第3話
背後から襲いかかって来る、濃密に殺気に慌てて振り返るが、
ドグシャ
間に合わなかった。
見計らったようなタイミングで、オレの顔面に何か固いモノがクリーンヒットした。
こ、これは、ナイロン100%の感触、おそらく、そう……スクールバッグあたりだろう。
バタッ
余りの衝撃に、その場でダウンしてしまう。
「火野華から離れなさいっ!!このヘンタイがっ!!」
「し、しぐっち!?」
こ、この声、おいおい、今日は厄日かよ?
なぜ朝からお前に遭遇してしまうんだ。
慈 時雨よ。
彼女はオレのクラスメイトであり、火野華の友人らしき、女子生徒である。
らしき、と断言できないのは、二人のキャラが全くの真逆なので、もしかしたらオレの勘違いかもしれないという思いがあったからだ。
なんせいつもニコニコしている火野華と違って、時雨は常に眉間にシワを寄せているのだから。……こっそり小不動明王と呼んでいるのは、オレだけの秘密である。
「……大丈夫だった……」
「……ああ、うん、これは……」
さて、本当に二人が友人だと仮定すると、きっと今のは友人が襲われてると思って必死の思いで投げつけたんだろうな。
小学生と言われてもまったく違和感のない童顔と、140cmぽっちの小柄な体で、数メートルの距離からよくクリーンヒットさせられたものだと感心する。褒めてつかわそう。
通学途中の生徒たちが、関わり合いになりたくないとばかりに、足早に去っていくのが見えた。
そう、あれが普通のリアクション。誰だってギシンには関わりたくない。なのにお前はそうしなかった。その姿勢は殺伐とした現代においては万金にも値する。
だから、なんかポツポツと赤い鮮血が滴っている気がするが、全く気にならない。
平常心、平常心。
心の中でそう唱えると、オレは深呼吸して上半身だけ起き上がらせる。そして目を閉じながら鼻元に人差し指をあてがう。
ドロリ
血のぬくもりを感じた。
きっと火野華なら時雨に上手く説明してくれる。
ならオレは誤解が解けるのをじっと待つだけだ。
二人を見るのはその後にしよう。
「……だから……違って……」
「……でも!!……化け物!!……」
だけど、話がちっともまとまる気配が無い。
と、いうか聞こえてくるのはほとんどが時雨の怒声と罵声だ。
おいおい、朝からホントに勘弁してくれよ。
「消しちゃうぞ……」
ドクンッ!!!!
ほんの冗談のつもりでそう呟いただけなのに、瞼の裏が急速に熱を帯び出した。
いやいやいやいや、今のは違う違う、落ち着け落ち着け。
慌てて瞼の上から目を押さえつける。
しばらくそうしていると、段々と熱が冷めていき体温と変わらなくなっていく。
あーっ、危なかった
オレ、こんなにキレやすかったっけ?カルシウム足りてないのか?
とにかくこのままじゃラチが明かないと判断し、オレは目をきつく閉じながら心からの爽やかスマイル(当社比120%)で時雨のいるらしい方向へ微笑みかける。
「ハハッ、朝からずいぶんな挨拶だな時雨。鞄を投げつけるなんて、海外のドッキリのつもりか?」
「うるさい。火野華に近づくな。キモイ、しね。それになに私の下着見てニヤついてんだよ。キモすぎる。しねよ」
うん?キモイ?○ね?
それに……下着?何言ってんだコイツ?
……ま、まさか、まさか、お前は……
オレがパンツを覗いてると勘違いしているのかっ!?
な、なぜそんな勘違いが出来る!?
どんだけ自意識過剰なんだよっ!?
それにオレには幼女趣味はねぇぇんだよぅぅぅっ!!!!
……………たぶんな。
だ、だが、もし万が一そういう勘違いが起きる可能性があるとすれば、今の体勢かっ?
もしかしたらオレは今、お前のスカートの中を覗き込むような、きわどい体勢でぶっ倒れてるのか!?確かにお前ワ○メちゃんみたいにスカート短いしな…………それで鼻血出しながら微笑えみかけたもんだから、より変態性がましましで……
お、おい、なんてことだ、も、もしそうだとしたら、これは……これは……
これは一本とられたな、ハハハのハ。
オレは本当に胸がすくような思いがした。
でも、まぁ、これくらいはっきりしてくれている方がありがたい。
火野華のように悩む必要がないからな。
今後はお互い廊下ですれ違っても、挨拶もしない目も合わせない、適切な距離感でやっていこうぜ。うん、時雨は分かりやすくていいヤツだ。ハハハ。
そうして自分を納得させようとしたところで、ふと疑問が湧く。
……果たして誤解されたままでいいのだろうか、と。
なんせ冤罪だし、それに一応、ほら、ギシンっていうのは滅私奉公の紳士で通ってるからな。オレのせいで他の兄妹たちの評判まで下げるわけにはいかねぇってばよ。
そう判断してオレは口を開く。
「悪い。あんまりガキっぽい下着だったから、思わず笑っちまったんだ。お前も一応は高校生なんだから、せめて下着くらいはもう少し大人っぽくした方がいいぞ。黒とか赤とかな。なんならオレが選んでやろうか?」
思ってることとは真逆の言葉が口からついて出た。
ふぅ、どうやらオレもまだまだ功夫が足りないようだ。
「なっ!!?」
予期せぬ反撃の言葉に時雨が面食らっているのが分かった。
よし、これで今日は手打ちにしておいてやる。
一体どんな間抜け面が拝めるものやら。
そう思って立ち上がり、目をそっと開ける。
まず最初に視界に映ったのは時雨ではなく、火野華だった。
彼女は、オレに向けてハンカチを差し出してくれていた。
なんだろう。これで拭け、という事だろうか。
まあ、断る理由もないし遠慮なく使わせてもらうとしよう。
オレは火野華からハンカチを受け取ると、自分の鼻元にあてがう。
だけど何かおかしい。違和感がある。なんだこれ?
「仁……確かにしぐっちは良くなかった。でも、今のもよくない。わたし、ちょっとだけ、悲しいよ」
そうか、これが違和感の正体か。
火野華が笑ってない。
実に悲し気な表情でオレを見つめていた。
そしてそれに気づいたオレの感想は、なんとも間抜けなものだった。
(コイツ、こういう表情もするんだな)
普通に考えれば当たり前だ。誰だって笑顔だけで暮らしてはいけない。
それに今はこんなご時世なのだからなおさらだろう。
そんな同級生の顔を見たからだろうか。
気付いたら頭を下げていた。
「悪かった。鞄をぶつけられて少し意地になっちまった。おい時雨、今のは全部ウソだ。オレはずっと目を閉じてたから下着なんて見ようがない。まあ、信じるか、信じないか、はお前次第だがな」
それだけ言うと、オレは二人に背を向けて足早に立ち去ろうとする。
単純に謝罪したことが気恥ずかしかったのもあるし、鼻血面を見られ続けるのも抵抗があった。
でも、きっとそれ以上に照れくさいことが起きる予感がしたから。
そして数歩進んだところで、予感が的中する。
「ありがと。わたし仁のそういう素直なところが好きだよ!!」
臆面もなくそういう事を言うな。
まったく、お前との付き合い方だけは本当に分からん。
……あ、でも分かることはあるな。
それだけは自信を持って言える。
うん、きっと、そうだろう。
オレの知ってる火野華なら、今はもう、いつも通りの笑顔に戻っているはずだ。