第二十七話 本当の関係
「まず、改めて……無事で良かった」
「……はい」
ユースティティアは小さく頷いた。
そして怯えた表情でグナエウスに尋ねた。
「そ、その……マルクスさんは……」
「人の心配をしている場合か?」
「う……」
グナエウスの厳しい声に、ユースティティアは身を縮こまらせた。
グナエウスは深いため息をついた。
「……まさか杖無し魔法で金庫を開けることまで、マルクスに予想しろと言うのは酷だろう。俺も予想できなかったことだ。だがフラテウスが一度お前を逃がしているにも関わらず、付きっ切りで監視しなかったことを咎めないわけにはいかない」
「あ、あの……」
「あいつはしばらくの間、減給だ」
グナエウス個人としては完全に自分の責任であると思っているが……
一応、奴隷の規律のためには罰しなければならないのだ。
「あ、アルミニアは……」
「今はまだ体力が回復していないから、罰は追って下す。ペダニウスと話し合って決める予定だが、まあおそらくは鞭打ち数十回と重労働数か月が妥当なところだろう」
ユースティティアは顔を真っ青にさせた。
そしてグナエウスに縋りついた。
「その、もっと軽くしてあげることは、できませんか……悪いのは、私なんです! アルミニアは止めてくれて、だから、全部、私が……」
「事実として、アルミニアはお前を引き止めることができず、そして面白がってお前についていき、そして主人であるお前を危険に晒した。罰しないわけにはいかない」
「で、でも……」
「言ったはずだ。お前の行動には、責任が伴うと」
「……ごめんなさい」
ユースティティアは顔を俯かせた。
そんなユースティティアに対し、厳しい声でグナエウスは言った。
「顔を背けるな。俺の目をしっかりと見ろ」
「は、はい!」
ユースティティアは慌ててグナエウスの顔を見上げた。
鋭い眼光で睨まれ、ユースティティアは恐怖で身が縮むような思いをした。
グナエウスはしゃがみ込み、ユースティティアに目線の高さを合わせると、穏やかな、しかし厳しい口調で咎める。
「なぜ、事前に私に相談しなかった?」
ユースティティアは彼の一人称が変わったことに気付いた。
今まで幾度も注意を受けたり、説教されたことはあったが、こんなことは初めてだ。
「そ、その……突然のことで、それに、アルミニアが危なかったし、あとちょっとで、殺されそうだったから……」
「それは結果論だ」
グナエウスはユースティティアの言い訳を切り捨てた。
「今回はたまたま、全てが良い方向に転がった。だが……アルミニアが殺され、そしてお前までもが死んだ可能性もあった。分かるだろう?」
「……」
「仮にアルミニアを救い出すことができたとしても、代わりにお前が死んだら……私はアルミニアを処刑しなければならなかった。理由は分かるな? 主人の身の危険を放置し、主人が殺害されたら、現場にいた奴隷は主人を殺したも同罪。故に死刑とする。それがこの国の法だ」
ちなみに毒殺と呪殺だけは例外とされている。
現場にいた奴隷には防ぎようがないとされているからだ。
「お前はアルミニアを殺しかけた。分かっているか?」
「……」
「目を逸らすな!」
グナエウスは厳しい声でそう言うと、ユースティティアの肩を掴んだ。
そしてじっとユースティティアの顔を、自分の顔へと近づけ、その眼鏡の奥の、青い瞳を覗き込む。
「私は自分の父と、家庭教師奴隷に殴られて育った。聞いたことはあるはずだ。家庭教師奴隷は教育のためならば、主人の子を殴ることが認められている」
“殴る”という言葉が出たことで、ユースティティアは顔を青くした。
「教育で子を殴り、鞭で叩くのはこの国では極めて一般的だ。殴られたことがない者など、どこにもいないだろう。レムラ人は殴られて育つ……男も女も、貴族も、平民も、魔法使いも、非魔法使いも」
「あ、あの……、その……」
「私は今まで、お前を一度も殴らなかった。そしてペダニウスにもお前を殴ることを許可しなかった。それはお前が、体罰にトラウマを持っていると、思っていたからだ。お前の心のために、それをしなかった。それが正しいと、少なくともお前の場合は、それが最も良い方法であると、私は考えていた」
考えていた。
それは過去形だった。
「殴らなければ、分からないか?」
グナエウスの言葉にユースティティアは答えることができなかった。
しかしグナエウスはユースティティアの言葉を待たずに続ける。
「そんなことはあるまい。お前は賢い子だ。感情を制する理性も持っている。ちゃんと、口で言い聞かせられれば、理解できるはずだ。そうだな? ……お願いだから、私にお前を殴らなければならないと、決意させないでくれ」
「……」
僅かに涙が浮かんでいるユースティティアの目を見つめながら、グナエウスは言った。
「分かったな?」
ユースティティアは潤んだ瞳でグナエウスを見つめる。
そして……僅かに唇を動かした。
「……れば、……い……じゃん」
「……何だ」
「殴れば良いじゃん!!!!」
ユースティティアは叫んだ。
感情の爆発と同時に、魔法力が暴発する。
魔力が無差別に解き放たれ、窓ガラスが割れ、家具が四方へ吹き飛ぶ。
「ユースティティア!?」
「殴れば、殴れば良いでしょう! 私は、私は……悪いことを、したのに! 言い訳できないくらい、悪いことをしたんだから、殴れば良いじゃん! 犬みたいに、躾ければ良いじゃん! どうして、どうして殴らないの! 鞭で打たないの! そんなの、おかしい!!」
泣きじゃくりながら絶叫する。
「私は、悪い奴の子供なのに! みんな、みんな、私のことを憎んでいるのに! 何で、どうして、私を殴らないの! あなたにとって、私は、ペットみたいな、ものでしょう! それなのに、本当の父親でも、何でもないくせに!!」
グナエウスは頭を少し掻いてから、優しい口調で言った。
「私は……俺は、お前を娘だと思っている」
「私は思ってない!」
ユースティティアは叫んだ。
これ以上、言ったら自分の立場が不利になるかもしれない……それを知っていてもなお、ユースティティアの口は止まらなかった。
「私は、思ってない……思えない! だって、みんな、みんな、私を憎んでる。私のことを、生まれるべきじゃなかったって言う! 信じられない……あなたみたいな、私のことをどうにでもできるような、偉い人が、私を絶対に捨てたりしないなんて、信じられない!」
それからユースティティアは自棄になったのか、自嘲気味に笑った。
「あなたのことを、父親と呼んでいたのは……そう言った方が、あなたに好かれると思ったから。……勿論、とっても感謝してる。あなたが良い人だって、優しい人だってことは、知ってる。でも、でも! 信じられない……だから、嘘をついてた。あなたに媚びを売って、良い子を演じれば、捨てられないだろうって……可愛がって、貰えるかもって……」
それからユースティティアはがむしゃらにグナエウスの胸板を叩いた。
何度も、何度も、叩く。
「ほら……ほら、殴れば、良いじゃん。私は、悪い奴の子供で、だから、性根から、生まれた時から、悪い子なんだよ。ねぇ、幻滅したでしょう? 嫌いになったでしょう? ほら、私を……」
ユースティティアは続きを言うことができなかった。
グナエウスが彼女を抱きしめたからだ。
「気付いてやれなくて、すまなかった……」
「……どうして、どうして、謝るの? 悪いのは、私なのに! あなたを騙して、言いつけも守らなくて、期待を裏切って、勝手に逆切れして、癇癪起こしているのは、私なのに!」
ぐずぐずと、泣きじゃくるユースティティア。
グナエウスはそんな彼女の頭を優しく撫でる。
「お前のことを考えず、勝手に独りよがりで、父親のつもりでいた。……すまなかった」
「何で、どうして、謝るの? 悪いのは……私、なのに……」
グナエウスはユースティティアが落ち着くまで、抱きしめ続けた。
そして彼女が泣き止むのを待って、体を離した。
グナエウスはゆっくりと、丁寧な口調で言った。
「別に無理に親子である必要はない」
「そ、それは……」
「落ち着け、別に俺はお前のことを嫌いになったりはしない。依然として、俺にとってお前は大切な存在であることは変わらない。杖に誓おう……俺はどんなことがあってもお前を守るし、一番に考える。今の俺にとって、お前は何よりも大切な存在だ」
グナエウスはユースティティアを安心させるためにそう言った。
一応、グナエウスの言葉を信じてくれたのかユースティティアはやや安堵した表情を浮かべた。
それを確認してから、グナエウスはさらに言葉を続ける。
「だが……俺は確かにお前の言う通り、実の父親ではないし、お前は娘ではない。そしてただの養父と養子でもない。……お前は俺の親友で、仇敵だった、ティベリウス・バルシリクス・アートルムの娘だ。俺とお前の関係には、それが前提にある。その前提無しに、俺とお前の関係を語ることはできないだろう。……関係ないなどと、断定するのは偽りだ」
グナエウスは言葉を選びながら、慎重に言う。
「そしてお前は俺のことを父親として見れない。そうだろう?」
「そ、それは……」
「無理に偽る必要はない」
グナエウスがそう言うと、ユースティティアは小さく頷いた。
それからユースティティアは取り繕うようにいった。
「で、でも、その……いっぱい言ったけど、決して、その……あなたのことが嫌いというわけじゃなくて、一番大切で、好きな人で、だから、嫌われたくないというか、その……」
「ありがとう。大丈夫、伝わっている」
必死に言葉を取り繕うとするユースティティアの頭をグナエウスは撫でた。
彼女からの親愛の気持ちはしっかりと伝わっている。
「俺たちは親子ではない、兄妹でもない、友人同士でもない……改めて言うまでもないことではあるが、恋人同士であるはずもない。だが……そういう既存の関係に無理矢理落とし込む必要もないだろう」
「……それも、そう、ですね」
ユースティティアは小さく頷く。
「ああ、そうだ。むしろ無理矢理、型に押し込めることこそが不健全だ。ユースティティア、お前はお前の感じるままに、俺を捉えればよい。定義付けしなくても良いし、媚びなくても良い」
「分かりました……グナエウスさん」
ユースティティアはそう言って、はにかんだ。
「この方が、違和感がないです」
「それは良かった。……うん、それで良い」
……実はほんの少しだけ、グナエウスは寂しい気持ちを抱いたのだが、だからと言って無理矢理父親などと呼ばせる関係は誤っている。
一方ユースティティアの方は長年、喉に引っ掛かっていた小骨が取れたような、すっきりした表情を浮かべていた。
「……考えてみると、グナエウスさんは私の父親よりも、ずっとずっと、立派な人ですから、父親だなんて呼ぶ方が、失礼ですね!」
「い、いや……あいつも少しは良いところがだな……」
って、どうして俺は自分の両親を殺した奴を庇っているんだ。
グナエウスは内心で自分自身に突っ込んだ。
この日、二人は親子ではなくなった。
だが……
以前よりも遥かに、健全なものになった。
これにて完結です
今まで応援、ありがとうございました。




