第十九話 杖の購入
薄暗い部屋の中。
ユースティティアの目の前には大きなケーキ。
ケーキの上には十本の蝋燭がゆらゆらと炎を揺らしている。
ユースティティアは顔を近づけ、蝋燭の炎を吹き消した。
一瞬、部屋は真っ暗になる。
遅れて魔導具の照明が付き、拍手の音が鳴る。
カーテンが開かれ、太陽の光がユースティティアの顔を照らした。
「ユースティティア」
「はい」
「誕生日、おめでとう」
グナエウスがそう言うと、ユースティティアは少し恥ずかしそうに、だが嬉しそうに微笑んだ。
「誕生日プレゼントだ、ユースティティア」
グナエウスはそう言って、大きな箱をユースティティアに渡した。
開けてみると……それは大きな蛇のぬいぐるみだった。
「……すまないな。毎回、ワンパターンで」
「いえ、凄く嬉しいです。ありがとうございます!」
ユースティティアはそう言って、グナエウスの目の前でぬいぐるみを抱きしめて見せた。
グナエウスは誕生日以外にも、何かがあるとユースティティアにプレゼントを買ってきてくれる。
ただ何を買えば良いのか分からないようで、大概は蛇のぬいぐるみになる。
そのためユースティティアの部屋には、すでに大小色合いさまざまな蛇の可愛らしいぬいぐるみで溢れかえっていた。
(……そろそろ、私も蛇のぬいぐるみで喜ぶ年でもないんだけどな)
十歳の誕生日を迎えるユースティティアは内心でそう思った。
大昔、七歳くらいの頃は「大きなぬいぐるみ」というものに強い憧れを抱いていたが、今はそうでもない。
(まあ、だからといって、欲しいものも特にないけど……)
グナエウスという人間は、子供に与えるプレゼントは「玩具」と思い込んでいるらしい。
可愛らしい服などはプレゼントとは彼の中では別枠扱いで、ねだればすぐに買ってくれる。
服は日用品だから、プレゼントではない。
という論理なのだろう。
ぬいぐるみ以外の女の子用の玩具も存在するには存在するが、あまりユースティティアはそういうものには興味はなかった。
玩具で遊ぶくらいならば、庭球などをアルミニアとして体を動かしたり、何か本を読んだり、新しい魔法を覚えたりする方が好きだった。
しかしやはりグナエウスの中では、スポーツ用品や勉強道具はプレゼントとして与えるものではなく、必需品である。
という扱いのようで、これもユースティティアがねだれば買ってくれる。
他に欲しい物と言えば、装飾品などだが……
さすがにあまり高価なものは、ねだる気にはなれなかった。
(……可愛いから、良いか)
ぬいぐるみは嫌いではないし、むしろ好きだ。
まあ……つまり内心では少しケチを付けつつも、ユースティティアはぬいぐるみで十分満足している。
「こうやって、毎年誕生日を祝ってくれること。プレゼントをくれること……それ自体が私にとっては、お父様から頂ける最大のプレゼントです……」
ユースティティアはぬいぐるみを抱きしめながらそう言った。
これは本心からだった。
孤児院にいた頃は誕生日を祝って貰う経験など、一度もなかったのだから。
今、この瞬間が人生で一番幸せだとユースティティアは断言できる。
グナエウスはユースティティアを守ってくれる。
召使奴隷の人たちは優しく、ユースティティアを構ってくれる。
アルミニアは優しいし、一緒にいると楽しい。
だから……だからこそ。
怖かった。
この幸せがいつか崩壊するのではないかと。
グナエウスがいつか、ユースティティアを嫌いになってしまう日が来るのではないかと。
無論、ユースティティアもグナエウスが良い人だということはもう分かっている。
血のつながりのない、それどころか両親の仇の娘である自分をここまで可愛がり、優しくし、そして育ててくれている。
今までグナエウスに暴力を振るわれたことは(魔法戦闘の訓練時の模擬戦を除けば)一度もない。
それどころか暴言すら言われたことがない。
自分がそういう暴力や暴言にトラウマがあることを理解し、特別に配慮してくれていることが分かる。
本当に、本当に優しい人だ。
だが……それでも完全に信じ切ることはできなかった。
グナエウスだけではない。
アルミニアも、召使奴隷たちのことも、ユースティティアは信じることができていない。
それだけユースティティアの人間不信は根深かった。
(……私は悪い子だ)
自分に親切にしてくれる人を信じることができない。
ユースティティアはそのことに罪悪感を覚えていた。
「ユースティティア、聞いているか?」
「え、あ……すみません。少し、ボーっとしていました」
グナエウスに声を掛けられ、ユースティティアは背筋を伸ばした。
「お前は十歳になった。だから……今年の九月、あと六か月と半年後から学校に通うことになる」
「レムラ国立魔導大学、ですか」
「そうだ」
散々小さい頃から、魔法使いの学校に通うことになることは聞かされていた。
ユースティティアは少しだけ、緊張してしまう。
「せっかく、誕生日だから……今日は街に出て、杖を買いに行こう」
「杖、ですか? 今もありますけど……」
「今お前が使っているのは子供用の……まあ言い方は悪いが、安物だ。これから買いに行くのは学生用の、もう少し良い杖だ。杖の性能は良いに越したことはないし、あまりギリギリで買いに行くと、売れ切れるかもしれないからな」
「良い杖……はい!」
わくわくした気持ちでユースティティアは頷いた。
「おお……」
杖を売っている老舗の店に行くと、ユースティティアは眼鏡を外し、魔眼をキラキラと輝かせながら店内を興味深そうに眺めていた。
紅い真紅の、瞳孔に魔法陣のようなものが浮かび上がった神秘的な瞳。
「お久しぶりですな。グナエウス・ラットゥス・ウィリディス・マグヌスさん」
「こちらこそ、お久しぶりです。セクンドゥス殿」
グナエウスは杖をついて歩いてきた老人に対し、頭を下げた。
セクンドゥスはレムラ共和国では高名な杖職人である。
「年を取ったのぉ……ウェリディスさん。あんたが初めてこの店に来た時は……こんなんだったろう」
セクンドゥスは手で身長を示して見せた。
「昔は店内を走り回って……本当にやんちゃな小坊主だったのに。それが今では立派なおっさんになってしもうて。時が過ぎるのは悲しいのぉ」
「セクンドゥス殿はお変わりないようで」
「ワシも年を取りましたぞ。皺が三本も増えた」
御年百二十歳にして、今だ現役の杖職人は笑みを浮かべた。
魔法使いの平均年齢は比較的高く、中には百を超えても元気な者もいる。
もっとも個人差はあるが。
「その子がユースティティアですかな?」
「はい。……ユースティティア。挨拶しなさい」
「え、あ、はい! ユースティティア・バシリスクス・アートルムです」
ユースティティアがそう挨拶すると……
セクンドゥスはゆっくりと、ユースティティアへと手を伸ばした。
思わずユースティティアは目を瞑るが……しかしセクンドゥスはただユースティティアの頭を撫でただけだった。
「アートルムさん、苦労したようじゃの」
「アートルム……さん? え、あ、はい」
家名で呼ばれたことは初めてだったためか、ユースティティアは少し困惑気味に頷いた。
セクンドゥスは目を細める。
「懐かしいのぉ、アートルムさん。あなたはあのお方にそっくりじゃ。あのお方も、初めて来たとき、その目を光らせながら、店内を楽しそうに見ていた」
父親の話をされてユースティティアは少し表情を強張らせた。
もっともセクンドゥスの言葉には敵意は含まれていなかった。
「では杖を選ばせて貰いましょう。アートルムさん」
「は、はい」