第二十五話 独裁者の娘
アートルム。
それはユースティティアの家族名である。
バシリスクス氏族宗家であり、レムラの初代国王であるレムス王の長男の直系の子孫で、そして第七代国王を追放し、レムラに共和政を打ち立てた一族でもある。
ユースティティアはあまりこの名が好きではない。
この名前のせいで、今まで虐げられてきた。
故に火傷の男に「アートルム」と呼ばれたユースティティアは、思わず眉を潜めた。
「貴様のせいで、俺は全てを失った」
男はユースティティアを見ているようで、ユースティティアのことを見ていなかった。
男が見ているのは、ユースティティアの顔に僅かに残る、ティベリウス・アートルムの面影だ。
「地位も、名誉も、家族も、財産も、この顔も!!」
男は自分の火傷痕に触れながら怒鳴った。
「貴様が、貴様が、ひひひひひひひ!!!!!」
突如、大きな声で笑いだす。
そして血走った目で、ユースティティアを睨みつける。
「ひぃ……」
ユースティティアは思わず後退りした。
恐怖から……ではない。
確かにユースティティアは恐怖を感じてはいたが、それは今更のことだ。
ユースティティアが後退ったのは……あまりにも男が異常だったから。
薄気味悪かったからだ。
男はひとしきり笑ってから、ポケットに手を突っ込んだ。
そして何らかの、錠剤のようなものを口に入れ、飲みこんだ。
「全てを、俺は失った!! にも、関わらず、共和国政府は、俺に対し、何の補償もしてくれなかった!! ふざけるな!! 俺だって、杖を抜いて、戦ったんだぞ!! にも関わらず、あいつらは!! 全部、全部、全部、貴様のせいだ、アートルム!!!」
男は叫びながら杖を抜く。
「俺が、こんなに不幸なのに、よりにもよって、貴様が、貴様が! 幸せになるなんぞ、許せない、許せない、あってはならない!! 死ねぇぇええええ」
男が叫ぶ。
すると杖の先から、炎でできた鳥が出現し、ユースティティアに向かってきた。
「『水よ』!」
ユースティティアは杖先から水の鞭を生み出し、鳥を叩き落とす。
ジュッと、水が蒸発する音と共に、鳥が消滅する。
あたりを水蒸気の霧が包む。
「『風よ 貫け』!」
「はは、馬鹿め! 『氷の 盾よ』」
ユースティティアの杖先から、槍のように鋭く尖った風の塊が、発射された。
その不可視の投槍を、男は水蒸気を凝固させた、氷の盾で防ぎきる。
「死ね、クソガキ!!」
男は杖を振ろうとする。
が、その瞬間に悲鳴を上げた。
杖を落とし、手首を掻きむしり始める。
「ひ、ひぃ……虫が、虫が!!!! うわぁああ! やめろ、やめろ!!」
唐突に地面にのたうち回る男。
ユースティティアはあっけに取られた表情で男を見つめるが……すぐに杖を向けた。
「『失神せよ』!」
ユースティティアの杖先から魔力反応光が迸る。
それは男を貫き、その意識を奪った。
ユースティティアは慌てた様子でアルミニアに駆け寄り、魔法を使って縄を解いた。
「大丈夫、アルミニア」
「ご主人様!」
バシッ、と大きな音が響いた。
その時ユースティティアは自分が何をされたのか、分からなかった。
頬が熱くなり、次に痛みが走る。
アルミニアがユースティティアの頬を打ったのだ。
「何を、考えているんですか! こんなところへ、一人で来て!」
「で、でも……」
「私は、奴隷です! 奴隷のために命を危険に晒す主人なんて、聞いたことがありません!!」
アルミニアはユースティティアを怒鳴りつけた。
アルミニアの言い分はもっともなことだ。
奴隷のために主人が命を危険に晒すなど、本末転倒も良いところ。
もし主人が死ねば、主人の命を守り切れなかった奴隷として、不名誉な死が待っている。
逆に……
主人のために死ねば、その行為は奴隷としての職務を全うしたとして称えられ、その家の歴史に名を遺す栄誉が与えられる。
「あなたは、ここへ来るべきでは……」
「だって!!」
ユースティティアは泣きながら叫んだ。
「アルミニアは、私の、お、お姉ちゃん、だから!!」
「な!!」
アルミニアは目を見開いた。
そんなアルミニアに、ユースティティアは抱き着いた。
「我が儘言って、ごめんなさい……お姉ちゃん……」
「……もう、本当にどうしようもない、主人です」
アルミニアはそんなユースティティアの頭を撫でた。
二人の泣き声が廃墟に響く。
「……そろそろ、出ましょう。ご主人様。きっと、旦那様も心配しています」
「う、うん……怒られちゃう、かな?」
「当たり前です。……でも、怒られるだけ、マシですよ。死ぬよりは……」
「『苦痛を』」
魔力反応光がユースティティアとアルミニアの体を貫いた。
二人は揃って目を見開き、そして絶叫を上げた。
「「がぁああああああああああああああ!!!!!」」
二人は地面をのたうち回り、何度も嘔吐する。
そこへ……
パチ、パチ、パチ、パチと拍手をする音と、複数の足音が近づく。
「素晴らしい主従愛だな」
「どこがだ……安い三文芝居を見せられた気分だ……実に不愉快だ」
「主人の姉を名乗る奴隷とは、全く、躾けがなっていない。……我々でしっかりと、躾けてやろう」
「そんなことよりも、まずはあの小娘を殺す方が先決でしょう? ……弟の仇よ」
それはボロボロのローブを身に纏った、十数人の男女だった。
手には使い古した杖を持っている。
没落した魔法使いの成れの果てだ。
誰もがユースティティアを憎しみの目で見ている。
「しかし、あのヤク中野郎。クソガキごときに負けやがって……」
「奴隷のガキを連れてきたから、譲ってやったのに」
「やっぱり最初から、囲んで殺すべきだったな」
「良いじゃない。……安堵から絶望に叩き潰した方が、苦しめられるし」
ユースティティアたちに呪いをかけた男の一人が、杖を振った。
二人を襲っていた、激痛が消滅する。
二人はぜぇぜぇと荒く息を吐き、体を痙攣させながら、必死に立ち上がろうとする。
「あ、アルミニアは、お姉ちゃんは、わ、私が、守っぐぁ」
男がユースティティアの頭を踏みつけ、杖を向ける。
そしてまた別の女が同時にアルミニアを同様に踏みつけ、やはり杖を向けた。
「まずはこの、クソ奴隷から殺そう。このガキに、家族を殺される苦しみを教えてやろうぜ」
「良い考えね。……でも、まずは徹底的に苦しめる方が先でしょう?」
「どうやって苦しめる?」
「徹底的に呪いをかけて……」
「どの呪いを?」
「くすぐり死にの呪いなんて、中々面白いぜ」
「それ、辛いの?」
「息ができなくて、意外に苦しいらしいぞ」
「それより輪姦して、心を圧し折ってやる方が先だ」
「なら薬を使おう。頭と神経をぶっ壊して……」
「そのあと、こいつらの顔面を焼いて良い? ちょっと、ムカつく面してるし」
「はは、嫉妬かよ。ブス」
「あ? ぶっ殺すわよ、この粗チ〇〇郎」
「まあまあ、喧嘩すんなよ。仲良くしようぜ……取り合えず、ガキ共の手足を削ぎ落そう。杖も握れないようにすれば、絶対に逃げられな」
男は最後まで、言葉を言い切ることができなかった。
男の頭を、後方から飛んできた石礫が射抜いたからだ。
「逃げろ!!」
誰かが叫んだ。
その瞬間、次々と拳大の石が唸りながら飛んできた。
たかが石と侮るなかれ。
それは人体に直撃すれば穴を開け、掠っても肉を削り落とすほどの破壊力がある。
蜘蛛の子を散らすように、彼らはユースティティアたちから離れた。
もっとも逃げきれず、脳漿や内臓を地面へとぶちまけた者も何人かいたが。
「我が家の人間に、随分と好き勝手してくれたな……ゴミクズ共」
ゆっくりと近づいてくる足音。
それは犯罪者たちの耳には、死神の足音に聞こえた。
「ま、不味い……」
「あ、あいつは……」
「っひ……」
犯罪者たちは後退りした。
名門貴族家、ラットゥス氏族の宗家ウィリディス家。
その当主、家父長。
救国の英雄にして、レムラ最強の魔法使い。
マグヌスの称号を持つ男。
グナエウス・ラットゥス・ウィリディス・マグヌスが、そこにいた。




