第6話 拳と夢
「頼む! ぜひ俺と手合わせを!」
「待て! 先に僕が一戦交えるといったはずだ!」
「……えぇっと……」
翌日。
目が覚めても俺は異世界のまま、元のストレス社会には戻っていなかった。
ただ悲観はしていない。……むしろ逆だ。
「まあいいや、知るか! というか地獄(仕事)から解放されてラッキーだよ!」と、今日も元気に『野道場』へときている。
そんなこんなで昨日と同じく型の稽古を行い、次の実戦形式の稽古に移って……俺は困惑していた。
理由は単純だ。
わらわらと多くの『帯なし』門弟が集まり、我先にと俺に稽古相手の申し出をしてきたのである。
「さあやろう! 今日まで鍛えた【手刀】を、あの【軟弱防御】で受けてくれ!」
「おい、お前の手刀なんざいいんだよ! 自分の【岩己】にあの【風圧拳】を打ち込んでこい!」
……うむ、これはもう完全に目立ちすぎたな。
ギラギラした目の野郎共に言い寄られるとか、リアルガチで恐怖体験だぞ。
見れば近くにある『森の道場』の『白帯』門弟もこっちを見ているし……悪い意味でモテモテだ。
「これお前達、ベルが困っているだろう。まったく世話の焼ける――ならばワシが選んだ者から挑むがいい!」
「「「は、はい師範ッ!」」」
という、ひょっこり脇から入ってきた師範の鶴の一声で決定。
いやいや、やらない選択肢はないんかい! と、心の中だけで一応、突っ込んでおく。
「――ではまずアドナン、お前からだ。ベルよ、この男は『野道場』一の【手刀】の使い手だ。……多分」
「た、多分って師範!? ……ま、まあいい、いくぞ! 俺の本気の斬撃を受けてみるがいい!」
門弟の中でも筋骨隆々な、ぶ厚い胸板のアドナンが俺と向き合う。
そして師範が合図を出して、一瞬の間があいた後。
“左右両方”の手から鋭い気を発し――勢いよく踏み込んでくる。
「俺の売りは左右同時発動! つまり『二刀流』だ!」
「!」
対して、俺はその場から動かずに受けに回る。
【手刀】と同じく【岩己】は使えない。
だから“生身の体のまま”、両腕を上げて二本の刃をガードしにいく。
ガキィン! という音は鳴らない。ただブシュッ! という斬り裂かれる音もない。
交差する形で上げた両腕のガードに、相手の【手刀】が接触。
だが昨日の師範と同じく、皮膚には切り傷一つ存在していなかった。
あるのは手刀と腕が擦れ合った少しの痛みだけ。
つまり、一昨日までサラリーマンだった俺でも余裕で耐えられる、というわけだ。
「く、くそッ……!?」
左右の刃を何度振るわれても結果は変わらず。
岩をも斬るはずの恐ろしい【手刀】は、俺の腕をバチバチと叩くだけに終わる。
これぞ俺の『オリジナル技』の【軟弱防御】。
皆が多数決でつけたネーミングはだいぶ失礼な気もするが……。
まあたしかに、皮膚も肉も硬化していないからその通りではあるか。
「次! キミッヒ! この男は一番の強度を誇る【岩己】の使い手だ! ……多分」
「お願いします。君の【風圧拳】を踏ん張ってみせる! 多分ではなく絶対!」
二人目はパッと見て穏やかそうな細身の男。
ただ目の奥には強さがあり、やはり皆と同じく体育会系の印象だな。
「そうか。ならこっちも遠慮なく――ワッショイ!」
腹からお祭りな掛け声を出して、俺は右の掌底を突き出す。
【風圧拳】。
もう一つの防御技と比べれば、カッコイイ名前をつけられた攻撃技だ。
こっちは昨日の師範の時とは違う。
ただ手を突き出すのではなく、脇を締めて腰も回してしっかりと打った。
――すると、
「くおぅッ!?」
キミッヒが吹っ飛んだ。それこそ師範の比ではないくらいに。
ただの打撃のつもりで打ったのに……。
【軟弱防御】と同じく、“魔力の変な動き”が“勝手に”右の掌に起きた結果。
飛距離およそ二十メートル。
相手の体が軽々と、人形どころか小枝みたいに吹き飛んでいった。
……ヤバイ、頭から地面に落ちたしケガは……って大丈夫か。
ここは最底辺でもびっくり人間の巣窟。全身が岩並に硬いなら問題ないよな。
実際、キミッヒはすぐに立ち上がり、驚いた顔のまま一礼。
俺との実力差を思い知ったのか、足早に門弟達の中に戻っていく。
「(ちょっと力を入れただけで……あんな吹っ飛ぶとは。リアルガチでどうなってるんだ?)」
二日目も引き続き自分自身に困惑する俺。
だがその困惑が収まる前に……師範に指名された三人目の挑戦者が。
二メートル半の巨体に濃紺の剛毛を纏い、その上に特別サイズな道着を着た熊の獣人。
「お、誰かと思えば次はルディか」
「ベル、オラと勝負だべ! 昨日の大浴場でのモフりの仕返しをさせてもらうべな!」
プンプンと怒っている熊人族、改めルディ=クゥ。
『野道場』に十数人いる獣人のうちの一人で、種族的にダントツの恵体の持ち主だ。
「フッ、望むところだ。俺が勝ったらまたモフらせてもらうぞ!」
「いいべな! けど、熊人族の誇りにかけてオラが必ず勝つべ!」
そんなルディと正面衝突。
正当にモフる権利を得るべく、俺は再び全力で、腰を回して右の掌底を繰り出す。
人間vs獣人。その結果については――まあ予想通りだった。
見上げるほどの体格差などお構いなし。
みぞおちを突かれたルディは、「うわぁあ!?」と声を上げて十メートルほど飛んでいく。
多少【岩己】のせいで硬い、というより重く、二人目よりも飛距離は出なかったものの、
優に二百キロはあるモフモフ巨体が、派手に背中から地面に激突した。
「フッフッフ、俺の完勝だな! 風呂の時間……いやこの後の朝飯にでもモフらせてもらおうか!」
「ぐ、ぐぬぬぬぅ!」
勝ちは勝ちである。
ルディは【岩己】の使い手のため、事前に決まっていた“飛ばされたら負け”ルールにより、俺の勝ちとなった。
――その後、モフる権利を得て、気分的にも勢いに乗った俺は連戦連勝。
【手刀】使いには【軟弱防御】で、【岩己】使いには【風圧拳】で。
決められたルールの中で、無傷のままに勝利していく。
最終的には“四十一名”。
魔力切れになる寸前まで戦い続けた結果。
『野道場』にいる『帯なし』門弟の約三分の一の挑戦を退けて、俺は意気揚々と朝稽古終わりの食事を取りにいくのであった。
◇
「ふぃー、終わった終わった。今日もいい汗かいたなー」
一日の稽古を終えて、俺はまた岩風呂の露天大浴場で汗を流す。
体の疲労はかなりあるが、それ以上に充実感で満たされていた。
元の世界で働いていた時には一度も感じなかった感覚だ。
それがたった二日目で、この異世界道場では感じることができていた。
「いやー参った。同じ『帯なし』でも、まるで歯が立たないとは」
「やるじゃないかベル。本当にどこであんな技を覚えたんだか」
「オラも認めるべ。悔しいけど何もできずに飛ばされるしかなかったんだべな」
俺の近くで湯に浸かるボブとディラン、熊人族のルディが言う。
ルディに続き、イケメン兄弟もしれっと挑戦して負けたからな。
特に弟のディランは体重が軽く、四十メートルに迫るほどの最長距離だったぞ。
悔しさはあるのだろうが……俺と同じく、三人の顔や声には充実感があった。
“力こそ全て”。“強い者が偉い”。
という、俺から見たらかなり特殊な『魔体流』で、三人は俺をライバル認定したみたいだ。
朝も昼も、一緒に食堂で食べた時に「追いついてやる!」と息巻いていたしな。
「――なあ、ところで三人は『魔体流』でどうなりたいんだ?」
湯で顔をバシャッと洗いつつ、ふと思ったことを口にする。
目標、あるいは夢はどこなのか?
ただ漠然と馬車馬以上に働いていたブラックリーマンだからこそ、どうにも気になってしまう。
「俺はもちろん『黒帯』だ。森も山も高原エリアも越えて、目指すは猛者だらけの『本道場』さ!」
「何だ兄貴、ずいぶん目標が低いな。俺はもっと上――“免許皆伝”を受けた『高弟』達への仲間入りだ!」
「ならオラは頂点だべ! どんどん技を覚えて磨いて、熊人族初の『拳聖』になるんだべな!」
俺の問いに、それぞれが力強く答えてくれる。
……なるほど、やはり本気、人生かけてやっているのか。
稽古の時にも感じたが、遊び半分でやっているヤツなど一人もいないのだ。
「そういうベルはどうなんだよ? 一人だけ誰にもできない『オリジナル技』を引っ提げやがって……。もちろん上を目指すんだろ?」
と、逆にボブから聞き返されて。
俺は首元まで湯に浸かり、湯けむりの中の森の木々を見上げながら、
「俺はまあ……楽しくやっていけたらいいなあ、と」
嘘偽りなく、本心からそう言った。
せっかく過重労働から解放されて異世界に来たんだしな。
まだ二日しかいないが、生活面に関してもそこまで不便でもない。
食事に肉も出るし(というかほとんど肉だが)、寮だって相部屋でも悪くはない。
食堂で酒は一滴も出ないとはいえ……まあそこはもっと上の階級にいけば飲めるらしいし。
「楽しみながら頑張っていくさ。体を動かすのは気持ちいいって初めて思えたしな」
「何だそりゃ? 一人だけお気楽だなー」
「むむぅ、自分だけの技を持つ男の余裕だべか。改めて負けないべよベル!」
ディランとルディに言われて、俺は肩をすくめて頭まで湯の中へ。
……とにかく明日も頑張るか。
転職したと考えれば、前の職場よりも恵まれているのは間違いないのだ。
俺はザパァ! と湯船から飛び出すと、ずぶ濡れの顔も拭かずに一言。
「つうかそれよりも! さあルディ、また勝者の“モフりタイム”といかせてもらうぞっ!」