第13話
「おっ、もうこんな時間か」
何気なく卓上時計を見ると、時刻はすでに夜の11時半だった。
一日がすでに終わろうとしているが、オレにとってはこれからが本番だ。
なんだかワクワクしてきたっぞ!!
「よし、とりあえず準備に取り掛かろう」
と、いっても別段準備することもない。なんせテレビをつけるだけでいいのだ。
リモコンの電池でも確認しておこうかな。
……いや、そうだな、徒手ではこころもとないかもしれない。
そういうわけで、オレは兵糧を調達しに台所へと向かった。
「うわっ、ま、まだ起きてたの?」
途中、洗面所から出てきた織江さんとばったり出くわす。品のいい桃色のパジャマを着ており、顔は化粧水でも塗っているのかテカテカと光沢を放っていた。
一か月間一緒に暮らしているが、こういう気の抜けた姿を見るのは初めてのことだった。エロスは感じなかったがジッと見ていると、
「ちょ、ちょっと恥ずかしいから、あんまりジロジロ見ないでよ!!」
顔を紅くしながら抗議の声を上げられてしまう。
ああ、口調が素に戻ってますよ、織江さん。
実を言うと、織江さんはオレの母親役としてはちょっとだけミスキャストだと思っている。
何しろ年齢が若すぎるのだ。
年の離れた姉弟でも通用する年齢なんじゃないだろうか。
だから気の張っている日中ならともかく、今のようなふとした瞬間に年相応の年齢に戻ってしまう時がある。
だからといって、織江さんが母親っぽくないかというと、そんなことはなく、息子を思いやった細かい気配りや、耳にイタイ小言などは実に母性に溢れているし、源蔵さんと卓を囲んでいるときなど本当の夫婦かと見紛うほどに上手く―――演じている。
まあ、こんな異常な環境なんだから、多少のミスは仕方がないだろう。完全に適応できる方がどうかしてる。期間限定の家族ごっこではあるが、当面はうかつな息子を演じてやることにするか。
「ああ、なんだ織江さんか。化粧落としてるから誰か分からなかったよ。っていうかいつも化粧してたんだね。まったく気づかなかった、ハハハハ」
「おほほほ…………ちょっと――それ――どういう意味かしら???」
笑いながら怒りを表現できるなんて、織江さんやっぱり只者じゃないですね。
意外におっかなかったので、オレはちょっとだけ今の失言を後悔する。
だが織江さんはすぐに冗談だと気づいてくれたようで、
「はぁ~、全く、そういう事を外で言っちゃダメよ。嫌われちゃうんだからね」
実に母親らしい小言を言ってきた。
「へいへい、気をつけますよ」
なんとか親子っぽい雰囲気を取り戻すことに成功した。めでたしめでたし、だな。
「それよりまだ寝ないの?」
「ああ……課題があって」
「そう、ムリしないでね。昨日も遅かったみたいだし」
「了解、それじゃおやすみなさい」
「ええ、おやすみなさい」
とっさに課題と言ってしまったが別にウソは言っていない。
英語の課題がたんまりと出ているのだ。
―――ただやるのは今日ではなく明日だがなっ!!
少しばかりの罪悪感を抱きながら、オレは台所でコーヒーと乾物をゲットする。
よしよし、あとはコイツをお盆に載せてだな、
ん、あれ、お盆、どこいった?
いつもの定位置にお盆が置いてなかった。
おいおい、頼むぜ織江さん。
仕方なくお盆を求めてキッチンのみならず、リビング中を探し回るハメになる。
だが、一向に見つからない。
何か大いなる意志がオレが夜更かしすることを阻止しようとしている、そんな陰謀すら感じてしまう。
……あほくさ。
別にお盆がなくてもコーヒーは運べる。オレは両手に戦利品を抱えてリビングを後にしようとする。
そして電話機の脇にさしかかった時、ふいにさきほどの出来事を思い出す。
……そう言えばあの電話は結局誰からだったんだろうか?
ギシンのことを友達と呼ぶ人物からの連絡。
火野華ではなかった。
それ以外にオレに友達なんて呼べそうな人物はいないし、オレの事をそう思っている人物ももちろんいないだろう。
だから電話をかけてきた人物はウソつきで、あれはイタズラだった、という結論になった。
別に何らおかしくない推論だと思う。
だがもし万が一、
そうじゃなかったとしたら。
その時、小骨が喉に刺さったような違和感が生じてしまう。
……まぁ、まだ少し時間はあるしな。
オレはちょっとだけ、考えてみることにした。
イタズラ目的ではなかったと仮定して、
えーっと、自称オレの友達くんは何と言っていたんだっけ?
たしか、オレに話したいことがある、と言ってたな。
話したいことの内容は不明だ。
だがイタズラ目的でなく、先ほどの時間にかけてきたいうことは、それは―――
……今日の夜にどうしても伝えなければならない程、急ぎの用件だったということになる。
大した用事じゃなかったら、別に明日の朝でもいいわけだしな。
つまりオレに伝えたい内容と言うのは、明日までの数時間すら待てないほど火急の用件だったということだ。
おいおい、マジかよ。
今、ちょっとだけ胃がキュッとしたぞ?
……もう少しだけ考えてみよう。
ギシンであるオレの住居や連絡先はもちろん公表されていない。
死村慈恩の血縁者であるギシンを逆恨みする人間なんて、この世界にごまんといる。
ソイツらがヤケを起こして襲撃してこないとも限らない。
だからオレとコンタクトを取る方法は限られている。
学校で話しかけるか、ストーキングして家まで乗り込んでくるか、連絡先を知っている人にわたりをつけてもらうかだ。
自称オレの友達くんは、三番目を選んだ。
財団が運営している駐在所に頼んで連絡をしてもらったんだ。
だけど駐在所は電話の交換所じゃない。
そんな雑用をおいそれとやってくれるとは思えない。
そもそも得体の知れない人物の要望を受け入れる訳がない。
そうか、そういう事か。
ようやく合点がいく。
だから友達なんて言ったんだな。
駐在員ならギシンの友人と名乗る人物を、さすがに無下には出来ないだろう。
後でオレにチクられでもしたら、どんなお咎めがあるか分かったもんじゃない。
だから、まず確認の電話をしてきたんだ。
「これこれこういう人物はお宅のギシンさんの友人ですか?」と。
自称オレの友達くんの目論見は、途中までは成功していたのだ。
だが、肝心のオレがその真意に気付いてあげれなかったため頓挫してしまった訳ということになる。
そこまで考えて、オレはその自称友達くんの正体が、なんとなく分かってしまった。
簡単な消去法だ。
まず、オレの友達を名乗るくらいだから、同年代の人間であることは間違いない。
駐在もそこは疑ってはいなかった。
もしかしたら、ウチの高校の制服でも着ていたのかもしれないな。
そして、この学校に高等学校は一つしかない。
だから、自然と電話の主はあの学校の生徒であると推察される。
そこまで絞れればもう答えは出たようなものだ。
火野華とアイツ以外の人間がオレに対して取る態度は、基本、無視。
積極的に絡んでこないのは、こちらからも絡んで来てほしくないからだ。
そんな消極的な連中が、翌日に、テメェ、よくも昨晩、イタズラ電話なんてしやがったなぁ? なんてオレに目をつけられかねない愚行を犯すとも思えない。
だから、電話をかけてきたヤツは、翌日、オレに詰問されても全く動じないヤツだということになる。
そんなヤツは一人しか知らない。
あんなプライドの高いヤツが、オレの友人のフリまでして伝えなければならなかったこと。
それはきっと、本当に一分一秒を争うことなのだろう。
答え合わせとばかりに電話機の脇にある卓上メモを引っ掴み、そこに記されている名前を確認する。
クソッ、どうやら予想通りのようだ。
「ウチはコミュニケーション不足だ、なんて言ってる場合じゃないな」
ウツミ シグレ
メモ帳にはそう走り書きされていた。