第十一話 彼の助け
「……ここは?」
「気が付いたか?」
気付くと、ユースティティアは知らない場所にいた。
見たことのない天井に柔らかいベッド。
そして暖かい衣服に身を包んでいた。
隣を見ると、知らない男性がいた。
「あなたが……助けてくださったんですか?」
「まあ、そういうことになる。とりあえず、これを飲みなさい。ゆっくりとね……体が温まる」
男性はそう言ってユースティティアにお湯のようなものを手渡した。
少しいい匂いがする。
言われるままにユースティティアはそれを口に運んだ。
体が芯から温まるような気がした。
そのお湯を飲み終わると、別の男性が小麦の粥を持ってきた。
ユースティティアは思わず、息を呑んだ。
もう数日間、まともに食べ物を食べていないユースティティアにとって、それはとても美味しそうに見えた。
ユースティティアは粥を受け取ると、一気に口の中に入れようとするが……
男性にゆっくりと食べるように言われ、言う通りにした。
(美味しい……)
小麦の粥を食べたことは今までに何度かあったが、その中でも一番美味しく感じた。
空腹だから……というのもあるのかもしれないが、それ以上に作った人の料理の腕が良いのだろうとユースティティアは思った。
――孤児院の料理なんてものは基本的に手抜きばかりだ。
「取り合えず、食べれるだけの元気はあるみたいだな。食べながらで良いから、教えてくれ。君の名前はなんだ?」
思わずユースティティアは手を止めてしまった。
下手に自分の名前を、出生を明かせば追い出されてしまうかもしれない。
ここから追い出されれば、ユースティティアは野垂れ死にしてしまう。
だが……助けてもらったのに名前を名乗らないのも、良くない。
印象を悪くして追い出されてしまう可能性もあった。
悩んだ挙句、ユースティティアは自分の氏族名や家族名は告げず、個人名だけを名乗ることにした。
「ユースティティアです」
「なるほど、正義か」
男性は値踏みするようにユースティティアを見た。
緊張でユースティティアの心臓が高鳴る。
「氏族名と家族名を教えて貰えないか?」
心臓が跳ね上がった。
氏族名と家族名を言うわけにはいかない。
だが……言えないと言えば、理由を言わなくてはならなくなる。
幼いユースティティアには誤魔化し方が思い浮かばず……仕方なしに繰り返した。
「………………ユースティティアです」
追及を恐れ、ユースティティアは男性の顔色を伺う。
幸いにも男性はユースティティアの名前を尋ねることはしなかった。
「保護者はいるか?」
保護者。
つまりそれは孤児院の院長のことだった。
しかし孤児院にいたことを伝えれば、孤児院に連絡されて、連れ戻されてしまうかもしれない。
間違いなく、殺されてしまうとユースティティアは思った。
「…………………………いない、です」
我ながら下手な嘘だと、ユースティティアは思った。
事実、男性はユースティティアの嘘を信じてはくれなかった。
「言いたくなったら、教えてくれ」
男性はそう言って部屋から立ち去った。
男性が部屋から消えるのを確認したユースティティアは深いため息をついた。
「はぁ……助かった」
それから数日の間、ユースティティアは快適な生活を送ることができた。
この家の主人は滅多にユースティティアと顔を合わせてこなかったが……
召使と思われる、奴隷の人々はユースティティアに対して親切にしてくれた。
――頭の虱を薬品で落とされるのは、少し恥ずかしかったが。
しかし暖かい寝床がここにはあり、そして美味しい食事を毎日、お腹一杯に食べることができた。
お風呂も毎日入って、体を清潔に保つことができるようになったおかげか……孤児院にいた時に常に感じていた、体の痒みからも解放された。
「……ずっと、ここに居たいな」
ユースティティアは窓の外を眺めて呟いた。
孤児院に比べれば、ここは天国だった。
叶うことならば、ずっとこの屋敷で生活させて欲しかった。
(でも、無理だろうなぁ……)
ユースティティアは思わずため息をついた。
見ず知らずの子供を、この家の男性が育ててくれると思うほどユースティティアは楽観的になれなかった。
そして自分の出生を考えれば、尚更だった。
「随分と血色が良くなったな」
そう思っていると、ドアが開く音と共に男性の声が聞こえた。
ユースティティアは思わず背筋を伸ばした。
そして男性に対して頭を下げて、お礼を言った。
「あなた様の、おかげです。ありがとうございます」
感謝の念……というよりは、ちゃんとお礼を言って相手の機嫌を損ねないようにしなければならないという思いの方が強かった。
男性はユースティティアのそんな気持ちを知ってか知らずか、どうにも複雑そうな表情を浮かべた。
「気にすることはない」
男性は小さくそう言った。
せっかくの機会だったのでユースティティアは男性の名前を尋ねることにした。
「あの……お一つ、良いですか?」
「何だ?」
「お名前を伺っても、よろしいですか?」
その瞬間、男性の目が冷たく変わったことにユースティティアは気付いた。
「自分は名乗らないのに、俺に名乗れというのか? ユースティティア・バシリスクス・アートルム」
ユースティティアの心臓が跳ね上がった。
喉がカラカラに乾くのを感じた。
ユースティティアは男性の目を見る。
その目の中には憎しみの色があった。
恐怖が湧き上がってくる。
「俺の名前か? 良いだろう、教えてやる。グナエウス・ラットゥス・ウィリディス・マグヌス。お前の父親を殺した男だよ」
グナエウス・ラットゥス・ウィリディス・マグヌス。
自分の父親を打倒した英雄の名前。
ユースティティアも一度は聞いたことがある人名だった。
自分の父親の仇敵だった男。
つまりユースティティアにとっては敵で、そしてこの男性は自分に強い憎しみを抱いている。
ユースティティアはそれを感じ取った。
「ご……な、さい」
「何だ?」
「ごめんな、さい」
気付くと、ユースティティアの口から「謝罪」の言葉が出ていた。
「生まれてきて、ごめんなさい。生きてて、ごめんなさい。紅い目をしてて、ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!!!」
カチカチと、自分の歯が不愉快な音を出す。
「私は、人間のゴミです。生ごみ以下の存在です。生まれてきたことが、罪の、悪い人間です。どうしようもない、クズです。し、死んだ方が良い人間です。だ、だから、ど、どうか、わ、私を罰してください。う、生まれてきて、ごめんなさい。生まれてくることで、皆さんを、苦しませて、ごめんなさい。
生きてて、ごめんなさい。い、生きてることで、皆さんにご迷惑をおかけして、ごめんなさい。紅い目をしてて、ごめんなさい。化け物みたいな目で、み、皆さんを見て、ごめんなさい……」
ここから追い出されるのは嫌だった。
そして以前のように虐げられるのも嫌だった。
ひたすら「謝罪」して、許しを乞うしかユースティティアに選択肢はなかった
「お■、■ち■■。何■、■はお前■■かし■■■■……」
グナエウスが何か言いながら、ユースティティアに近づく。
そして手をゆっくりと、ユースティティアの背後に回す。
ユースティティアは思わず目を瞑った。
頭や背中を殴られたり蹴られたりした記憶や、髪を引っ張られて振り回された記憶。
頭を押さえつけられて、床に叩きつけられた記憶や水の中に突っ込まれた記憶がフラッシュバックする。
「いやぁああああああああ!!!」
思わずユースティティアは叫んだ。
体の内側から何かが溢れ出てくるのを感じた。
そして……暖かいものが自分の体を包み込んだ。
「落■■け、ユ■■■■ティア! ■は何も■■い。大■■だから、安■しろ。謝■必■もない!」
耳元で何かを囁かれる。
少しづつ、聞き取れるようになっていき……それが自分を気遣う言葉であることにユースティティアは気付いた。
すると段々と心が落ち着き、恐怖が薄れていくのを感じた。
体の内側から湧き上がっていた何かが消滅する。
「大丈夫か?」
グナエウスが尋ねた。
それは優しい声音だった。
ユースティティアは男性の顔を見て、それから周囲の状況を確認する。
(……やってしまった)
よりにもよって、自分を助けてくれた人の目の前で。
追い出されたくない一心で、ユースティティアは謝罪の言葉を口にする。
「……ごめんなさい」
「謝ることはない。幼い、未熟な魔法使いの子供が、魔法力を暴走させるのはよくあることだ」
グナエウスはユースティティアの頭を撫でた。
本当に自分を心配してくれていることが分かった。
ユースティティアは打算で謝っていた自分自身が、酷く醜い人間のように思えてきた。
涙が溢れてくる。
「グナエウス様は……」
「さん、で良い」
ユースティティアは泣きながら、小さくうなずいた。
「グナエウスさんは、私を憎く思わないんですか?」
「……お前を憎んでも仕方がないだろう」
グナエウスは少し複雑そうな表情を浮かべながら言った。
どうやら彼自身も、いろいろな思いを抱えているようだった。
「私を、ぶったり、しない?」
「何も悪いことをしていない、子供を殴ったりなんてするか」
少なくとも、今のところはグナエウスは自分に対して害意を抱いていない。
ユースティティアは安堵した。
「少なくとも、ここにはお前を虐めようとするやつはいない。だからお前は安心して、体を休めろ」
そう言ってグナエウスはユースティティアをベッドに寝かせた。
すると強烈な眠気が襲い掛かってきた。
「今の魔法力の暴走で、体力を使っただろう。嫌なことは忘れて、寝てしまいなさい」
ユースティティアは小さくうなずき、瞳を閉じた。
するとすぐに意識が遠くなっていき、暗闇の中に落ちていった。