逆だ……お前の荷物を回収しに行くぞ」
グナエウスにそう言われ、少しだけユースティティアは落ち着いた様子を見せた。
そして怯えた表情で、グナエウスの顔色を伺うように尋ねた。
「どういう、ことですか?」
「そのままの意味だ。しばらくの間、この家で面倒を見てやる。もうあの孤児院に帰る必要はない……だからお前の私物を回収しに行く。服くらいはあるだろ?」
グナエウスが尋ねると、ユースティティアは首を横に振った。
「私の服は……ないです。全部、お古だし……次の子が使うので」
「じゃあ私物は何一つ、ないのか?」
グナエウスが尋ねると、ユースティティアは少し考えてから首を再び横に振る。
「無いことは、無いです」
「そうか。まあ、どちらにせよ、今のままだと誘拐になってしまうからな。通達は必要だ」
グナエウスはそう言ってユースティティアにコートを着せた。
大人用のコートなので、丈が合っていない。
だぶだぶの状態だ。
「後で服を買わないとな」
グナエウスはそう言ってから、ペダニウスとさらに比較的、体の大きい男性奴隷五人を選んだ。
「行くぞ、ユースティティア」
「……はい」
グナエウスはユースティティアの手を引いて、ペダニウスを含めた六人の奴隷を率いて孤児院へと向かった。
「院長、そういうわけだから、この子は……ユースティティアは私が、グナエウス・ラットゥス・ウィリディス・マグヌスが引き取り、責任を持って育てる。今日はそのことの通達と、それとこの子の私物を回収しに来た」
「な、何ですか、きゅ、急に!」
院長は驚きを隠せない様子でグナエウスを見た。
そしてグナエウスの影に隠れている、ユースティティアを睨む。
「説明しなさい! ユースティティア!!」
「説明は私がした。この私に二度も同じことを言わせるつもりか?」
グナエウスは院長を睨みつけた。
思わず、院長は後退る。
「そ、そんな、きゅ、急に言われても、困ります! そ、そもそも、あなたにあの子が育てられるのですか?」
「逆に尋ねるが、平民階級のあなたが貴族階級の、魔法使いのあの子を育てられるのかね?」
院長の表情が強張った。
そう……本来、ユースティティアの家柄を考えれば、このような孤児院に預けられることの方がおかしいのだ。
アートルム家はレムラ共和国の貴族家のうち、もっとも由緒正しい家の一つ、四大貴族家の一角を占める名家中の名家である。
本来は蝶よ花よと育てられるべき、貴族だ。
それがこのような孤児院に預けられた。
間違いなく、ティベリウス・アートルムに恨みを持つ者たちによる、ユースティティアに対する復讐である。
そもそもだが、ティベリウス・アートルムの派閥に属する者たちによって家族を殺された者が運営している孤児院に預けられること自体が、極めて恣意的だ。
(全く……誇り高き共和国政府が、こんな子供の虐めじみたことをするとはな)
グナエウスは鼻で笑った。
「ほら、ユースティティア。早く、私物を回収してこい。……そうだな、マルクスとフラテウスが付いていけ」
「「承知いたしました、ご主人様」」
グナエウスは引き連れてきた奴隷のうち、体の大きな黒人の奴隷――マルクス――と赤髪の、やはり体の大きな白人の奴隷――フラテウス――に命じた。
二人はユースティティアを守るようにその両脇を固めた。
ユースティティアはおっかなびっくりという様子で孤児院の中に入っていった。
「こ、こんなことが、許されると思っているのですか?」
院長が言うと、グナエウスは不敵に笑った。
「許されるさ。私は英雄だからな」
それからしばらくして、ユースティティアは小さな箱を持ってきた。
「私物はそれだけか?」
「は、はい」
小さくユースティティアは頷いた。
自分の服を持っていない、というのは本当のようだった。
「よし、帰るぞ。もう二度と帰ってくることはないはずだから、別れを惜しんでバイバイしておけ」
グナエウスはそう言ってマントを翻し、院長に背を向けた。
しばらくすると、院長の怒鳴り声が響いた。
「この、小娘が!!!!」
「っきゃ!」
院長の怒鳴り声に驚いたのか、ユースティティアは悲鳴を上げて、逃げるようにグナエウスに追いつき、そのマントを握りしめた。
グナエウスはユースティティアの頭を撫でる。
「安心しろ……まともな保護者が見つかるまでは、俺が守ってやる」
あくまで育てるつもりはない。
と、自分に言い聞かせるようにグナエウスは言った。
ペダニウスはそんなグナエウスを揶揄うように言った。
「どうせすぐに気が変わるくせに……」
「黙れ、ペダニウス」
「承知いたしました、ご主人様」
ペダニウスは肩を竦めた。
そして他の五人の奴隷たちに対して、目配せする。
奴隷たちはニヤニヤと笑みを浮かべた。
「細かい日用品は、明日買おう」
「はい……グナエウスさん」
ユースティティアは小さく頷いた。
グナエウスはそんなユースティティアの真紅の瞳を見つめ……少し考えてから言った。
「だが、その前に一つだけ、お前に渡す物がある」
そう言ってグナエウスが向かったのはレムラ中央銀行だった。
「ご主人様、お金を下すのですか? まだ屋敷の金庫の中にはあったはずですが……」
「銀行に預けられているのは、何も金だけではないだろ」
そう言ってグナエウスは銀行員に対し、金庫の番号を告げた。
しばらくすると、小さな箱を持ってきた。
高品質の木材で作られた木箱で、その箱には黒いバシリスクの紋章が描かれている。
「ご主人様、それはバシリスクス・アートルム家の……」
「そうだ」
ペダニウスの言葉に頷き、グナエウスは木箱の中を開けた。
そこには黒い縁の眼鏡が入っていた。
グナエウスはレンズを軽く拭き、それをユースティティアに掛けた。
「どうだ?」
「……何か、変です」
「だろうな。それは魔力を遮断する、特別なレンズが使用されている。それを掛けていれば、お前が普段見ている、お前にとっては当たり前に見えているはずの魔力は見えなくなる」
ユースティティアは首を傾げた。
なぜ、そのようなものを掛けさせられるのか理解できないのだ。
「……お前の魔眼、『叡智の瞳』は目に負荷が掛かる。ずっと使い続けているのは危険だ。今までは非魔法使いの平民や子供に囲まれていたから大丈夫だったかもしれないが……これから貴族として、魔法使いとして生きるようになれば、強い魔力を直視することもあるだろう。まだお前は魔眼をまともに制御できていないはずだ。魔眼どころか、魔力すらも制御できていない今、お前の魔眼をそのまま放置しておくのは、失明、最悪死の危険すらある」
だからしばらくの間はそれをつけておきなさい。
と、グナエウスは命じると、ユースティティアは青い顔で頷いた。
……死ぬかもしれない、という脅しは大袈裟だが、失明の危険性があるのは本当である。
『叡智の瞳』の使用者の一人、ティベリウス・アートルムが生前、グナエウスにそう語ったのだから。
「それと……ユースティティア」
「はい」
「……その眼鏡は、お前の父親の形見のようなものだ。大切にしておけ」
「……はい」
どうしてそれを、仇敵であったはずのあなたが持っているのか。
ユースティティアは、そしてグナエウスの奴隷たちはそう思ったが、口には出さなかった。
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