第10話
ゆっくりと声のした方を振り返る。
興奮した面持ちの火野華の顔が、すーぐ近くにあった。
その距離5センチメートル。
測った訳じゃないけど分かる、普段通りの、普通じゃない距離。
相方の時雨はキチンと2~3mは離れているのに、なぜお前はそうなんだ。
オレはおそるおそる視線をトキノに戻してみる。
さっきまでの嬉し恥ずかしとは真逆の、無表情になっていた。
「仁、それ、なに?」
こ、声が怖いですよ、トキノさん。
あ、後、も、物じゃなくて人だからね、た、正しい日本語を使おうな。
「それというか、なんというか。まあただの同級生ってヤツだ。それ以上の何者でもない。本当にそれだけだからあまり気にしないでくれ」
「同級生? その割にはずいぶんと馴れ馴れしいんじゃない?」
トキノは今の発言を全く信用していないようで、疑いの眼差しをオレの背後に注ぐ。
それもむべなるかな。
だって後ろにいるのは火野華だぜ?
対人距離が極めて不自由な、火野華さんなんだぜ?
うん、多分分かってもらえないだろうな。
でも、本当にそんなあざといヤツじゃないから。
―――だからコイツの事をそんな目で見ないでやってくれないか?
オレのそんな切なる願いが届いたのか、トキノは急に破願するとおかしそうに笑いだす。
「全く本当に元気なんだから。まだこっちに来て一カ月しか経ってないっていうのに……フフッ」
何か、壮絶なる勘違いをされてしまったようだが、とにかくトキノに笑顔が戻ってくれたのでオレは安堵する。心なしか以前より物腰が丸くなったような気が?
「おいおい、何を勘違いしているか知らないがあまり人生の先輩をバカにするなよ」
「何言ってるの。年齢は一緒じゃない。数週間程度の差で先輩面しないでくれる?」
「数週間でも先輩は先輩だもんねー。もっと敬えよ、オイ?」
「……先輩だったらもっとしっかりしたら? 曲がってるわよ」
そう言うとトキノは手を伸ばして、オレのネクタイを直してくれる。
なんか、もう、いろいろと恥ずかしくて穴があったら顔面からきりもみダイブしたい気分だ。
「ねぇねぇ仁。そろそろ紹介してよ。このキレイな子のことをさ。もしかして……仁のいい人とか?」
我慢しきれなかったのか火野華がオレの背中から離れて横に並び立つ。
全く野次馬め。
トキノの様子を確認して、話しても問題ないだろうと判断する。
「いい人って、そんな訳ないだろ。なんせコイツは生物学的にはオレの妹に当たるんだからな」
一瞬トキノが眉を潜めたのが気になったが、その後に続いた火野華の大音声に全てがかき消されてしまう。
「えええーーー!!い、妹さんっ!?だ、だって、顔が、全然ちがうじゃん!!?」
最もな指摘ありがとう。
でも、お前ちょっと失礼じゃないか?事実とはいえさ。
「兄妹といってもコイツはオレの異父兄妹にあたるんだ。だから顔が似てなくても仕方がない。名前はトキノ。カタカナでトキノだ」
「いふきょうだい?そ、そうなんだー。それは気付かなかったなぁー」
「お前、絶対分かってないだろ」
火野華の低スペックな知能を憐れんだのか、トキノは気の毒そうな表情で火野華に声を掛ける。
「ねぇ、そこのアナタ、お名前はなんていうのかしら?」
「えっ、わ、わたしっ!?」
突然話しかけられて火野華は飛び上がらんばかりに驚く。なんかこいつが緊張しているのは珍しいな。だが、すぐにいつもの笑顔で親しみを込めて言葉を返す。
「わたし橘 火野華っていいます。お兄さんとはクラスは違うけど仲良くさせてもらってるんだ。よろしくねトキノちゃん」
そう言いながら右手を差し出す火野華。
これは……どうだろう。
オレはトキノの様子をそっとうかがう。
トキノは唖然としながら火野華と差し出された手を交互に見ていたが、やがて口元に笑みを浮かべはっきりと言う。
「私―――と握手する趣味はないの」
助かった。
ちょうど運動部の連中が近くを通りかかってくれなかったら、大声でファイオーと叫んでいなかったら、火野華に今のセリフが全て聞こえてしまっていただろう。
コイツ、やっぱり何も変わってなかった。
火野華は訳も分からずしばらくぼんやりとしていたが、握手が拒否されてしまったことに気付くとちょっと残念そうな顔をする。だがそこは八福神、すぐにいつも通りの笑顔を取り戻す。
「握手キライなんだ~。ごめんね。気が付かなくて」
「いいのよ。それよりも仁、私ちょっと用事を思い出したから帰るわ。近い内にまた会いに来るから。―――それじゃまた後で」
何だろう?今のセリフは?
なんか矛盾してるような気がするが。
そんな疑問を確認する間もなく、トキノはオレ達に背を向ける。
風が吹いた。
「あ、あれ?ト、トキノちゃん?どこ行っちゃったの?」
「さあな。多分、家に帰ったんだろ」
困惑する火野華を尻目に、オレは肩の荷が下りた安堵感からホッと一息つく。
すでにトキノの姿は校庭のどこにも見当たらなかった。
「ねぇ、今の娘って本当にアンタの妹なの?」
「ああ、そうだけど」
なんだ聞いてたのかよ。興味なさそうな顔しておいて。
近づいて来た時雨は相変わらず不機嫌そうな顔をしていた。
コイツが何を聞きたいのかは大体察しがつく。
父親が違う兄妹、そこから導き出される結論は一つだけだ。
どうせ
「それじゃあの子もギシンなんだ」
正解だよ。
死村 トキノ。
死村慈恩という共通の母親を持つ、作られた神の内の一人。
アイツもオレと同じく、終末獣と戦うことを義務付けられた、世界で最も運のない子供の一人なのさ。