第11話
今回の視点人物は時雨です。
「すごいキレイだったね!! わたしあんな完璧なトゥヘッド初めて見たよ!! 今度来た時触らせてくれないかなぁ?」
さっきから火野華は興奮しっぱなしだ。
その気持ちは分かるよ。私だってあんなキレイな人初めて見たから。
でも、お願いだから前を見て歩いてね。
今も私に話しかけながら後ろ向きに歩いている火野華は、側溝に落ちそうになっていた。
私はため息をついて、その腕を浮かんで引っ張ってあげる。
「あっ、ごめんねしぐっち。助かったよ」
うん、謝らなくていいから前を見てね。
でも、一度火が付いた火野華は中々収まらない。
今も嬉しそうに笑いながら、時々、はうぁ、とか奇声を発しながらフラフラ歩いている。
火野華は夢中になったら周りが見えなくなってしまうのだ。
私はその事をよく知っている。
そう、本当によく知っている。
この一か月間で、それをイヤというほど思い知らされている。
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「私、神さまと仲良くなりたい」
ギシンがこの街にやって来るという訃報がもたらされた時、火野華はそう言った。
理由は……教えてはくれなかった。
「いい?ギシンっていうのはいつ信管が作動するか分からない、爆弾みたいなもんなの。だからつかず、離れず、関わらず、が絶対原則。それに数年前にもギシンが起こした大きな事件があったの覚えてるでしょ? 頼むからそんなバカなことはもう言わないでね」
財団から発行されている手引書を広げながら私は説明する。
でも、火野華は一歩も引いてくれなかった。
「う~ん、本当にそうなのかなぁ? わたしバカだからたぶん自分の目で見ないと分からないよ。だから神さまが本当にしぐっちの言う通りなのか、自分の目で確かめたい」
なら、どうぞお好きに。
どうせギシンなんてロクな奴じゃないって、すぐに分かるだろうからさ。
その時、私はそうタカをくくったものだった。
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でも、私のそんな思惑とは裏腹に、この町にやって来たギシンは……アイツは、違った。
手引書や、教科書や、ニュースで言われているギシンとは違って、
とっても普通の高校生だった。
「ねぇ、しぐっち。神さまにまた手紙書いてみようと思うんだけど、どんな内容がいいかな?」
「神さまって休息日の日は何してるのかな?遊びに誘ったら迷惑かな?」
「仁ったらこの前屋上で寝てたら、カギ閉められちゃったんだって。神さまのクセに間抜けだよねー」
ずっと近くで見てるから分かる。
火野華が今、アイツの事をどう思ってるか。
でも、それがどれだけ危険な事なのか、まだ気づいてない。
だから私が気付かせてあげなきゃいけない。
―――私はこの一カ月、色んな方法であのギシンを挑発してきた。
きっとすぐに本性を表すに違いないと思って。
そして、その人ならざる力を目の当たりにすれば、きっと火野華も気付いてくれるに違いないと信じて。
けれど、アイツは何をされても、どんな嫌がらせを受けても、決して人に危害を加えようとはしなかった。
それどころか、さっきの教室では……
私に唾がかからないように気まで使って……………
そして、私の告白を盗み聞きしていて…………
①
あああ!!
マズい、また、思い出しちゃう!!
まさか聞かれてたなんて!!
なんて卑怯な男なのっ!?
どこまで聞かれてたんだろう!?
どう思ったんだろう??
冗談だと思ったの!? それとも……本気だと思ったの!?
ううう、明日からどんな顔すればいいのよっ!?
もう忘れよう!! あれは無かったことにしよう、うん、そうしよう!!
①に戻る
―――さっきからこの事を考えだすと頭の中が、今のように堂々巡りを始めてしまう。
これは……きっとあまり深く考えない方がいい事案だ。
私は自分の迂闊さを呪う。
本当にそんなつもりはなかったのに、この胸の動悸、考えすぎるとヤブヘビになりそうだった。
……でもやっぱりギシンと人間は仲良くはなれない。
冗談抜きでそう思う。
だってさっきのトキノっていう娘の目、普通じゃなかった。
火野華に向けていたあの目はまるで
道端に散乱した生ゴミを見るような、そんな冷たい目だったんだから。
「しぐっちどしたの? なんだか難しい顔してるよ」
「……今から英語の課題をやるのが憂鬱なだけだよ」
「たしかにそうだねー。けっこう大量に出されちゃったもんね。あーあ外国旅行がまだ出来る時代だったらもうちょっと頑張って覚えよう、って気になれたかもしれないのになー」
「火野華だったら、きっと言葉が通じなくてもジェスチャーだけで意思疎通できると思うけど」
「えー!? それってなんかバカにしてない!? しぐっちひどいよ」
頬を膨らませて抗議の声を上げる火野華。
多分、本当に傷ついてる。
私、いつも言葉足りないなぁ。
「ごめん。悪い意味じゃないんだ。目は口ほどに物をいう、って言うでしょ。俗説かもしれないけど昔の身体言語の研究では、言葉よりも身振りの方が相手に影響を与える、って言われてたくらいだし。火野華は感情豊かだから、きっと言葉が通じなくてもすぐ打ち解けられるって、そういう意味」
「ふーん、そうなんだ。わたしそういうのよく分からないけど、でも」
火野華は数歩進んで、くるりと私の方を振り向き、ニッコリと笑う。
「しぐっちがそう言うなら、きっとそうだと思う。だからありがと」
なんだか背中が一気にむずかゆくなった。
火野華と一緒にいるとホントに、ドキッとさせられることが多い。
そしてしばらく無言で歩いていると、唐突に火野華が立ち止まった。
危うく追突しそうになってしまう。
「どうしたの?」
「ごきげんよう」
「あれ? トキノ、ちゃん、だよね? どうしたの? 家に帰ったんじゃなかったの?」
火野華の声は嬉しそうに弾んでいた。
でも、私はその声を聞いた瞬間、得体の知れない恐怖を感じていた。
だって、
なんでこの子がここにいるの?
死村 トキノ。
アイツとは違う、冷たい目をしたもう一体のギシンが。
「ちょっとアナタに確認したいことがあってね。答えてくださる?」
「わたしに? いいけどなに?」
「アナタ、自分を仁の何だと思ってるのかしら?」
「何って、えーと、今はまだ友達、だと思うけど」
火野華、ちゃんと考えて言葉を選んだ方がいい。この子は普通じゃない。
私はそうアドバイスしようと思ったのに、喉が張り付いて声が出ない。
「友達、ね。フフッ、そう。やっぱりそんな勘違いをしていたのね。仁ったらしつけがなっていないんだから」
トキノは口元に笑みを浮かべると火野華を指差し、そして言い放つ。
「教えて差し上げるわ。アナタが仁にとってなんなのか。アナタはね、ただの肉奴隷なの。性欲処理の道具にしか過ぎない存在なのよ。分かる?」
…………はぁ?
何を言ってるんだこの子は?
私は、よく分からなかった。言葉の意味じゃない。発言の意図がだ。
「仁だって年相応だから、そういう事に興味を持つことは仕方がないわ。でも、それで対等の立場に立てたなんて考えること自体おこがましい。所詮アナタはただの人間、ギシンと同じ地平に立てる時なんて、未来永劫訪れないの。ギシンが真に心を許せるのは、同じギシンだけなのだから」
ああ、そういう事か。
なんとなく理解する。
たしかにこの子が、アイツに向けていた視線はちょっとヘンだった。
今、それが何なのか分かった気がする。
キレイだけど、正直、気持ち悪い。
「仁は私の物。私のいない時にアナタみたいなコバエにまとわりつかれてると思うと、ゾッとしちゃう。だから今後、二度と仁に近づくことを禁ずるわね」
それで会話は終わりとばかりにトキノは腕を組んで背を向ける。
正直、親友がここまで言われて、私は我慢ならなかった。
だけどゴメンね火野華。
実は、ちょっとだけホッともしていたの。
だってこの娘の言う通りにすれば、私の望んでいた通りになるって。
火野華がアイツに近づかなくなるって、そう思っちゃったんだから。
でも、そうはならなかった。
やっぱり火野華はどこまでも私の知ってる火野華だった。
「……あのね、トキノちゃん。今の話だけどさ。全部間違ってるよ。それで一番大きな間違いは仁のこと。仁はね、ギシンの立場を利用して、女の子をどうこうするような人じゃないよ。どこにでもいる普通の男の子なんだよ」
「……何ですって」
私は思わず目を逸らす。振り返ったトキノの顔がとっても恐ろしかったから。
人間じゃないギシン、初めてその恐ろしさを目の当たりにした気がした。
でも、火野華はその視線を真正面から受け止めて微動だにしていない。
そして言い放つ。
「そんな普通の人だから、そんな仁だからわたしは仲良くなりたいって思ったんだ。そして……だからこそ好きになれたんだよ」
そう、なんだよ、ね。
いつも傍で見てたから私は知ってたよ。火野華の気持ちは。
でも私は。
「トキノちゃんが、仁のこと大事に思ってる、ってことは伝わった。それでわたしのことを貶めたい、っていうことも分かった。わたしはいいよ。別に気にしないから。でもね、仁がそんなひどいことするヤツって言ったのはダメ。それはきっとね、わたしの好きな人に対して、とっても失礼な事だと思うから」
火野華は一歩踏み出しトキノに詰め寄る。
ここまで一本気だとは、正直思ってなかった。
友人の強さに、私は眩しさすら感じる。
「だから謝って。わたしじゃない。仁に対して謝って。そうしてくれないと、いくら妹さんだからって、わたし許さないからね」
「なっ―――」
たじろいだ様子のトキノの声。
私はそこでようやくトキノの顔を見ることが出来た。
彼女は目を見開いて驚いていた。
自分に面と向かって歯向かう人間なんて、きっと今まで一人もいなかったんだろう。
自分の間違いを指摘してくれる人なんて、きっと今まで誰もいなかったんだろう。
憐れなギシン、私は素直にそう思った。
トキノは火野華から視線を逸らすと大きくため息をつく。
ゾクッ
その時、私はとても嫌な予感がした。
火野華の手を引いて走り去ろうとしたけど、膝がいうことを、きかない。
そして
「……やっぱりアナタ、目障りだわ」
そんなセリフと共に、二人の姿が唐突に私の目の前から消え失せた。