第1話 異世界道場
「いや意味が分かりませんよ。意味プーとも言います。俺が俺じゃないとか……どういう状況ですかこれ?」
思わず口調が丁寧になってしまうほどの衝撃だった。
朝起きたら全く知らない場所で、鏡を見たら“本来の自分”ではない。
……だが、確実に自分自身である。
瞬きも呼吸も、腕の動きも表情も。全てが俺の意思通りに、鏡に映った“謎の銀髪男”は同じ動きをしていたのだから。
年齢は俺と同じか少し下くらいか? 外国人だからそこはいまいち分からんぞ。
「おい、何をボソボソ言ってんだ! さっさと顔洗っていくぞベル!」
「そうだぞ! 鏡の前で変なことしたって強くはならない。ただ稽古あるのみだ!」
「……あ、はい。ちょっと待ってくださいな」
と、後ろから二人がかりで急かされて。
相変わらず混乱中の俺は、とりあえず顔を洗い始める。
蛇口を捻り、やたら冷たい水でバシャバシャと強めに洗顔。
スッキリして顔を上げたら本来の自分に戻りました――なんてことはなく。
変わらず洋風で外国人のまま。
短い銀髪で肌も白い、育ちの良さそうな顔のヤツがいましたとさ。
……うん、これはアレだ。絶対に“異世界何ちゃら”のやつだ。
俺も通勤中に結構、ネット小説は読んでいるしな。
“月に二度ある休日”だってやることがなければ、愛飲するストロング缶片手に読み漁ったりもしている。
「ヤバイ、これから俺はどうなるんだ? 森の中に一人で、いきなり魔物と遭遇みたいなカオス展開よりはマシだけど――」
「おいベル! いい加減早くいくぞ!」
「もう顔は洗ったろ。本当に稽古に遅れちまうっての!」
「お、おう! 分かった行くから腕を引っ張るなって……!?」
まだ名も知らぬ二人に一斉に腕を引っ張られ、俺は慌てて自分の足で歩いてついていく。
とりあえず分かったことは一つ。
さっきからイケメン二人が連呼している通り、俺が“ベル”という人物だということだ。
顔はもちろん、体の方までそのベルのまま。
道着姿でもなぜか帯がないので、今さらながら露わになったままの腹を見てみれば、
運動不足でだらしないサラリーマンの腹ではなくて。
かなりいい感じに割れた、憧れのシックスパックになっている。
さらに、“その下”もついササッ、と確認してみれば、
本来の俺よりも幾分か立派な息子……いや、コレは男の尊厳に関わるからノータッチでいこう。
「…………、」
そんな全てが他人のまま、変な気分で長い廊下を歩く。
建物自体は木造で年季が入っているが、すきま風が入りそうなほどボロくはない。
むしろ隅々まできちんと掃除が行き届いていて、かなりキレイで清潔な環境だ。
また鏡と同じく、よく磨かれた窓に目を向けてみれば。
外は森なのか、緑の葉を蓄えた背の高い木々が遠くの方まで続いていた。
「(つうか、この格好に稽古って……。これ絶対、剣と魔法の世界の『魔法学校』とかじゃないよな?)」
人類の夢でもある魔法。
せっかく異世界転移(いや人が変わっているから異世界転生か?)したっぽいのに、まさかローブでも鎧でもなく道着を着るハメになるとは……。
何か読んでいたものとちょっと違うぞ神様?
そう思いながら、俺は二人のルームメイトらしき男達についていき、寮と思われる建物の階段を下りていく――。
◇
「何じゃこりゃぁああああ!?」
“それ”を見た瞬間、俺は思わず魂から声を上げてしまった。
だって……だってですよ皆さん。
いくら道着を着ていて稽古と言われても、ここは地球ではなく『異世界』なのだ。
なのに――道場である。
俺の目の前に現れたのは、紛うことなき道場である。
イケメン二人組の後ろをついていき、寮と思われる建物を出てすぐ。
森の中を百メートルも進むと、青空がのぞく広大な円形広場があり、
その中央に、ドドン! と木造の道場が存在していたのだ。
「しかも……ウソだろ?」
そして、その道場の存在以上に。
俺が驚かされた“一番の理由”は、何を隠そう道場にいた“人数”と“やっていた内容”だ。
広くて立派な、それこそ大河ドラマに使われても違和感ない木造の道場には。
全ての戸が開け放たれて心地よい風が通りそうなそこには、下手したら“千人”はいそうな大人数が、早くも体から熱気を帯びて動いていたのだ。
さらには彼らがやっていた内容。
俺達の格好からして、ロマン溢れる魔法ではないとは思っていた。
ただ異世界ゆえに、“剣”とか“槍”とか、そういう系の道場だと勝手に想像していたのだが……。
まさかの『体術』。
大人数の道着を着た異世界人(西洋人風)が、日本の空手道場みたいに。
基本の構えこそ個人差はあれど、同じ突きやら蹴りやらの型の稽古を行っていたのだ。
――ちなみに、聞こえてくる掛け声は“ワッショイ!”。
掛け声のおかしさはとりあえずスル―するとして、だ。
動きも声も、息ぴったりに大人数が一緒のことをやるのはなかなかの壮観な景色だぞ。
「うおぅ……」
もはや予想の遥か上、目の前に広がる衝撃がスゴすぎて。
ファンタジーの代名詞の一つ、犬とか猫とかの『獣人』がちらほら混ざっているのは……軽く流してしまうレベルだ。
「おいベル! 変な声を出したと思ったら何を固まってんだよ?」
「つうかこっちは始まっちまってるな。俺達も急ぐか!」
と、ここでイケメン金髪二人組が再び俺の腕を引っ張る。
……え? 稽古ってここでやるんじゃないのか?
そう戸惑いつつも、俺は二人についていって道場の“裏”へ。
「んあ? ここにもいるのか??」
道場の裏にすぐ見えたのは、同じく道着を着た“和洋折衷&獣”な異世界人達。
ただこっちはパッと見て百人ちょっとしかいない。
また他の道場らしき建物はなく、拓けた円形広場に全員が立っているだけ。
……うむ、こりゃもうダメだな。
さすがにそろそろ聞かないと混乱で頭がパンクするぞ。
意を決した俺は、彼らに合流しようとする二人を止めて――単刀直入に聞いてみた。
「揃いも揃って道着姿で道場で……。ここは一体、リアルガチで何なんだ?」と。
対して、二人は似たようなイケメン顔にシワを寄せて、何言ってんだコイツ? みたいな顔をするも、
「やっぱり頭でも打ったか」
「いやまだ寝ボケてんじゃないのか?」と口を開いてから。
今度は打って変って、なぜか胸を張って自信たっぷりにこう言った。
「いくつもの山々を越え、秘境のさらに奥にある俺達の『総本山』!」
「泣く子も黙る『魔体流』――その由緒正しき『森の道場』だろうが!」
……いやいや、こちとら知識ゼロの異世界人、当り前のように言われてもね。
というか異世界と言ったら華麗な剣と神々しい魔法――こんな汗臭い場所と原始的な技ではないでしょうに!
これも社畜、ブラックリーマンの悲しき性だろうか。
彼ら二人とは違って自分の思いを言えず、俺は心の中でそう叫ぶだけだった。