第十三話 貴族の作法
翌朝の朝食の席でのこと。
「ユースティティア、食べるときにクチャクチャ音を鳴らすな」
「……ふぁい」
「食べながら口を開くなと、以前も言ったな?」
グナエウスに咎められ、ユースティティアは眉を潜めた。
食事のマナーを咎められるのは、あまり気分の良いことではない。
が、しかしグナエウスの言葉は止まらなかった。
「それとできるだけ、食器と食器がぶつかって音が出ないようにしろ。
それから、食べ物を散らかすな。床や皿に落ちている。
スープを飲むときに、吸うな。音が出ているぞ。それと皿を持ち上げて、直接口をつけて飲むな。犬じゃないんだから。
パンは直接噛り付くな。ちぎって、一口サイズにしてから口に入れろ。何度も言うが、犬みたいな真似をやめろ。
今はこの場にないが……パスタを食う時、お前すすってるだろ? 絶対にやめろ。フォークで巻いて食べなさい。苦手ならスプーンを使ってもいいから。すするよりはマシだ。
貝殻は床に捨てろ。それは奴隷が掃除するから問題ない。だから皿に戻すな。食ったものを皿に戻すのはみっともない。
料理は一品ずつ食べろ。いろんな料理に、同時に手を出そうとするな。
口に料理が入っているのに、他の料理を詰め込むな」
「……」
ユースティティアはとてつもなく、ものすごく、不満そうな顔をしながらもその言い付けを守って食事をする。
皿に残ったソースや野菜・肉片をスプーンで搔き集めていると……
「ユースティティア、それはお願いだから、よそでやらないでくれよ?」
「私、何か悪いことをしましたか?」
「それだ、それ。皿に残っているものを搔き集めるな」
ユースティティアは首を傾げた。
「集まれ集まれ、しちゃいけないんですか?」
「なんだ、その儀式は。みっともないから、絶対にやるなよ? 特に人前では、絶対にやるな。俺がお前にまともに食事を与えてないと思われたら、どうするんだ」
そんなことをするのは奴隷か、金のない貧乏な平民だけだ。
と、グナエウスはユースティティアに言い含めた。
「それと……」
「それと?」
「食べ物を残さず食べようとするな。みっともない」
「……残さず食べなきゃいけないんじゃないんですか?」
どうやら孤児院ではそうだったらしい。
グナエウスは小さくため息をついた。
「今日から気を付ければいい。食べ終えた時は少し残せ。……そうだな、これくらいだ」
グナエウスはユースティティアの前で、皿の中の料理を分けてみせた。
およそ一口分ほどの分量だ。
「そんなに残さなきゃいけないんですか? 何で残さず食べちゃいけないんですか?」
「残さず食べるのは、料理の量が足りなかったという意思表示になる。……お前が皿の中のものを綺麗に食べるもんだから、うちの料理人奴隷が心配している」
またお嬢様が残さずお食べになられた……
料理の量が少ないと、怒っておられないだろうか? ああ、心配だ……
などと悩んでいた料理人奴隷の顔を思い浮かべながらグナエウスは言った。
ああいう姿を見ると、グナエウスも心が痛む。
「じゃあ本当に足りなかったら?」
「その時は直接、口に出して言え。『あまりに美味しかったので全部食べてしまいました。おかわりはありますか?』みたいな感じなら、角も立たない。ただ……あまり行儀の良いことではないから、外では控えてもらいたいが」
あまりユースティティアは納得していない様子だった。
念のためにグナエウスは軽く脅しておくことにする。
「あまり外で行儀悪くすると、俺がお前をちゃんと養育していないとみなされるかもしれない。そうしたら、俺とお前は無理矢理引き離されてしまう……可能性がある。また変な孤児院には行きたくないだろう?」
グナエウスがそう言うと、ユースティティアは顔を青くした。
そして何度も首を縦に振る。
まあ……グナエウスの評判に関わることなので、あながち間違っているわけではない。
「それとついでに言っておくが……人前でソースやスープの残りを、パンで拭って食べるなよ? 人の目につかない場所でやる分は構わないが」
「……みっともないから、ですか?」
「そうだ」
貴族のマナーって難しいなぁ……
とユースティティアは思った。
「……ところで残った食べ物は捨てちゃうんですか? 勿体なくないですか?」
「そういうのは奴隷が食べるから大丈夫だ」
「奴隷が……食べる?」
ユースティティアはグナエウスの側に控えているペダニウスを見ながら言った。
「ペダニウスさん、可哀想……」
「……ペダニウス、説明してやれ」
グナエウスは手で頭を押さえながら言った。
「お嬢様、別に私たちは残飯だけを食べているわけではありませんよ? ご主人様は私たちに対し、必要十分な衣食住をお与えになっています。食べ残しは食べさせられているのではなく、私たちが率先して食べているのです。とても美味しいですから」
「でも……汚くないの?」
ユースティティアは心配そうに言った。
孤児院で、ユースティティアは残飯を食べさせられた経験があり……その時に感じた屈辱と不快感は今でも忘れられるようなものではなかった。
そのため食べ残しを食べているという、奴隷たちに酷く同情しているのだ。
「面白いことをお聞きになられますね、お嬢様。己の主人と、そのご息女の食べ残しが汚いはず、ないではありませんか。ご主人様もお嬢様、奴隷の私たちとは比べ物にもならないくらい、高貴で、そして素晴らしい血筋ですし……何より魔法使いです」
レムラ共和国には、確固たる人間のランクが存在するのだ。
それを決めるのは、貴族か、騎士か、平民か、それとも奴隷や解放奴隷か、という出身身分や……
その人間の血筋や家柄。
そして何より重要な要素となるのが、魔法使いかそれとも非魔法使いか。
そういう考え方が骨の髄まで、染み込んでいるのだ。
「ですからお嬢様はお気になさらず。まあ……できれば、綺麗に食べていただけると助かります」
「はーい」
ユースティティアは素直に頷いた。
取り敢えず納得してくれた様子を見せるユースティティアを見て、グナエウスは胸を撫で下ろした。
食事マナーの躾ほど面倒なものはない。
「そうだ……ユースティティア。今日の夕食はいつもの違う形式で食べることにする」
「いつもと違う……形式?」
ユースティティアは首を傾げた。
「ああ。食事マナーと言っても、場所によって異なるからな。今日の夕食は、上流階級のパーティーでの食べ方を教えてやる」
「上流階級……難しいですか?」
少し不安そうな表情を見せるユースティティアに対し、グナエウスは笑みを浮かべた。
「安心しろ。……誰だって最初はできない。それにそこまで難しくはないからな。お前は物覚えが良いし、聞き分けも良い。だからすぐに覚えられるだろう」
グナエウスに褒められたユースティティアは、少しだけ気分が良くなった。
あまり人から褒められた経験がないのだ。
さて夕方。
ユースティティアはいつもとは違う、ゆったりとした簡素な服に着替えさせられた。
パーティーを行う時にだけ使う、特別な部屋へグナエウスと向かう。
「通常は十人、二十人と集まるものだが……今回は二人だけだ」
「へぇ……どこに座るんですか?」
ユースティティアは首を傾げた。
部屋には長テーブルと、それと同じ程度の高さのベッドが置かれていた。
「座るんじゃない。寝るんだよ」
「寝る?」
「寝て食べるんだ」
ユースティティアは目を見開いた。
それからグナエウスの指示に従い、ベッドに横になってみる。
それから次々と料理がテーブルに並べられる。
「あの……フォークとナイフは?」
「こういう形式の時は手掴みで良い」
「手掴み!?」
「寝たままだと、フォークやナイフは使えないだろう?」
それからグナエウスは丁寧にマナーを教えていく。
「良いか? 手掴みと言っても、鷲掴みじゃないぞ? 指をこうして……親指と人差し指、中指で挟んで食べるんだ。手は服で拭いて良い。この服は食後に捨てるからな。間違ってもベッドで拭くな? あとは……指を舐めたりはしないことだ。大皿に乗ってる料理は奴隷に言って、小皿に分けてもらうこと。エスカルゴや貝類を食べるときはこの串を使え。それから……」
実践を交えながら、食事をする二人。
美味しい料理を食べながら「貴族というのは食事する時も大変なんだな」とユースティティアは思った。