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第二十四話 血の呪い

 その日の夜、伝書竜を利用した竜便による緊急報告を受けたグナエウスは、即座に竜に乗って帰ってきた。


「ユースティティア! 怪我はなかったか!!」

「お、お父さん……」


 屋敷に戻るや否や、グナエウスはユースティティアを抱きしめた。

 それから丹念に怪我がないか、何らかの呪いを受けていないか、確認する。


「……無事のようだな」

「そ、その……あ、アルミニアが……」

「話は聞いている。……俺の言いつけを守らなかったそうだな」

「……はい」


 ユースティティアは身を縮こまらせた。

 グナエウスはじっとユースティティアを見つめてから……冷静な声で言った。


「ユースティティア、主人が何者かに殺されたら、それを防げなかった奴隷はどうなるか、知っているか?」

「えっと……知りません」

「奴隷は処刑される。それがレムラの国法だ」

 

 グナエウスは冷たい声で言った。

 ユースティティアの表情が凍り付いた。


「当然だな。奴隷は主人の盾にならなければならないのだから」

「そ、そんな……あ、アルミニアは……」

「アルミニアはよくやった。こうして、お前を逃がしたからな」


 グナエウスはユースティティアの肩を強く掴んだ。

 そして言い聞かせるように言った。


「だが、今、生きているかは分からない。主人を守ることができても、奴隷は死ぬかもしれない」

「……」

「軽率な行動は、奴隷を……いや、周囲を危険に晒す。誇り高き魔法使いは、そのような事態は避けなければならない。分かるな?」

「……」


 押し黙ってしまったユースティティアに、グナエウスは再度強い口調で言った。


「ユースティティア。お前の杖は、お前の蛮勇を試すためにあるんじゃない。危険を退け、大切なものを守るためにある。良く心得るんだ」


「…………はい」


 ユースティティアは半泣きで頷いた。

 それからグナエウスは立ち上がる。


「説教の続きは後だ。まずはアルミニアを探す……お前は屋敷にいろ。その前に、杖を渡せ。今のお前には、過ぎたるものだ」


「……はい」


 ユースティティアは少し前に貰った、実父の杖をおずおずとグナエウスに渡した。

 グナエウスはそれを懐にしまうと、ゲルマニア人奴隷のフラテウスを呼び出した。


 ペダニウス、マルクスはグナエウスの秘書として属州へと随行しており、屋敷の留守を任された責任者はフラテウスだったからだ。


 フラテウスは酷く落ち込んだ表情で、グナエウスに深々と頭を下げた。


「……お嬢様を危険に晒してしまい、申し訳ございません。ご主人様(ドミヌス)。どう償えば良いか……」


「報告は聞いている。魔法で抜け出したのだろう? ……未熟者に、不用意に魔法を教えた俺の責任でもある。幸いにもユースティティアは生きている。今回は不問とする」


 もっとも……もしユースティティアが死んでいたら、グナエウスはフラテウスを処刑しなければならなかっただろう。

 無論、グナエウスも長年連れ添った奴隷を殺すような真似はしたくはない。

 だが……


 それがこの国の法なのだ。


「マルクス、屋敷を任せる。ペダニウス、お前は被保護者(クリエンテス)のところを回り、応援を頼んで来い。フラテウス……お前は俺と共に来い。アルミニアは絶対に探し出す……この私の、 グナエウス・ラットゥス・ウィリディス・マグヌスの所有する奴隷に手を出したことを、後悔させてやる」


 やや苛立った声でグナエウスはそう言うと、屋敷を飛び出して言った。

 ユースティティアはどうすることもできず、呆然としていた。


 そんなユースティティアにマルクスは優しく、しかし厳しい声で語り掛けた。


「お嬢様、大人しく、していてくださいね?」

「…………はい」


 ユースティティアは小さく頷いた。






 約三日が経過した。

 未だにアルミニアは見つかっておらず、そしてグナエウスは日夜アルミニアを探し続けている。


「アルミニアが……私の、せいで……」


 ユースティティアはずっと、放心状態だった。

 食事にも殆ど手を付けず、人形を抱きしめ、震えていた。


「アルミニア、アルミニア、アルミニア……」


 自分は魔法使いなのに。

 魔法使いではないアルミニアを守らなければならない立場なのに。


 守れないどころか、彼女を危険に晒し、そして……

 守られてしまった。


 その時だった。

 

 コツコツと、ユースティティアの部屋の窓を何かが叩いた。

 それはカラスだった。


 しかし……そのカラスは嘴に、何かを咥えていた。


「……え?」


 ユースティティアは窓を開ける。

 するとカラスは手紙を置いていき、飛び去ってしまった。


 ユースティティアは慎重に手紙を開ける。

 そこには簡単な地図が入っており、その裏には血のように赤い文字で以下のように書かれていた。


『独裁者、僭主の娘へ。

 お前の奴隷を預かっている。大切なアルミニアちゃんを殺されたくなければ、一人で来い。さもなければ奴隷の命はない』


 ユースティティアは頭が真っ白になった。

 手が震える。


「あ、あ……ど、どう、すれば……私は……」


 グナエウスに相談するべきか。

 しかし彼は外出中だ。


 しかも手紙には誰にも言うなと、書かれている。


 ……そんなものを律儀に守る必要などないのだが、精神的に不安定になっている幼い十歳の少女に、そのような冷静な判断をするのは難しいだろう。


「あ、アルミニアが、し、死んじゃう……酷いことを、されちゃう……ど、どうしよう、どうすれば……た、助けに行かないと……でも、私が行っても、それに、杖もないし……」


 ユースティティアはふらふらと屋敷の中を歩き回る。

 そしてマルクスが目を離している隙を伺い、自分の杖を探す。……だが見つからない。

 自分の杖をグナエウスがマルクスに渡したところは、しっかりと見ていた。


 この屋敷のどこかにあるはずなのだ。


「そうだ、地下室」


 ユースティティアは周囲を見渡し、人目がないことを確認すると、地下室へと向かった。

 分厚い鉄の扉がユースティティアの前に立ちはだかる。


「隠すとしたら、この中……」


 鍵を開けようとして……気付く。


「ま、魔法錠……鍵か、杖で解かないと……」


 魔法錠とは特別な魔法が掛けられた、もっとも強固で頑丈な錠前である。

 特別な魔力波長と鍵開け魔法の二つを鍵とするため、魔法がかけられた特注の鍵か、それとも魔力波長を知る魔法使いが杖を使って鍵開け魔法を唱えなければ、開かない。


 なるほど、杖を隠すならば最適だろう。

 杖がなければ開くことができないのだから。


「ど、どうしよう……」


 ユースティティアは少し考えてから、試しに眼鏡を外し、魔法錠を見てみた。

 するとそこには複雑な魔法式が存在することが分かった。


 魔法錠に手を伸ばす。


「成功したことはないけど、杖無し魔法で……」


 杖無し魔法。

 杖を使わずに魔法を使う技術で、非常に高等な技術だ。ユースティティアは一度も成功したことがない。

 それに加え、一から魔力波長の解析をしなければ、錠前を解くことができない。


 普通ならば絶対に不可能。


 だが……

 ユースティティアは幸か不幸か、天才だった。


 カチャリ。


 開いた。

 ユースティティアは地下室に入り、そして隠されていた自分の杖を手に持った。 


「今度は……私が、守らないと……」


 ユースティティアはギュッと、両手を握りしめ、決意を固めた。




 レムラ市の某所。

 誰も寄り付かないような廃墟に、少女が一人、縛られていた。


 両手両足を縛られ、そして天井に吊るしあげられている。

 金髪の少女は、自分の目の前の男に対し、唾を飛ばしながら怒鳴りつけた。


「この、肥溜め野郎! 落伍者、犬野郎! お前は絶対に後悔する! 私の所有者は、レムラの大英雄、グナエウス・ラットゥス・ウィリディス・マグヌス様だ! お前のような、奴隷以下のゴミクズとは違う! お前なんて、ギッタンギッタンに……けほっ……」


 少女――アルミニア――の声が止まった。

 火傷痕の男が、アルミニアの腹部を蹴りつけたのだ。


 そしてさらに杖を抜き、アルミニアの頭に当てた。


「許しを乞いてみろ、長ズボン(ゲルマニア人)女」


 アルミニアは男を睨みつけられた。

 もうすでに何度も殴られたらしく、彼女の体は傷だらけで、その美しい金髪も埃塗れだった。


「負け犬に下げる頭なんっぐぁあああああああ!!!」


 アルミニアは絶叫を上げた。

 男が強烈な痛みを齎す呪いをかけたからだ。


「主人の威を借る奴隷とは、まさに貴様のことだ。お前の所有者がいかに偉大であろうとも、貴様が魔法も使えない下等動物で、加えてまともな文明も知らん野蛮な長ズボンの半獣であることは、変わらない」


 あまりの痛みに、アルミニアは嘔吐した。

 口から吐瀉物が落ち、床が汚れ……そして一部が男の靴についた。


「薄汚い、クソ奴隷が!」

「っぐぁ!」


 男はアルミニアの顔面を蹴り飛ばす。

 そして杖をクルクルと手で回転させた。


「……やはり、殺してしまおう。少し面倒だが、死霊術を使えば生きているように見せかけることも不可能ではない」


 男はアルミニアの額に、再び杖を突きつけた。

 そして呪文を唱えるために、息を吸い込み……


「やめろ!!」


 背後から飛んできた魔法を、弾き返した。

 男が振り向くと、小さな少女が立っていた。


 普段かけている眼鏡はその目にはなく……

 爛々と真紅の瞳が輝いてきた。


 かつて、レムラを恐怖のどん底に堕とした、その赤い瞳を見て、男は愉快そうに笑った。


「ようやく来たか、アートルム」


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