第13食
あのお店を出た後、どこをどう歩いたのかよく覚えていない。
気が付くと、わたしは市内を流れる川沿いに設置されたベンチの上で、ヨーコちゃんと肩を並べて座っていた。
「……ねぇメイ、本当に大丈夫? まだこの時間だったらお医者さんも開いてるけど……」
ヨーコちゃんが心配そうにわたしに問いかけてくる。
……そうか、わたしがお願いしたんだっけ……
「ううん、大丈夫。ただ、もうちょっとだけ、ここで風に当たらせて……」
「……我慢出来なくなったらすぐに言ってね」
そう言うとヨーコちゃんはもう干渉しない、とばかりに腕を組んで黙り込んだ。
正直、そういう態度はとても助かった。
とにかく今はそっとしておいて欲しかったから。
―――それにしてもさっきの痛みは何だったんだろう?
さっきまで息を吸うのも苦しいくらい胸がズキズキ痛んでいた。
けど、いつの間にか痛みは引いて、今はもうスッキリしている。
代わりに、喉の奥が燃えるように熱くなっていた。
内側から炎で炙られてるんじゃないかってくらい、熱い。
ショックで自律神経がやられちゃったのかな……
でも、仕方がないよ、だって、あんな……
…………ふぁぼ♥ふぁぼ♥シスターズの事をあんな風に言われちゃったら………
ズキン
なんだか、また胸まで痛みだしてきた。
……やめやめっ!!
もう忘れようっ!!
それよりも、とにかく今はこの体の火照りをどうにかしたい。
きっと夜風に当たって涼めば、良くなるに違いないわ。
そう信じて、わたしは時折頬をなでる優しい風に身を任せる。
視線の先の対岸には、横浜の夜景が広がっていた。
様々なビルの明かりによって彩られる夜の街。
そこだけ宝石を散りばめたみたいにキラキラと輝いていて、思わずため息が漏れてしまうほどキレイだった。
でも、その美しい輝きを、わたしはどうしても好きにはなれなかった。
だって、あの光はただの光じゃなくて……
家庭だったり仕事だったり、そういった人々の生活と密接に結びついている光なんだもの。
そんがこんな時代に、これだけ瞬けるのはヨーコちゃんのおかげ。
ヨーコちゃんがこの街に居て、ここから世界を守ってるから。
だから輝ける。
救世の乙女と呼ばれるヨーコちゃんの活躍の証明、それがすなわちこの光なんだ。
そう思うと……なんだか単純にキレイ、って思えなくなってしまう。
比較して自分の立場を考えちゃうから。
ほとんどやっかみだけど、わたしはそう感じてしまっていた。
―――それにしても不思議ね。
今まではそう感じることに、罪悪感があった。
けど、今はすんなりと、そう思う自分を受け入れられている。
ちょっとだけ、自分の気持ちに素直になれている?
でも、こんな風に考えちゃいけないわ。ヨーコちゃんはわたしの大好きなお姉ちゃんなんだから。
止めよう。これきっとよくない。
―――でも、いつまで続くの?
―――わたしが本当に望んでいるのはこんな生活なの?
もう、止めたいのに、心の声が鳴り響いて止まらない。
―――わたしは一生このまま
ああ、もうっ!! うるさいうるさいっ!!
きっと体調が悪いから、こんなことを考えてしまうんだ。
「ヨーコちゃん、わたしね」
わたしは気を紛らすために、いつもの調子でヨーコちゃんに話しかけてみる。
そして、すぐに後悔する。
「……すぅーすぅー」
隣に座るヨーコちゃんは、いつの間にかこっくりこっくり船を漕いでいた。
その安らかな寝顔を見て、わたしはようやく今日一日の自分の失態を理解する。
また、やってしまった。
なんでわたしはこうなんだ。
ヨーコちゃんはいつも夜遅くまで、世界のためにみんなのために戦っているのよ?
なんで気づかなかったの?
疲れてないワケないじゃない。
それなのに、今日一日、わたしは自分の欲望の赴くまま、ヨーコちゃんを振り回してしまった。
ヨーコちゃんの性格は知っていたはずなのに。
わたしをトコトン甘やかしてくれる、優しいお姉ちゃんだって知っていたのに。
嫌な顔一つせず、疲れた素振りなんて全く見せない、そんなこと分かりきっていたはずなのに。
『もう足がパンパン、歩けない』
それなのにわたしは最後の最後まで、自分のことしか考えていなかった。
自分の足の疲ればっかり気にして、ヨーコちゃんのことなんて微塵も気にかけてなかった。
ああ、もうヤダ。
わたしってなんでこんなにダメ人間なの?
嫉妬深くて、自己中で、思慮が浅くて、小さくて
存在する価値なんて、あるの?
「……うっ、う、ぅぅ」
世界を救う姉と、子供向けアニメにハマってその姉を振り回す妹。
余りの立場の違いに、自分が惨めすぎて、もうこのままどこかに消えてしまいたくなる。
わたしの事を誰も知らない世界にいけば、この苦しみからは解放されるかな……
だったら、もういっそこのまま―――
目の前には、穏やかだけど底が見えない暗い川が流れている。
わたしはその流れに身を委ねようと、フラフラと頭を揺らしながら立ち上がろうとする。
けど―――
ポフッ
「……泣かないでいいよ。ゴメンね。寝ちゃって」
その前にヨーコちゃんが頭を撫でてくれていた。
慈愛に満ちた優しい声。
全てを許す福音の音色。
わたしの全てを肯定してくれる絶対の許し。
今まではこの声にすがって生きてきた。
だけど、だけど、
わたしはヨーコちゃんの手を振り払う。
「えっ?」
驚いたヨーコちゃんの顔を、まっすぐに見れない。
しでかしてしまった事の重大さに、肩が震える。
「……なんで、なんでよ」
けれども、もう―――
「なんで、なんで、そんなに優しいのよ!?」
わたしの弱い心は、もう、この宙ぶらりんの状態に、耐えられなかった。
「おかしいでしょ!? わたしはあなたの足を引っ張る事しかできない人間なのよ!? 神威にも目覚めていない価値のない存在なのよっ!? 今日もヨーコちゃんを振り回して、疲れさせて、心配させて、それなのに最後の最後まで自分の事しか考えてなかった自己中な妹なのよ!? なのになんでそんななのよっ!? 力がないわたしを憐れんでるの? 惨めな存在だから気をつかってるのっ!? それとも……慕ってくれる都合のいいペットでも欲しかったの!? 昔っから疑問だった、なんで、なんで、ヨーコちゃんはいつもわたしに優しくして、特別扱いしてくれるのよっ!!?」
風が吹いた。
途中わたしの意思をはらんだのか、二人の間を隔てるように吹きぬけていった風は、震えるほど冷たかった。
「…………ど、どうしたの、メイ? 何かあったの?」
「何かあったの? じゃないわよっ!? なんでこれだけ一緒にいてわたしの気持ちに気づかないのよ!? もういい加減うんざりなのよっ!! こんな生活っ!! ヨーコちゃんの活躍を毎日見せつけられるだけの生活っ!! 力が無くてただ飼い殺されているだけの生活っ!! ずっとずっと、先が見えなくて、苦しかったのよっっ!! 神威に目覚める気配がない自分自身!! こんな役立たずな自分が大事にされているのが、なにより居心地悪くて、気持ち悪かったのよっ!!」
「…な、何を…メ……メイは、自分が目覚めていないことを、そ、そんなに気にして」
「当たり前でしょっ!! わたしがいつも、どんな思いでいるか、どんな惨めな気持ちで毎日を過ごしているか、ヨーコちゃんみたいな人にはきっと一生分からないわよっ!! 朝から晩まで劣等感に苛まれて、それでもニコニコ笑ってなきゃいけない、そんなザコの気持ちなんて想像出来ないでしょ!!? 出来っこないわよっ!!! 救世の乙女なんて呼ばれてチヤホヤされているヨーコちゃんなんかにはっ!!」
ヨーコちゃんに向かって声を荒げている、そんな自分が信じられなかった。
けど、止められない。
ため込んでいた感情は、噴き出すマグマみたいに抑えようがなかった。
でも、頭のどこかで、わたしはいつかこんな時が来るんじゃないかってことを、予感はしていた。
だって、わたしはわたしが弱い人間だってことを、知ってたから。
……きっと、これでヨーコちゃんとの生活はおしまい。
これからは、またあの辛いだけの施設での生活が待っている。
けど、生まれて初めて、自分の意思でヨーコちゃんに反抗した。
そのちっちゃな達成感で、わたしの小さな胸は満たされていた。
本当に矮小な存在だったんだな、わたしって。
笑っちゃうくらいに小さい。
でもいいの。これがわたしなんだから。
今までありがとうヨーコちゃん。そしてさようなら―――




