第8話
さてと、そろそろいいころ合いかな。
保健室を出てから20分以上経っていたので、オレはクラスに戻ることにした。
一応、どんな結論に落ち着いたのか興味もあったしな。
ガラリッ
引き戸を開けると、閑散とした教室が広がっていた。
ああ、そうか結局今日はソフトボール大会になったんだな。
みんな、滑らないように気をつけろよ。
自分の机に戻るなり、オレは遠慮することなく腕を枕代わりにして目を閉じる。
棚ぼた的帰結。
これで……ゆっくり……休めるぞ
ぐーぐー
「なんでさっきソフトボールをやるって言わなかったの? そうすれば、私一人を悪者に出来たのに」
と思った矢先にこれだ。
居るのは気付いてたけど、なんか本を読んでたから話かけなかったのに。
結果的にオレが意図して無視した、みたいになっちまって、感じ悪い事この上ない。
「オレはただ自分の都合を優先しただけだ」
おっくうだが顔を上げて返答する。
「何ソレ?意味わかんないんだけど」
時雨はオレの席のすぐ横に立ち、詰問してくる。
やれやれだぜ。コイツが傍にいると自律神経が乱される。
さっさと追い払おう。
それにこっちはお前との間に友好の架け橋が築けるとは、もう思ってないんだからな。
「情けをかけられた、と、腹を立てるのは筋違いだぞ。ただ、今日オレは猛烈に寝不足なんだ。この陽気の中で動き回れば、高確率でぶっ倒れていただろう。かといって授業を普通にやれば、針の筵に座らせられることになる。その問題を一手に解決する保健室行き、実に合理的な選択じゃないか」
「なにそれ? アンタ、ギシンでしょ? 寝不足程度で倒れるの? そんなんで終末獣をやっつけられるの?」
相変わらずの攻め口調、参るわぁ〜。
それにお前は大いなる勘違いをしている。最初に会った時に言ったじゃないか。
「だから、オレの体は普通の人間と同じなんだって。寝不足の上に直射日光を浴び続ければ、貧血くらい起こすよ。あとオレは神じゃない。偽物の神、ギシンだ」
本当は字が違うがどちらでもいい。似たようなもんだ。
「ハッ、確かにアンタみたいな神さまなんているわけないもんね」
そこは納得しないで欲しいところだが、もういい寝かせてくれ。
オレは強制的に会話を打ち切るために、腕枕に顔をうずめる。
「ちょっと!! まだ話は終わってないのに寝ないでよね!! 失礼じゃない!!」
さっきのお前の発言の方が失礼だと思うぞ。無視、無視
「ちょっとアンタ」
残念だが今日の営業は終了だ。
速やかにお引き取り願おう。
自慢じゃないが、オレは狸寝入りだけは得意だった。
……ホントに自慢にならないな、コレ。
「……最低……本当に寝てる……あり得ないんだけど……」
ふふ、騙されてる怒ってる。
すでに暴落しきっている株価に興味はねぇ。
オレはお前の機嫌なんて取ってやらないもんね!! 一人孤独感を噛みしめるがいいわっ!!
そんな子供じみた復讐心を満たしていると。
「……ねぇ本当に寝てる?」
うん? なんだ? 声のトーンがちょっと柔らかくなったような……?
「寝てるよね」
念を押されてしまう。
ああ、寝てる寝てる。だからもう戻ってくれって。
オレは身じろぎ一つせず狸寝入りを続行する。
すると時雨が深呼吸し、そして聞こえるか聞こえないか程度の小さな声でボソリと呟いた。
「……その、朝はやり過ぎたわよ。ごめん……」
―――なんて不器用なヤツなんだろう―――
それが率直な感想だった。
もしかして最初から謝るつもりだったのか?
それなのに売り言葉に買い言葉で引っ込みがつかなくなって……いや、だからって普通、寝てる相手に謝るかよ?
コイツは……
ここでガバっと起きあがり
「ああん? よく聞こえなかったなぁしぐっちさんよぉ? もう一回、大きな声で言ってくれねぇかぁ? ほらサンハイ」
とやれば、さぞや面白いことになるだろうと思ったが、さすがにそれは出来なかった。
コイツなりの葛藤があっての謝罪だろう。それを揶揄るのはよくない。
それに不覚にも、本当にコンマ1ミクロンにも満たない、微粒子レベルの話なのだが、
カワイイところもあるな、と思ってしまったから。
だからオレは寝たふりを続けてやることにする。
しかし、さきほどの予期せぬ謝罪のせいか目が冴えてしまった。
困ったな。
そう思っていると時雨が動いた気配がした。
だがおかしい。
なぜだ?
お前の席は廊下側だろ。
何でオレの方へ寄って来たんだ?
お、おい、お前はオレに何をしようとしているんだ?
く、クソッ、狸寝入りがこんな形で仇となるとは!?
突如、暗闇がその本性を露わにして、オレに襲い掛かってきた。今、目の前にナイフが突きつけられていても気付くことは不可能である。怖いよぉ。
「はぁ、言っちゃった」
すると、時雨の声がすぐ近くで聞こえた。
この感じだと、おそらくオレの前の席に座りながら、こちらの様子を伺っていやがる。
な、何をしようとしてるんだよお前?
頬を冷や汗が伝う。喉がひりつく。
だが、なぜかそれ以上何のアクションが起きる気配もない。
長い長い沈黙が続く。
い、いっその事起きてしまおうかな?
だが、自然に起きる演技力などオレにはない。
それに、時雨に近くで観察されている状況じゃなおさらだ。
もし、さっきの謝罪をオレが聞いていたとバレてしまったら、
……なんか、今さらだけど、ものすごくマズいことになるんじゃないだろうか?
いや、間違いない。確信する。コイツはたぶんブチギレるに違いない。
そして恨みを買い、さらに陰湿な嫌がらせをされるようになるんだ!!
理不尽だけど、それが運命。
八方塞がりじゃねぇかよぉぉ。
めんどくせぇぇぇぇぇぇ。
はやくあっちに行ってくれよぉぉぉぉぉぉ。
「でもこうして見ると……普通ね。本当に神さまなの?こいつ」
神さまをコイツ呼ばわりしてるんじゃねぇぇぇぇ
あと神さまじゃなくてギシンだっつてんだろーがぁぁぁぁぁ
「ん?いま、動いた?」
いえ、動いてません。すみません。
そっとしておいてください。
「う~~~~ん」
時雨がオレの顔を覗き込むように眺めているのを、肌で感じる。
本物の神さま、どうかオレを救ってください。
「……気のせいか。それにしてもコイツ、まぁ顔は、アレよね」
アレってなんだよ? よ、容姿をディスるなんて人として最低だぞ!?
「でもまさか火野華がなんて。はぁ、困ったもんだわ」
どうぞ、自席に戻ってゆっくり困ってくれ。
オレも困っている。
「……もし私がコイツと……したら、火野華は引いてくれるのかな」
?何だ? 今、お前、なんて言った?
オレの聞き間違いじゃなければ、お前は今―――
その時事態が急変した。
スンッ
鼻腔に、何か、異物が侵入してきたのだ。
その異物はオレの鼻腔内を傍若無人に蹂躙しつくし、粘膜を刺激するだけ刺激しまくって、鼻の奥へピタッと吸着した。
そしてその結果、脳髄にある指令が送られる。
死村 仁くん、今すぐ異物を排除するためにくしゃみをしなさい、と。
これはヤバイ、ヤバすぎる。
冷や汗が滝のように流れ出る。
ギシンだって人間と同じ。
つまり、不随意筋を制御することなど出来ない。
くしゃみが出るのはもはや避けられない既定路線だろう。
だとすると、ここで大問題が。
今、オレの顔の前には、おそらく時雨の顔がある。つまり。
一、手で塞いだら狸寝入りがばれる。
二、かといって塞がなければ、時雨の顔面に時速300km超で唾液が噴射される。
これはどちらを選んでも地獄を見るパターン。
あえて言わせてもらおう。
八方塞がりじゃねぇかよぉぉぉぉぉぉぉ(号泣)
だが、鼻がぴくぴく痙攣している今の内に結論を出さなければならない。
もはや、時間は残されていない。
オレが選びとる未来、それは。
ガラリッ
くしゅん!!
「ゴメン!!しぐっち!!わたし今日数学の教科書忘れてきちゃったみたいなの!!次の時間だけでいいから貸して!!……って、あれ?」
勢いよく教室に飛び込んできた火野華は、いつもの席に時雨がいない事に目を丸くしているのだろう。そして、窓側にいるオレ達二人に気付くと。
「あれ?二人しかいないの?他のみんなは?たしかA組って、一限目現代史だったよね?」
当然の疑問を投げかけてくる。
オレはゆっくりと起き上がると。
「ふわぁーーー。よく寝た。ん、なんだ?もうB組は授業終わったのか?」
「うん。ていうかチャイムも鳴ってたよ。もしかして仁、寝てたから気付かなかったの?」
そうだったのか。まさかチャイムまで聞き逃すとは。
時雨とのよく分からん攻防によっぽど神経を集中させていたようだ。
そこでオレは好敵手の横顔を、チラリと盗み見る。
普段と変わりない不機嫌顔がそこにあった。
だが、目が合った瞬間、物凄い勢いで顔を背けられてしまう。
お、おおぅ。なんだそのリアクションは?
「ねぇ、なんで教室に二人しかいないの?あ、もしかして」
何を思ったか火野華は意地悪そうな笑みを浮かべる。
おい、何だその笑みは?
少しゲスいぞ。
「あ、い、いや、べつに、なにも」
すると、いきなりオレの横で時雨が挙動不審なほどに慌て出す。
おいやめろ。そんな態度されると、なんだかオレまで意味もなく動揺しちゃうじゃないか。
「もしかして、仁がみんなを消しちゃったとか?」
だが、飛び出してきたのは予想に反して、火野華らしからぬブラックジョークだった。
空気がピシッと音を立てて、固まったような気すらする。
おいおい、さすがにそれは。
「さすがにそれは笑えない」
「さすがにそれは笑えないよ」
おお、なんかハモったぞ。
時雨を見るとしまった、という苦い表情をしていた。
対する火野華は目を輝かせながら喜びを顔中に滲ませている。
「おおっ!! 仁としぐっちが仲良くなってる」
こんなことで仲よし認定されてしまっては、オレは今年中に全校生徒と仲よしになれる自信がある。そんなのはお断りだ。
「それはない」
「それはないよ」
おい、だからなぜまたハモる。
そしてなぜオレを睨む? 今のはオレだけのせいじゃないだろうが?
火野華はどうやら完全に勘違いしてくれたようで、その場でゆっくりと何度もうんうんと頷いていた。
ああ、もうなぜこうなる。
時雨と仲良くなろうなんて、オレはこれっぽっちも思っていないのに。
語るに落ちるとはまさにこの事だ。
これ以上墓穴を掘らないために出来ることは一つだけだ。
そもそも最初からそうするつもりだった。
大分回り道をしてしまったが、当初の目的に立ち返るとしよう。
オレは目を閉じ口を閉じ、貝のように机に突っ伏して、今度こそ惰眠をむさぼることに決めたのだった。