秋の香り、途絶えて
日下部良介さま主催「秋の夜長の歌会」参加作品です。
栗飯や
香り途絶えて
君消えて
「お義母さんに、断っておいて」
忙しなくパンプスに足を入れながら
そう言い残した君
小さなアパートの窮屈な玄関
キッチン窓から散りばめられた、一日の始まりを告げる光たち
閉められたドアの音を境に静寂が広がる
婚約期間が長引き過ぎた俺たちの
唯一の共同作業が
幕を閉じた瞬間だった
「もう本当に終わんないんだけど!」
そう言いながらも楽しそうだったのは確か、同棲して初めての秋
彼女の手には硬い鬼皮に包まれた栗と包丁
そう、有り余る程の栗が、田舎にいる俺の母親から送られてきたのだ
思わず俺も不器用ながらに手伝っていた
「みんな本当にこんなに苦労してるの?」
気づいた時には遅かった
調べてみると、栗の皮剥きにもいろんな裏技があるらしい
すでに綺麗な薄黄色になっている栗の小山を前にして
苦労し終えた二人は目を合わせて笑った
あれから毎年二人で作業をして
栗ご飯を炊いた
「いい香り」
蓋を開け、出来上がったものに微笑む君を
俺はいつの時期からか
無下にしてしまっていたんだ
「もうすぐ栗送るってさ、ちょっと面倒くさいよなぁ」
今朝、何気なく放ってしまった言葉が
ここ数ヶ月、彼女が耐え忍んできた何かを
崩してしまったのだろう
「私も忙しくなってきたし、今年はもういいんじゃない?」
大ぶりなフープ型のピアスをつけながら
鏡に向かって俺に話しかける君
「お義母さんに、断っておいて」
あの言葉から数日後に
この家から去ってしまった君を
今年もまた秋の夜長に思い出す
湯気に包まれて微笑む君
途絶えてしまった秋の香り