第3節
約束通り預言者はできる限りのことをしてくれていた。
一つは終末獣に関する予言が記された書、《終劇の予言書》を遺してくれたこと。
そこには今後現れる終末獣の種類、出現場所、日時などが全て網羅されており、これによって人類は安息のうちに眠れる日と、恐怖に打ち震える日をより分けることが出来るようになった。
もう一つは終末獣に対抗するための力を授けてくれたこと。
だが、力といっても別に強力な武器などを与えたわけではない。
彼女が与えたのは冷凍凍結された自分の卵子。
おそらく、彼女は大分前からこれが必要になる事を予見、いや予言していたのだろう。
「ご存知のとおり、私は少し特別な力をもっています。
もしかすると私の血を引く者の中にも、同じような力を持つ者が現れるかもしれません。
それは私ですら視ることのできない可能性。
ですが、人類が生き残れるかどうかはその可能性にかかっています。
どうか、私の子供たちに、人類の未来を託してください」
断りもなく子供にそんな使命を背負わせといて、自分はさっさと逝くなど無責任な親としては究極系だと思うが、もちろんそんな人道主義を振りかざす者などいなかった。
そして提供された卵子から生まれた子供たちはすくすくと成長し、
やがて、死村慈恩の言葉どおり不思議な力を顕現させていく。
その数12名。
彼らは人類存亡の要として大事に大事に調教……育てられていき、やがて神をなぞらえた存在、ギシン(擬神)と呼ばれるようになる。
そして終末獣との戦いの最前線には、いつも勇敢に立ち向かうギシンたちの姿があったとさ……。
―――いや、本当はいつもブルってるんだけどね。
そろそろオレの事も記しておこう。
この手記を書いているオレの名は
死村 仁
人類を守るために生み出された、ギシンの内の一体。
生まれた時から終末獣と戦う事を義務付けられた、世界で最も運のない子供の一人だ。
オレは最近つねづねこう思っている。
この世界で戦うことに意味なんてあるのかな?、と。
なんせオレが必死に戦ったからって、戦況が大きく変わるわけでもない。
ギシン一体でカバーできる地域なんて、せいぜい一都市程度が関の山だし、それにたとえすべての終末獣を退けたとしても、環境が悪化した世界が描きだすのは、緩やかな終焉までの下降線だけだ。
何の意味があるんだ?何のためなんだ?
思春期まっただ中の頭には、いつもそのフレーズがこだましている。
でも、まあ
齢16にもなれば社会で生きていくルールくらい分かっている。
そしてそれに従わなければならないという事も知っている。
つまり
働かざる者食うべからず、金言だ。
結果が見えているサッカーの試合でも、一生懸命走り回らなければ観客の心証は悪いだろう。
ギシンの戦いだってきっとそれと同じことだ。
だからオレは人類に与えられた最後のロスタイムが終わるまで、世間様に後ろ指さされないように戦う。そうやってこともなく暮らしていく。
オレはそんなにガマン強い方ではないのだが、大丈夫、なんの心配もしていない。
なぜなら、これは短い人生経験の中で得た数少ない真理の一つなのだが、
ロスタイムは短いものだと相場は決まっている。