第2話 魔体流
「(『魔体流』に『森の道場』とは……。何か思ってたのと色々違うぞ)」
彼らから教えられた『魔体流』、そして『森の道場』。
どうやら俺がきてしまった異世界、というか場所は、だいぶ汗臭い体育会系的な感じのところだった。
「ほらベル、お前もぶつぶつ言ってないで掛け声を――ワッショイ!」
「お、おお……わ、ワッショイっ!?」
立派な木造道場の裏。ただ頭上に青空しかない、円形広場の一角にて。
きちんと整列した状態で始まった型の稽古に、俺はとりあえず見よう見まねでついていく。
……ちなみに、隣で突きを放っている二人組。
目覚めた時からずっと一緒にいるイケメン金髪のコイツらは、顔が似ていると思ったら、やはり兄弟だったらしい。
兄のボブ=テイカーと弟のディラン=テイカー。
年齢は二十と十九とどちらも年下で、この『魔体流』の道場には三ヶ月前に入ったとのことだ。
稽古をしながら、ヒソヒソと私語をしてここの情報を収集。
“昨日の稽古で頭を打って記憶喪失”という強引な設定で、型の稽古をしながら聞き出すことに成功していた。
まず初めに『魔体流』について。
これは体術は体術なのだが、さすがは異世界か、体内の“魔力”を使った体術らしい。
剣と魔法の異世界で体術。
魔力を使うということからも普通の体術とは違い、簡単に言えば素手で何でもできる『びっくり人間』のような感じか。
『初代拳聖』が基礎を作り、代々の拳聖達が厳しい稽古を重ねてさらに発展。
現在は“三千百二十一名”もの門弟を抱える、規模も歴史もある巨大組織な体術だった。
「リアルガチで岩を砕いたり切断したりするとか……恐ろしや『魔体流』!」
「リアルガ……何て? つうかいい加減に集中しろってベル。師範にバレるだろ!」
と、ここで。
兄のボブがキレのある突きを放ち、イケメン顔に汗を流しながら注意してきた。
……ふむ、まあたしかに。
俺達は遅れたから百人超の集団の最後方にいるが、『黒帯』を巻いた師範なる人は、あちこち動き回って皆の動きを鋭い目でチェックしているぞ。
馬車馬以上に働いていたブラックリーマンの俺とは思えない不真面目さ。
とはいえ事情が事情だから……拳をワッショイ! しつつも説明を続行する。
次に『森の道場』について。
これは裏にいるから今も近くに見えている、円形広場にある道場のことだ。
森を切り開いた場所に作られ、『白帯』を巻いた人達が汗を流して稽古している場所である。
逆に俺達がいるのは『野道場』。
同じ道着姿でも少し気になっていた、“何で帯がないんだ?”という疑問だが……。
つまりは未熟者。
空手とか柔道なら『白帯』から始まるのに、この異世界の『魔体流』は『帯なし』から始まるらしい。
だからすぐそこにある道場は使えない。一歩さえも入れない。
一番の格下である『帯なし』は、屋根も壁もない吹きさらしの広場で稽古するのだ。
「『白帯』の上には『灰帯』があって、さらに『茶帯』に『焦げ茶帯』に『黒帯』に……。色がほぼ地味なのはどうかと思うけど、見事なまでに階級社会だな」
兄弟から説明を受けている時から、薄々は気づいていた。
やはりこういう場所は“力こそ全て”だと。
この森が最底辺で、力をつけて帯の色が上がるにつれて、
近くに見える剣のように聳え立つ山や、その向こうにあるという“白い高原”など。
道場の場所も生活環境も、徐々に向上して良くなっていくようだ。
「言ってしまえばここは有象無象のザコ。……と一瞬、思ったんだけども……」
若干、引きつった顔で俺は見る。
最初の型の稽古が終わった後。
それぞれが数人単位のグループごとになって、本格的な稽古が始まったところ、
――ザグン! ――ガキィイン!
……これは誰かがガキみたいに発した言葉ではない。
彼らが使った“技”により生まれた、立派な“効果音”である。
「なあ、たしかに言葉では教えてもらったけどさ。あの転がってる岩に傷をつけた手刀と、その手刀を岩みたいに受けてるヤツら……何の技を使ってんの!?」
「は? そこも忘れたのかよ。ありゃ基本中の基本の【手刀】と【岩己】だろ」
「……ほほう。【手刀】に【岩己】とな?」
「そうだ。『魔体流』には他にもたくさん技はあるけど、まずはこの二つを習得しなきゃ『白帯』――つまりスタート地点にすら立てないぞ」
俺の問いに、兄のボブが答えてくれる。
いやずいぶんと物騒な技名だな……。
そう思って苦笑いしていたら、ボブはそのまま対面で構えていた弟のディランと向き合う。
「いくぞ、ディラン」
「おう、兄貴」
そして、軽く一言交わしたと思ったら。
じりじりと擦り足で距離を詰めて――右の手刀を鋭く振るった。
――ガキィイン!
他の門弟達と同じく、金属と金属がぶつかり合ったような音が鳴る。
攻撃に用いた手刀とガードに使われた腕。
どちらも“生身の硬さ”ではないからこそ、その異常とも言える音がなったのは明白だ。
「“肉体一つで魔物を倒す”。それを実現できるのは、世界で唯一、この『魔体流』だけだ!」
決めゼリフのように言って、再び弟のディランに【手刀】を使うボブ。
うん、たしかにカッコイイよ。
もはや人間を辞めた“バケモノ体術”を見せつけ、そのイケメンさも相まって相当カッコイイぜ!
……と言ってあげたいところだが。
さっきからずっと腹をグーグー鳴らせているから台無しだよ!
「つうか俺も腹減ったな。朝から何も食べてないし……。そもそも今は何時で――」
「おい、そこの。まったく、稽古中にだらしない顔をしおって。ヒマを持て余しているならワシが相手になってやろう」
「……え?」
一人のん気に腹を擦っていた、その時。
突然、後ろから声をかけられて振り返ると、そこにいたのはまさかの師範だ。
年齢は六十台くらいか。
獣人を除けば全員がヨーロッパ風な外国人顔だから……いまいちよく分からんな。
俺達ペーペーとは違う材質の厚手の道着姿。
長年の努力の証か、襟や袖が擦れており、腰にはキツめに『黒帯』を締めている。
近くで見ると思ったほど筋骨隆々という感じではない。
ただ強者のオーラというか何というか、一人だけ出ている雰囲気が全然違う。
オールバックの黒髪に混じった白髪も、顔に刻まれたシワも。
日本のおじさんとは違い、一つ一つが迫力に繋がっている気がするぞ。
……ヤバイ。早速目をつけられたか?
いやでも型の稽古はそこそこきちんとやっていたし、実戦形式? の稽古だって始まったばかりだし……。
「どうした? ワシが相手になってやるから存分に打ち込んでこい」
「あ、いや、あのですね……」
「何を躊躇う必要がある。いくら『帯なし』でも技の一つはもう使えるだろう。ワシはこれでも記憶力がいい。お前の名こそ知らんが、【手刀】が使えるのは把握しておるぞ」
じりりと後退する俺に、じりりと前進しながら師範が言う。
……マジですか。俺の魂が入っちゃったコイツ(ベル)はちゃっかり技が使えるんですか。
稽古を拒否……は無理だな。
師範の感じや場の空気を見ても、とても断れる感じではない。
そもそも俺はイエスマンだからな。
嫌な仕事も休日出勤もサービス残業も。リアルガチで何一つ断れないブラックリーマンだったのだ。
なのでスーツが道着に変わろうと、世界や肉体が変わろうと、この情けない魂が変わらなければ同じである。
「…………。はい、お願いします」
と、いうわけで。半ば自暴自棄気味ではあるものの。
師範の申し出を受け入れて、俺は門弟の一人のベルとして拳を交えることになった。