第3話 いきなり師範
「(……さて、やると言ってもどうしたものか……)」
最初の型の稽古が終わり、実戦形式の稽古が始まった。
『野道場』に吹き抜ける乾いた風を感じながら、俺は運悪く(?)師範と手合わせすることになってしまう。
「さあこい。好きなように“斬って”くるがいい」
「は、はあ……」
と、言われましてもね。こちとらただ戸惑ってしまうばかりですよ。
なぜか異世界に飛んで目覚めたばかりで、三十分と経たずに稽古とか……。
……まあ、いいか。
昨日のサービス残業の蓄積ダメージもあってか、ちょっと考えるのも面倒になってきたぞ。
「では、いきます!」
もう師範も構えて俺のターンを待っちゃっているしな。
というかその師範だが、ド素人の俺でも分かるくらい隙のない構えだ。
両腕を顔の前で交差させただけの“ゆったりした構え”なのに、不思議と力強さとプレッシャーみたいなものを感じさせてくる。
「ワッショイッ!」
お祭りな掛け声だけは一丁前にマネて――俺は放った。
何をって? そりゃ手刀、ではなくて【手刀】か。
他の門弟達が準備運動でそこら辺に転がる岩を斬っていた、素手の刀のような技である。
だから見よう見まねで放った。
師範も俺(正確にはベルという人物)が使えると言っていたしな。
……が、しかし。
「――あ痛ッ!?」
師範のガードに上げた両腕めがけ、恐る恐る斬りかかったら。
防御技の【岩己】。
もう一つの基本技を使っていたらしく、めちゃくちゃ硬い、本当に岩みたいな硬さの腕をブッ叩いて――俺は右手の側面を痛めただけに終わる。
「む? 何をしているのだ。【手刀】を使わずに“そのまま叩く”など……」
攻撃を受けた師範は見るからに困惑している様子だ。
眉を八の字にして、顔には余計に多くのシワが入ってしまっている。
「いや、えっと。【手刀】という技をですね……?」
「だからそれを使えばいいではないか。……まったく、まさか魔力も込めずにやるとは。下手をすれば骨が折れてしまうぞ」
「へ? “魔力を込める”……?」
……ちょっと待て。それは初耳だぞ。
たしかに『魔体流』は魔力を使うとは聞いたが、肝心のその魔力ってどうやって込めるんだよ?
――と、師範以上に俺が困惑しているのがバレたのだろう。
師範は眉間にシワを寄せたまま、「はあ」とため息をつくと、
「普通は一度、技を覚えたらやり方を忘れんはずだが……。まあいい。とにかく己の肉体に流れる魔力を、“肘から指先まで”できるだけ多く込めるのだ」
「は、はあ……」
そう説明されても、俺の頭の中の『?』マークは取り除かれない。
たしかに、“何か”ある。
言われて意識を体の内側に向けたところ、気持ち悪さはないが、前の体にはなかった“奇妙な流れ”のようなものが存在していた。
自分で感知できる血流みたいなものか。コレを部分的に多く込めろ、と。
……ふむふむ、なるほど。――いや一体どうやってやるんだよ!?
「ぐぬぬぬッ!」
いくら力んでも何も変わらず。ただ頭に血が上るだけ。
体の中にたしかに流れている魔力はまったく意志通りにならず――まるで清流のように全身を流れていくだけだ。
つまり、どういうことかと言うと?
門弟である本物(ベル)にはできて、ブラックリーマンの偽物(俺)にはできないという悲しい現実だった。
◇
「……お前、まさか本当にできんのか? 一度は覚えたはずだろう。肘から先に魔力を込めるだけだぞ?」
無様に力む俺の姿を見て、愕然とした表情の師範が言う。
……異世界人で格闘技経験なしの俺でも分かる。
師範として、目の前の門弟のあまりのポンコツさに呆れ果てているのだろう。
「し、師範! えっとですね。実は今朝からベルのやつは何か変でして……!」
「き、記憶喪失なんですよコイツ! 『魔体流』のことすら忘れていて、それで技の使い方も忘れたのかと……!」
その時だ。
すぐ近くで稽古していたボブとディラン兄弟が、慌てた様子で会話の中に入ってきた。
何となく流れ始めた空気からヤバイと察したのだろう。
師範と向き合っているのに技を使えない俺の代わりに、稽古を中断してまで事情を説明してくれる。
昨日の稽古中に頭を打ち、記憶喪失で調子も悪い――などなど。
「……ふむ。なるほどな」
そんな兄弟の、身ぶり手ぶりも加えた必死の説明を受けて。
師範はコクリとうなずくと、なぜか今度は“受け”ではなく、ボクサーのような“攻撃的な構え”を取った。
「……ふぇ?」
「ふぇ? ではない! 記憶喪失だと? そんなもの信じられるか。大方、覚えてからろくに稽古もせずに使い方を忘れただけだろう!」
「え、いや違……」
「黙らっしゃい! たしかに前代未聞ではあるが、誰よりも怠けていたのなら納得がいく! 多分!」
「ちょ、ちょっと待……つうか自分で多分って言っちゃってるじゃないですか!?」
まさかの逆効果。
兄弟達の説明を聞き終わった直後、完全に怒りスイッチが入った師範は、一歩また一歩と格闘家特有の擦り足で前に出てきた。
道着と黒帯を纏ったその存在は……まさにカオス。
不真面目な門弟の根性を叩き直したる! 的なオーラが溢れているぞ。
「心配するな、殺しなどせん。少し強めのお灸を据えるだけだ!」
「うぇええ!?」
ずるずると下がる俺に、鬼のような形相で師範が右腕を振り上げる。
手の形は完全に手刀。
もちろんただの手刀ではなく、刃物をチラつかせたような錯覚を覚えたことから、確実に【手刀】だろう。
まずい、リアルガチで斬られるぞ!?
しかも本気でないとはいえ、師範クラスの技なんてヤバイだろ! 多分!
「……!」
俺は恐怖から全身に力を込める。
だが当然、それだけでもう一つの防御技、【岩己】が発動するわけもなく。
野太い「ワッショイ!」という掛け声と共に、
『帯なし』門弟よりも洗練された右の【手刀】が――俺の胸を斬り裂いた。
「――いや、“斬り裂いてない”ッ!?」
「な、何だと!?」
瞬間、俺も師範も固まっていた。
特に師範の方は目を引ん剥いて、さっきまでの鬼の形相が崩れている。
たしかに【手刀】は胸に当たった。
……のだが、そのまま、ただの“手刀のまま”胸を滑っただけ。
本物の刀で斬られるような錯覚は……リアルガチで錯覚のまま終わったのだ。
……何だよ師範! ただビビらせるつもりだっただけかよ!
実は肉体の中のド素人な魂を見抜き、あとは『気合いを入れ直せ』とぶっきら棒に言うだけ――。
「え! また!?」
そう思っていたのも束の間。
なぜか師範は怪訝な顔で、今度は左で【手刀】を振るおうとする。
「ぎゃぁあああッ!」
人生で斬られたことなどない。せいぜいカッターで指を切ったくらいだ。
俺は再びの恐怖のあまり、反射的に右腕を突き出してしまう。
ドン。
また【手刀】が襲いくる寸前、俺の右手が師範の胸に当たる。
ただし、それは腕を突き出しただけであり、とても師範の攻撃を止められるようなものではない。
――はずだった。
「ぐぅッ!?」
なぜか師範の口からうめき声が漏れる。
目を半分閉じてしまっていた俺は、少し遅れて事態を確認したところ、
師範がいたのは“空中”。
『黒帯』がキツく締められた、強者のオーラで溢れた老練な体は。
俺の真正面に位置する空中に浮き、結構な勢いで真っすぐ前方に“飛んでいって”いた。
「えっ?」
そしてそのまま地面に背中から落下。
一見、何のこっちゃ分からないが……どう考えても原因は俺だろう。
……ただ、何で?
ちょっと小突く感じだったのに、師範クラスが最底辺のペーペー(『帯なし』)にこんな簡単に飛ばされるものなのか?
「「「「「…………、」」」」」
俺が感じた至極当然の疑問は、他の皆も同じだったらしい。
吹き飛ばされて地面に背中をついた師範を、『野道場』にいた全員が凝視していた。