第9食
「メイ~、そんなに慌てなくたって、売り切れたりしないから大丈夫だよ~」
ヨーコちゃんは足取りと同じく、口調までゆったりのんびりしていた。
ヨーコちゃんは有名人だから変装用のキャップにサングラス、マスクまでしていたけど、おそらくその下の顔は朗らかに微笑んでいるに違いなかった。
……冗談じゃないわ
そんなのんびりしてられないのよっ!! いくらヨーコちゃんだからってそこは譲れない。お願いだからもっと真剣になってっ!!
わたしは心の中で叫ぶっっ!!
「ヨーコちゃんは知らないのっ!? 昨日のあのローカル放送を見てふぁぼ♥ふぁぼ♥シスターズの素晴らしさに気づいた人がこの街だけで数百万、いえ、もっとたくさんいるのよっ!? 間違いなく今日、この街は激戦区と化しているはずだわっ!!」
「え、えーっと、そ、そんな人口多かったっけ、ココ? それより前見て歩かないと危な」
「うわあー!!」
「……言ってるそばから転んでる……」
「イテテテ、ひ、ひぃぃぃ!! ひひひ膝からちちち血がっ!!?」
転んだ拍子に擦りむいたのか、わたしのひざ小僧からは真っ赤な血が吹き出していた。
……ああ、血が、血よっ!!
その原色そのものの赤を目にした瞬間、目まいがわたしを襲う。
……そういえば昨日も鼻血を出したわね……最近出血が多い気がする……もしかしてわたし……このまま毎日なにかしらで血を流して、そのうち出血多量で死ぬんじゃない??
……なんて深刻に考えてしまう……ちょっと大げさかな?
「大げさだよ。これくらいなら絆創膏で事足りるって」
ヨーコちゃんはわたしの思考を読んだのかのような合いの手を入れ、落ち着いた様子でバッグから救急セットを取り出し、かがみ込む。
なんて準備がいいのかしら、さすがヨーコちゃん!!
「メイなら絶対、何かやらかすと思ったからね。ちょっとしみるよ」
またもや思考を読まれてしまい、わたしの膝頭に消毒液で湿らせたガーゼが優しくあてがわれる。
確かに宣言通り、消毒液はちょっとだけしみた。
けど、ヨーコちゃんの手からは、本物のお医者さんでも出せない愛が伝わってきた。痛みなんてその瞬間、吹き飛んでしまう。
……こんなこと思うのは、よくないことかもしれないけど……
転んでラッキー!! わたしはその時、ちょっとだけそう思っていた。
「ホラッ、終わったよ」
気づくと、わたしの膝は、膝頭が隠れるくらい大きな絆創膏に覆われていた。その中央に、見えるか見えないか程度のちっちゃ~な赤い斑点が浮き出ている。
あ、れ、こんなモノ? ちょ、ちょっとリアクションがオーバーだったかな?
「立てる?」
ヨーコちゃんに優しい口調でそう問いかけられる。
もちろん、わたしの答えは決まっている。
「ううん、ムリ!!」
そうして大好きなお姉ちゃんの腕にしがみつく!!
「……やれやれ、まったくしょうのない妹だ」
ヨーコちゃんは口ではそう言って呆れてたけど、本心は違うことがわたしには分かってしまう。
だって掴みやすいように、肘を曲げてくれたから。
「ありがとうヨーコちゃん。ふぁぼ♥」
「えっ? なぁに?」
「なんでもないよっ♥ それより早くいかなきゃ売り切れちゃうって!!」
「はいはい。大丈夫だからちょっと落ち着こうね。そんなんじゃ次の検診の時に、また血圧高いって言われちゃうよ?」
「血圧くらい別にいーもん」
ヨーコちゃんは、さっきまでわたしが受けていた検診の話を持ち出してきた。
どこも体が悪くないのに、ヨーコちゃんと一緒に暮らす条件として、わたしは週に一度、お医者さんの検診を受けなきゃいけないことになっていた。
きっとギシン同士がいっしょに暮らすことで、わたしの体に何か変化が起きてないかを調べているのだと思う。
もちろんその一番の関心は≪神威≫に目覚めたか、どうか、だと思うけど……
検査中は服を脱がされたり、たまに棒を突っ込まれたりして、顔をしかめちゃうこともある。けど、お医者さんはヨボヨボのおじいちゃんだから気も使わないし、ヨーコちゃんとの楽しい毎日を過ごすためならこの程度の検査、別に苦でもなんでもなかった。
―――あの施設での生活に比べたら、ホントに笑っちゃうくらいの緩さだし。
それに、いつもは厳しいだけが取り柄のセツコさんが付き添いだけど、今日はオフのヨーコちゃんが付き添ってくれている。
それだけでも超絶ラッキーなのに、さらに今日はもっともっと嬉しいイベントが待っている。
ヨーコちゃんは朝、わたしに約束してくれたのだっ!!
「最近あまりかまってあげれなかったから、今日の帰りになんでも欲しい物をプレゼントしてあげるよ」
そう聞かれたわたしの答えはもちろん決まっていた。決まりきっていた。
「なら、ふぁぼ♥ふぁぼ♥シスターズのDVD全巻セットを買って!!」
さっきお医者さんが「血圧高い」って驚いていたのは、わたしの心が高ぶりまくって、心臓がドキドキしすぎていたせいなのかもしれない、ううん、そうに決まってる。
「ねぇ、買い物終わったら観覧車乗ろうねっ!!」
「ああ、もちろんいいよ」
この胸の高鳴りがずっとずっと続くと、この時のわたしは信じて疑わなかった。
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けど
そんな興奮は長くは続かなかった。
だって
「ふぁぼ♥ふぁぼ♥シスターズのDVD? そんなモン置いてあるわけないだろ。冷やかしなら帰ってくれ」
「…………へっ?」
駅を出て少し歩いたところにあるホテルの中、ヨーコちゃんと訪れた中古アニメショップで、禿げ上がったコワモテの店員にわたしはそう告げられていた。
「そんなモン? いや、だから出してよ。あるでしょ?ふぁぼ♥ふぁぼ♥シスターズのDVD、わたし知ってるんだから」
「何を知ってるのか知らねぇがよぉ、ねぇモンはねぇんだよ」
「も、もしかして売り切れちゃったとか?」
「知らねぇよ、とにかくねぇモンはねぇんだ。いい加減分かれよ」
接客をお仕事にしてるとは到底思えないほど、乱暴な言葉遣い&適当な応対の店員だった。し、信じらない、いろんな意味で。
「な、なんで? だってふぁぼ♥ふぁぼ♥シスターズよ? あんなに面白くて、可愛くって、尊くて、素晴らしい作品を置いてないなんて、そんなことあるわけないじゃない!! この店、おかしいんじゃないの!?」
「あぁん!? 今、何つったよ!? オレの店をバカにしてんのか!? このガキッ!?」
店員が顔を真っ赤にして睨みつけてきた。けど、恐怖なんて感じなかった。むしろふぁぼ♥ふぁぼ♥シスターズを置いてない致命的にセンスのないこの店と、ゆでタコみたいな顔の店員さんを、わたしはその時、憐れんですらいた。
「メイ、無いならしょうがないよ。あまり店員さんを困らせないで」
ヨーコちゃんに肩を叩かれたので、わたしはしぶしぶと退散することにする。
けど、だんだんと腹が立ってきて、最後に文句の一つでも言ってやろうと思い、出口付近でガバッと後ろを振り返る。
「あ、あれ?」
だけど不思議なことに、あのコワモテの店員さんはすでに奥に引っ込んでしまったのか、その姿はどこにも見当たらなかった。
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「ねぇヨーコちゃん、ホントにさっきのお店が横浜一の品ぞろえのお店なのっ?? 全っ然、信じらんないんだけど!?」
わたしはジト目になって、ヨーコちゃんに疑いの眼差しを向ける。
「う、う~ん、一応、アニメ好きの知り合いに聞いてみたんだけどなぁ? まぁ、他にも数件あるみたいだから、そっちを見て回ろうか?」
「モチロンよ!! ぜったいに聖典をこの手にして帰るんだからっ!!!」
「せ、聖典??」
わたしの発言に疑問符を浮かべているヨーコちゃんを置いて、わたしはずんずん進む。
……さっき、ヨーコちゃんがもうちょっと早く歩いてくれてれば、もしかしたらあったかもしれない……
そんなイヤな考えが、ちょっとだけ頭をよぎってしまっていた。
ヨーコちゃんは、わたしのために買い物に付き合ってくれているのに……
だからヨーコちゃんと距離を取って落ち着かなきゃいけない、そう思った。
けれど
「メイッ!!」
ヨーコちゃんは慌てた様子で追いすがってきて、わたしの腕を掴んでくる。
もう、せっかく人が落ち着こうとしているのに、何なのよ?
思わず声を荒げそうになってしまった瞬間、
「そっちじゃなくて、こっちだよ」
「あっ」
ヨーコちゃんが指さす先は、わたしの進路とは真逆の方向だった。
その時、わたしは、自分が道理も道順も知らない子供だという事を、改めて痛感させられていた。
「……ごめん、ヨーコちゃん」
「なにが? さっ、はぐれないように手を繋いで行こうか」
ヨーコちゃんは気を悪くした様子もなく、わたしの手を取り、優しく握ってくれた。
…………ありがとう、ヨーコちゃん
お礼は恥ずかしくて口には出して言えそうになかったから、ギュッと握り返して、わたしの気持ちを伝えてみる。
伝わったかな?
ギュッ
あっ、今、ヨーコちゃんも
横を見上げるとヨーコちゃんがわたしを見つめていた。
サングラスとマスクに遮られて見えなかったけど、わたしには分かった。
いつものカッコかわいいヨーコちゃんの笑顔が、わたしの一番大好きな笑顔が、そこにある事を。
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